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ちょっといいフォーマルバッグを買った

自分への誕生日プレゼントに、ちょっといいフォーマルバッグを買った。

遡ること1週間前。
祖母の訃報を聞いて、お通夜と葬儀に出るために閉店間際のZARAに駆け込んで黒い靴を買った。礼服は、就職するときにリクルートスーツと一緒に買ったものがある。新卒の同期の結婚式に出るときに買った、慶弔両用の紫の袱紗ふくさがある。お香典の準備もできた。クローゼットの無数の靴下に埋もれた、黒いストッキングも見つけた。父と母が成人祝いにくれた真珠のネックレスもある。

しかし、バッグは盲点だった。
大人になってからお通夜に駆けつけたことはあったけれど、葬儀に参列したことがなかった。だから営業時代に使っていた黒い仕事用バッグでごまかしが効いた(たぶん)。
でもやっぱり大きすぎた。ほかに代替できるものがなかったのでしかたなくそれで行ったけれど、葬儀中ずっと携えておくには邪魔くさくてみっともなかった。

だから、葬儀は終わったけれどちゃんと買おうと思ったのだ。大人の心得として、きちんとしたものを持っておくって大事だと。それに、春には仕事場の子どもの卒業式と入学式もある。買うなら今だ。

ネットであれこれ探してみた結果、傳濱野のフォーマルバッグに行きついた。

つるるんと、触ってみたくなるフォルム。袱紗も財布もハンカチも入る、無駄のないミニマムなサイズ。真っ黒で地味だけど、ブラックフォーマルってそんなものだからしょうがない。黒いカバンの数々と見比べながら、いちばん心惹かれるのはこれだなあと思った。

わたしが普段カバン1つにかけないような、まあまあ良いお値段。この先何度実際に出番があるかはわからないけれど、10年後・20年後にもそのときがきたら役目をまっとうしてほしいから。長く大事に使いたいから、思い切って買った。


買い物でいちばんテンションが上がる瞬間は、素敵なアイテムが自分のものになって、自分まで素敵になれたように錯覚をするときだ。買って手にして、さっそく使うその瞬間。
洋服も靴も化粧品も、ポーチもアクセサリーもそうだった。

でも、傳濱野のフォーマルバッグの梱包を解いたとき、わたしはそのフォルムに指を滑らせて、中の緩衝材を取り除いて、代わりに袱紗とネックレスを収納して、バッグを箱に戻した。
3月の卒業式まで出番のこないバッグがカビないように、通気性の良さそうな場所を選んで片付けた。

モノは使うためにあるけれど。このバッグだって使うために買ったのは事実だけど。
使われる時間より使われない時間の方が圧倒的に長い。なんだったら正直使わずにすませたいくらいだ。
使わないモノにお金をかけて、大事、大事にしまっておく。なんだかバカらしくも思えてしまうけれど、大切な人の最期を、雑念を遠ざけて大切に過ごすためだとしたら。画一的な葬儀の様式も真っ黒のドレスコードも定型文の弔辞も、そのためにあるのだとしたら。わたしはそれも悪くないなと思うのだ。

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