泣きたくないのに涙が出ることありません?
泣きたくもないのに涙が出てくることがある。
それがわりとフツーのことなのかはわからないから(泣いてる人に聞いて回るわけにもいかないし)、それについてどういう感情を持ったらいいのかもわからない。
とても泣きたい気分のときだってある。
そういうときは存分に泣いて、それでちょっとスッキリするからそれでいい。わたしのなかで「泣きたいタイミング」と「泣いても困らない状況」が合致したときがそれだ。ばあちゃんのお葬式とか、ムシャクシャした仕事帰りとか。
でも「泣きたくもないタイミング」で「泣いたら困る状況」なのに泣けてくるのはなんだろう。誰の得にもならない涙を一秒でも早く引っ込めたくて息をつめて、余計に涙が止まらなくて息苦しくなってしまうのだ(そういうときは呼吸をするとよいと今日知った。息を止めるからしゃくりあげるのだ)。
わたしにとって「泣いたら困る状況」というのは、誰かに見られているとき。話をしている最中に泣きそうになるのが一番困る。だって泣いてたら話せないし、いきなり泣き出されたら相手も戸惑うし(泣いている張本人すら戸惑っている)、収拾つかなくなってしまう。
だから、泣きたくないんだけど。
そういえば就活をしていたころも、同じことに悩んでいた。
面接中に泣いてしまったことがあって、それ以来泣くまいと必死で面接どころじゃなかった。圧倒的に「泣きたくもないタイミング」で「泣いたら困る状況」である。
幸い今は仕事もあるし、次いつ泣かされるかと(誰も泣かそうとしてはいないのだが)ビクビクしながら生きていかなくていい。でもすっかり油断しているときに、ほんとうに唐突にそのときは来る。そのたびにまた落ち込むんだろうな。
今日泣きながら思ったのは、わたしのなかの一番脆い部分が触れられることに抗っているんじゃないかなということ。
わたしがまだ整理をつけられていないグレーな部分に、わたしより先に踏み込んでくるなよっていう警告なんじゃないかって。涙を分泌することによってわたしの口を封じて、その部分を大事に守ろうとしているんじゃないかって。
そうだとしたら、泣かされないための手立ては二つある。
一つは、その防衛機制が作動する前に「この件についてはこれ以上お話いたしかねます」とシャットアウトすること。触れさせなければ何も始まらないはず。
もう一つは、未整理の問題に片をつけること。心のなかにグレーが存在しなければ怖いものなしである。まあ、現実的じゃないけど。
ちょうど昨日『自己コントロールの檻』を読み終えたばかりだから余計だけど、無理に心をこじ開けて整理しようとしなくていいと思うのだ。そうやって強い心を築かなくちゃと焦ったって、パーフェクトヒューマンにはなれないのだから。
よし、決めた。
「今はお話できません」と潔く断れるようになろう。NOと言えるようになるんだ。
追記:
以前にも似たようなことを書いた気がするなと探してみたら、あった。
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