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「謝れない病」のまま年を重ねた人は悲惨

タイトルの通りだけど、「謝れない病」のまま年を重ねた人は悲惨。
そしてそういう人は結構多い。

正確には、「謝れない人が多い」のではなく、「謝りたくない、過ちを認めたくないという場面」が人生には数多く存在するというべきかもしれない。


謝るべきかどうかは「善と悪」「損と得」の二軸の考え方がある


謝るどうか?は基本的に善悪でまず考えるべきで、悪いことをしたなら謝るべきだし、していないなら謝る必要はない。

ただし、おそらく多くの人は単純に善悪だけで判断しない。

謝って得か?損か?の損得軸がプラスされる。

1.「謝るべきだから謝る」(善悪軸)
2.「謝る必要はないので謝らない」(善悪軸)
3.「謝るべきだが、謝ったら損(謝らなかったら得)なので謝らない」(善悪軸+損得軸)
4.「謝る必要はないが、謝らなかったら損(謝ったら得)なので謝る」(善悪軸+損得軸)

書いてて自分でも混乱してきたが、1と2はシンプルに善悪のみの判断なので、この決断ができる場面は特に問題にならない。

大きな問題になりがちのは、3の「損か得かを考えて、謝るべき時に謝れない」パターン。

例えば「自分が事実誤認で他人を批判したのに、事実誤認が明らかになった後も謝らずにむしろ逆ギレ」みたいなケースが、「嫌いな相手に謝ったら屈辱だ」という感情的な損得に善悪が負けてしまったパターン。

こうしたことは誰にあることだが、あまり繰り返していると「こいつは自分の過失も認められない、人間性の未熟なやつだ」と周りに思われ、信頼をなくしてゆく。

「損が嫌で謝罪を拒否したのに、結果的に損を免れない」という最悪のパターン。

自分の過失が明らかなら、さっさと謝っといた方がトータルのダメージは少ない

という当たり前のことを、40歳や50歳を超えて身につけていない人は、明らかに平均未満の人間性で思わず目を背けてしまうくらい悲惨だ。




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