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舵をとる

最近就活も本格化してきて、自分の生き方を考え直すことが多くなった。

僕も、僕の友達も、自分らしく生きていきたいという願望は強く、主体的に生きるにはどうすればいいかよく悩む。


ところで、
僕たちが主体的に生きることは、
船乗りが海図を見ながら航路を選び、船の舵を取ることに似ていると思う。

海図 ≒ 知識や経験
航路 ≒ 行動の選択肢
舵  ≒ 実際の行動

今回は、主体的に生きるために、つまり自分の舵を取るために大切なことを整理しようと思う。

一本道では、舵は取れない

舵をとる、とは具体的にどういうことだろう。

まっすぐ進む、右・左に曲がる、止まるという意思決定を、
誰でもない自分自身でおこなうことだ。

反対に、舵をとれない状態とは、上のような選択の自由がないこと。
これは例えると、アメリカのルート66のような、右折も左折もほとんどない一本道を進むようなものだ。

ルート66もカッコいいけどね

このような道では、左右に曲がる選択は必要なく、つまり舵をとる必要そのものがなくなる。(進むだけなので、操縦がラクになるとも言える)

しかし、人生は一本道ではなく、に近い。
海には、無数の航路の選択肢がある。

どの方角に進むか、どの海流に乗るか、そもそもどこを目指すのか
すべての自由と、その責任を背負うことになる。

航路を塗りつぶすのは、自分自身の無知と恐怖

僕の周りにも「私は周りに流されて生きている」、つまり自分の舵を取れていないと悩む友達がいる。

しかし彼も僕と同じく、自由なはずだ。
どう進むかという選択肢に困ることはないはず。
それなのに、彼は悩んでいる。

悩みの根本は、航路の選択肢が少ないことにあると思う。
選択肢が少ないから、自分で舵を取っている実感がない。


航路の選択肢が減ってしまう要因は二つだと思う。
無知と、恐怖だ。

無知は、「そもそもそんな航路があったなんて知らなかった」ということ。
この場合、何かのきっかけで自分と異なる存在や価値観に触れた時、行動や思考の選択肢は一つ増える。

恐怖は、「そっちはヤバいに決まってる」と、なんとなく選択肢から排除すること。
もちろん人生において本当に危険な選択肢はあるのだろうが、経験や信頼できる情報から根拠をもって避けるのと、なんとなくで避けるのとでは意味が異なる。
また、「失敗に終わったら恥ずかしい」という羞恥心に対する恐怖も大きい。

無知と恐怖の積み重ねで、航路の選択肢は次第に少なくなっていく。
舵を取れなくなっていく。

挑戦は、海図に蓄積される

では、再び自分の人生の舵を取るにはどうすればよいだろう。

一つ思い出したい。

ここは最初から、自由な海だ。
一本道だと錯覚していただけで。

さらに言えば、問答無用で戦争に送り出されたり、家柄で結婚相手が決められたりということもない。
他の時代と比べ物にならないほど、現代のこの国はとても自由だと思う。
(ただ、両親や家庭環境の影響に関しては、比較的に家庭環境に恵まれた身として無責任なことを言えない。)

選択の自由を実感するためには、無知と恐怖で塗りつぶされていた新しい選択肢を一つでも多く発見することが大切だ。

「そっちは危ないに決まってる」「失敗したら恥ずかしい」と遠ざけていた選択肢を選ぶと、結果的に意外と「なんとかなる」こともある。
その「なんとかなった」経験は、新しい選択肢として蓄積される

この瞬間から、自分はこれからその選択を取ることも、取らないこともできる選択の自由を一つ手に入れる
つまり、自分の海図に新たな航路が一つ増えるのである。

例えば、今僕は世界史にハマっている。
高校生の時は「世界史なんて暗記でつまらないし、できないのが恥ずかしい、からやりたくない。」という無知と恐怖のコンビネーションで、
世界史を勉強する、という選択肢は人生に無いものと思っていた。

しかし、知らなくて当然だと考えて勉強してみると、面白かった。
自分のアイデアは歴史のご先祖様がすでに実行していて、こうして失敗しているとか、
新型コロナウイルスは人類の未曽有の危機、というほどでもないとか、
なにかにつけて、マクロで考えるようになった。

世界史を学ぶ、という選択肢を得たのは、自分の人生においてとても良いことだった。
楽しい限りこれからも世界史を学ぶという選択肢もあれば、
飽きたら世界史の勉強をやめるという選択肢も、今はある。
食わず嫌いだった高校生の僕とは、ひと味違うのだ。


と、僕自身の話は置いておいて、とにかく
数ある選択肢から選び取ることと、限られた選択肢から選ばざるを得ないのとでは、主体性が大きく異なる。

舵を取るために

挑戦の結果得るものは
「次もこの行動をしなければならない」という拘束ではなく、
「この行動を取るか取らないか、次は経験から選び取れる」という自由だ。

舵を取るとは、無数の選択肢から、最善の航路を選ぶこと。
そのために、無知や恐怖を打破して新しい航路を発見し、海図に書き足していくことを、僕もこれから続けていきたい。

■ 舵を取るには、航路の選択肢が必要
■ 航路の選択肢は、無知と恐怖を打破する挑戦で蓄積する
■ 経験に基づいて、次にその行動や思考を選ぶ/選ばない自由が得られる

⇒ 挑戦が人生の選択肢に繋がり、主体的に生きることに繋がる

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