見出し画像

完熟

2021年12月、風情もへったくれもない動物臭い若者たちが「我こそは」とこぞって自身のFacebookに「今年は良い一年でした」「来年もよろしくお願いします」と醜態を晒し始める。

僕たちにとって最も素晴らしい1年が終わりを迎え、僕たちにとって最も素晴らしい1年がまた始まった。

人間も生物だ、作物の場合は実を熟すと腐敗を始め、跡形もなく消えてゆく。

僕は今年、20歳になる、立派な成人である、大きな節目の年だ。
肉体は成熟し、老化現象を迎え撃つ準備が整った。

もう、背は伸びない、傷一つない膝小僧が「お前は成熟したんだ」と語りかけてくる。

僕は昨年、3年間通った高校を卒業した。
今となってはどうってこともない、過去のことだ。
けれども、当時は、苦しかった。

当たり前の日々が当たり前に終わって、ありえない日々が当たり前になっていった。
人生で1番輝いていて楽しい時期があったからこそ、そこから燃え尽きた自分がどんどんダメになって「ああ、僕は前よりもダメになっちゃったな」と劣等感を感じて生きていた。

「世界がこんなに狭いワケない!」と乱暴に飛び出してきた東京、だけども僕の目の前に広がる世界は狭くなる一方だった。
目を閉じて、暗闇を見つめる方が楽だと思った。

窓の外を見ると人生のエンドロールが流れてくるようで辛かった。
「お前はこんなところに留まるタマじゃねえ」苦し紛れの慰め、そんなことは僕が1番知っていた。

もう1度、心の底から笑う為に、輝かなくてはならない、そう思った。


初雪に賑わう東京都内、僕はこの正月、思いがけないご縁で小学生時代の恩師、K先生と再会した。
甲府駅の改札前で待ち合わせ、外見も中身も変わり果てたかつての教え子にK先生は表情一つ変えることなく寛大な心で僕を受け入れてくれた。

ありきたりな言葉になるけれど、K先生も僕も当時のまま、何も変わらなかった。
むしろK先生の方は、僕がこうなることをずっと前から知っているようだった。

2時間半、たくさんお話をした。

創作意欲や、インスピレーションが昔の勢いを取り戻せないこと。
それでも表現することへの使命感が募り、僕を苦しめること。
K先生はまるで同年代の親友のように未熟な僕の話に同じ熱量を持って語り合ってくれた。

様々な学びを得た、少しずつ作品に消化しようと思う。


思いも設けない運命が展開し、今年の走り出しは順調である。

僕はこれで良いのだと思った。
人生のエンドロールが見えたのならば、その先に見えるのは観客をさらに奮い立たせる次回予告が始まる、いや、既に始まっている。

僕らは子供の時から騙され続けてきたのかもしれない、いつから漫画やドラマの主人公にはなれないと勘違いをしていたのだろう。

誰かの人生の脇役になって初めてわかった。誰もが主人公なはずはない、けれどもみんな主人公であるべきなんだ。

「すべて上手く行く」そう呟いて僕は今、窓から見える世田谷の雪景色に白い息を吐いた。 

昨年は良い一年でした、今年もよろしくお願いします。

では、また会いましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?