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#40 俯瞰するわたし?|思考の練習帖

物事を俯瞰的にとらえる立場を中立としたとき、その中立は必ず「力のある側」「強い側」にくみしてしまうのではないか。--
その問いかけに、わたしはドキッとした。

信田さよ子・上間陽子の『言葉を失ったあとで』を読んだ。

読みながら付箋まみれにしたこの本を、 #思考の練習帖 でもっと掘り下げて考えてみたい。今日は、中立性について。

中立が見えなくするもの

 また日本の臨床心理学の多くはフロイトに依拠してきました。フロイトの精神分析は中立性を基本にしています。passive neutralというんですかね。どちらかではなく、両方を俯瞰的にとらえる立場に治療者がいるという前提が、中立を意味します。だから中立・客観はむしろ当たり前の前提なんです。
 私はそれは無理ではないか、その場合の中立は必ず「力のある側」「強い側」に与してしまうのではないかと思っています。暴力の問題は中立性にこだわると扱えないし、被害者に問題があるように見えてしまうでしょう。

信田さよ子・上間陽子『言葉を失ったあとで』

中立って、今までずーっと良きものだと信じてきた。中立であることは公平であることで、正しいことであると。たぶん、わたしに限らず世の中の多くの人がそうだと思う。だから、がつんと頭を殴られたような衝撃を受けた。

暴力、とくに性暴力の問題を扱うとき、訴え出た被害者の方が世間からバッシングを受けることがほんとうに多い。加害者がいるから被害が生じているのに、被害者側の責任を問う声が後を絶たない。
「行動にふさわしい結果が、その人に降りかかる」という考え方を公正世界仮説という。

悪いことをしていない人が理不尽に酷い目に遭うのだとしたら、いつか自分にも降りかかるかもしれない。そんな「世界の理不尽さ」と「自分も理不尽に傷つけられるかもしれない」という不安から逃れるため、人は公正世界仮説を信じるのである。

情報文化研究所『認知バイアス事典』

世界は公正である、という前提に立って俯瞰して世界を眺めれば、暴力を振るう人と振るわれる人には各々、その必然性があったと言えてしまうのだ。

しかし、世界は公正ではない。
明日自分が暴力に巻き込まれるかもしれない。巻き込まれた事柄すべてに必然性があるわけでは決してないし、自分に降りかかったあらゆる災難の責任が自分にあるわけでもないのだ。
中立は、言葉を奪う。

強者の特権

以下は、先ほどの引用の続き。

 そこに至った個人的経験をお話しします。AC(Adult Children of Alcoholics/アルコール依存症の親のもとで育ったひとたち)と自認した女性とのカウンセリングでお話を聞いていたとき、「このひとちょっとオーバーに話してるんじゃないの」みたいな気持ちが、突然湧いてきたんです。
 夕方になって疲れていたんですが、初めてのことだったので、そういう自分にすごいショックを受けて。どうしてこんな気持ちになったのだろう、ありえないとずっと考えていて、その日の帰り道、ハッと気づいたんです。ああ、あのとき、少し疲れていた私は俯瞰的になろうとした、中立的な立場で聞こうとしていたんだと。つまり私のポジショナリティによって、聞こえ方がちがったんです。これは大きな発見でしたね。

信田さよ子・上間陽子『言葉を失ったあとで』

これは、わたしも身に覚えがあることだ。カウンセリングではなくて生活場面でのケアがわたしの仕事だが、複雑な生い立ちをもって施設で生活している子どもたちと接するなかで、同じように「ちょっとオーバーに言い過ぎなんじゃない?」「被害的な捉え方だなー」って感じてしまう瞬間が多々ある。その子ども自身の認知の課題だと決めてかかっていることがある。

そのときわたしは、わたしの基準で中立を決めてしまっていたのだ。

「そんなことがあるはずない」ような公正な世界だけを見て、その子の体験世界を無視している。わたしの見たい世界だけを信じて、不都合な現実から目を背けている。
わたしの見たい世界だけを見て平穏に生きていられるのは、わたしが強者としてこの世界にいるからだ。わたしに見えない苦しみが「存在しない」と決めつけても矛盾を感じずにいられるのは、強者の特権だからだ。

なにが中立で、なにが普通か。
なにが存在して、なにが正しいのか。
それらを決められるのは、「強い側」の人たちだけだ。
そうでない人たちは、言葉を奪われている。

ほんとうは、中立も普通も絶対的な正しさも、この世界に存在しないのに。



最後に、印象的だった文章を(別の文脈だけど)引用する。

あらゆる差別というものは、それらを見ないようにしたほうが平和だったということかもしれません。差別という言葉ができて、闘うひとも出てくるけど、理不尽さに気づいて苦しむひとも出てくる。性被害も同じで、この言葉を知ったことで不安定になるひともいると思うけど、専門家はそこをちゃんと支援していかなければとは思っています。

信田さよ子・上間陽子『言葉を失ったあとで』


今日は、ここまで。


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