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個人と向き合う教育

1.“勝てる領域“と“やりたい領域“

最近教育のやり方や人生観として言われるようになってきたのは、自分が勝負できる領域で生きていくということ。
誰一人として同じ人はいない環境で、一律の勉強をさせられて一律のボーダーで評価されるのがおかしいのは事実だ。
自分が苦手な領域で一つの基準で評価されて劣等感を味わうよりは、得意な領域に逃げてもいいと思う。

しかし、“勝てる領域で、、、“というのに違和感を感じる自分もいた。
「自分が得意じゃないけど楽しい、やりたい分野はどうなるのだろう?」と。

もちろん、好きこそものの上手なれで勝てるまで挑戦する、というのもありだが、それはそれで元々の意味と変わってくる気がする。

そんな疑問に対して、今日の授業中に紐解く鍵が見つかった気がした。

2.自分なりの「戦い方」

今日の体育の時間はバドミントンだった。相手をした生徒はクラスの中でも運動が苦手な生徒で、スマッシュやサーブは弱く、空振りすることも何度もあった。
だが、彼と試合をしてみると、度々すごいショットを見せることがある。

強いスマッシュではないが、ネット側に落とすスマッシュ。
相手の強いスマッシュを当てるだけで絶妙に返すショット。

どれも「決める!」と思って強打ばかり打つ生徒には打つことができないショットだった。
つまり彼は、自分にできるやり方で苦手なバドミントンに挑戦したのだ。
これは、単純に“勝てる領域で勝負した“という話ではない。

この場合の勝負した領域は「バドミントン」だ。そしてそれは彼にとって間違いなく「苦手」「勝てない」領域だ。
しかし、彼は「戦い方」を自分に得意な形にして挑んだ。

まさしく戦略で勝負したということだろう

3.教育における「自分の戦い方」

ここにとても大事なことが存在すると思う。
最初に述べたように、できない領域で無理に挑戦し続ける必要はない。
逃げたいなら逃げる、嫌ならやめる。
貴重な人生の時間を、やりたくない成長のために使う必要はない。

しかし、「やりたいけど苦手」なものを勝てるように挑戦する方法はないのか。
その方法こそ、「自分なりのやり方を見つける」ということだ。
勉強において例えるなら、暗記が得意な人もいれば、文章を読むのが得意な人もいるし、計算が得意な人もいる。
個人それぞれにその領域の中で得意と苦手がある。自分の得意なやり方・戦略で勝負していけば、総合的に負けると見える勝負も、挑戦する価値があるものになるかもしれない。

それを教えていくことも教育の重要なファクターだと思う。しかし、学校は全員に同じやり方、同じ評価基準を与え続ける。
“個人の時代“とも言われる現代の教育として、全員を一律に見るこの教育は正しいのだろうか。

4.教育改革の夢

かつて学校や教育に不満ができた時は「ほんとに学校変わって欲しい」と思うことが多かった。

しかし、今考えると学校という大きく普及した社会的な存在を変えることは簡単なことではない。
それよりは、自分で新しい教育場所を作った方が変化を起こしやすい。

前半に話した今の教育の課題、新しい教育への兆し。
学校の変化に頼らず自分で社会に提供していきたい。

「自分が気づいた課題ならば、自分にしか解決できない」

以前に出会った尊敬する経営者の方から聞いた言葉です。

自分以外の変化に頼らず期待せず、自分が変化を起こしていく。
その言葉を聞いて以来。そう思えるようになりました。

というわけで宣言します!

僕は作る。

高校生が“自分“と向き合って、自己流の歩み方を見つけていけるような教育を!

これからも新しい教育場所の実現に向けて挑戦していきます。
今日は友人からとても大事なことを学ばせてもらいましたありがとう。

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