GALLERY工+with

GALLERY工+with

最近の記事

GWらしい奮闘2

GWらしい奮闘その2は、主役代わって私のパートナー。 今掘ってきたと、デッカイ筍が従兄弟夫婦から。 齧ろうとするココちゃん。駄目!!! ゴールデンウィークなので、告知はお休みです。 良き奮闘の週末を!

    • GWらしい、奮闘。

       このノートは、ギャラリー工(こう)で、あれこれ試す、2代目ギャラリスト・ハジメの奮闘記として始めましたが、ゴールデンウィーク中は、それらしき奮闘です。  前回記事にしたDIYの棚づくりは完成しました。始終流しているラジオから草野マサムネさんの番組を知り、急にその個性が気になり、「とげまる」を買ってみて、作業しながら聴いていたら、なんか、とても素敵でした。   作業を振り返ると、ネジの機能を学んでからは順調に作業が進む筈だったのですが、ペンキの缶を開けたら色が派手だったか

      • カモニン落語会(part2)

         ドキドキでもワクワクでも無い、多忙な日には、ワキワキが詰まっています。  昨日は、5月末の展覧会に向けてスウェーデンに思いを馳せたnoteを書きながら、5月10日に開催が近づく九ノ一さんの会チラシも作成しました。こちらは、高円寺演芸まつり実行委員会さんからの呼びかけに応えた会です。  ギャラリーは、厳密に言うと、新高円寺駅が最寄りなのですが、その15分ほど先の賑やかな町中で2月に開催されている「高円寺演芸まつり」のスタッフの皆さんと繋がりが出来ています。それが御縁で今回

        • 覗き込む浅利に小さな地球かな(スウェーデンpart2)

           5月の後半、GALLERY工+withでは「satouの傘とFine Little Dayのポスター展」が始まります。かつてスウェーデンで和風カフェをやる企画に誘っていただいたユミルさん。一緒に旅をした祐子さんと今回の計画を進めていますが、今ではすっかり海外に出かけることから縁遠くなってしまいました。なにしろ、この旅が20年前だっていうことに驚愕です。   「覗き込む浅利に小さな地球かな」と自由句を詠み、自宅のキッチンから世界を想う日々ですが、まぁそれはそれで創造的に過ご

        GWらしい奮闘2

          落語で落ち着くと思いきや、いきなりスウェーデンに飛ぶ

           物事を説明しようと思うと、過去が沸き立ってきて、先へ進まない。  と書いたのは昨日ですが、その日は持ち寄りランチでご相伴に授かりました。その際、認知症が話題になりました。昔のことは思い出せても今のことが出てこなくなり、それでも切符を買ってどこかに行ったりすることが出来るから、厄介なのだそうです。  その話を聞いたあと、もしかしたら、年嵩の方が何か言葉を発するとき、思い出の引き出しを開けて整理整頓し、その上で変換しようとしているのかな?と想像しました。  私も整理整頓が苦

          落語で落ち着くと思いきや、いきなりスウェーデンに飛ぶ

          カモニン落語会

          落語会をやろうと切り出したのは、浜さんでした。  ところで昨日、朝支度をしながら流していたNHKのニュースで、山田太一さんの特集をしていたのですが、その中で「やっぱり人間は大半は過去の産物ですよね。」と、かつての山田さんが語られていたところで、意識がそのニュースへと向きました。  このnoteを書いていて、物事を説明しようと思うと、過去が沸き立ってきて、先へ進まないと感じています。それを一言で言い切ったら、  落語会が始まったのは、過去からのプレゼント。  時はコロナ

          カモニン落語会

          きっかけは浜さんから

           毎度、粗忽でお節介な父が発端、母が代表となって台東区谷中で始めたGALLERY工は、入口を入ると螺旋階段があって上階がギャラリー、地階が常設のアートショップという形で始まりましたが、留守番できない犬ラッキーを連れての自動車通勤は実のところ大変でした。  そこで家族会議ののち、まぁ7年も経てば、一時は突然テナントが空いて困っていた叔父も大丈夫だろうと、2002年3月に杉並区梅里(新高円寺)へ移転しました。  当時のギャラリーは、何かというと宴会となり、赤ちょうちんがぶら下が

          きっかけは浜さんから

          1・8・8ビルとギャラリー工(こう)と私の家族。

           本当の名前は、「GALLERY工+with」と言います。その名の通り、ギャラリーを営んでいます。  1995年のこと。相談ごとを持ち込まれると何かやらなきゃいけないと思ってしまう、毎度、粗忽でお節介な父が、急にテナントが空くことになり困ったという叔父の話を真に受け、母の実家だった台東区谷中の場所でギャラリーを始めないか?と、働きかけたのが始まりでした。  主婦だった母は、あれよ、あれよという間に有限会社の社長兼ギャラリーオーナーとしてデビューしました。それまで家を留守にす

          1・8・8ビルとギャラリー工(こう)と私の家族。