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足の話

ハイヒールを履かなくなって久しい。
そもそもわたしの30年弱の人生のうち、踵をカツカツ言わせていたのはほんのわずかな時間だった。満身創痍の就活生だったあの頃と、新卒で入った会社で営業だったあの頃。がんばったね、
えらかったねって言って抱きしめてあげたいあの頃。

踵の位置が高いと、背筋が伸びる。脚が長く見える。自信のある強い女に見せかけられる。そんな気がして、毎日履いた。満員電車では凶器になりかねないので通勤はフラットシューズで、客先に行くときだけ履きかえた。ヒールを履いて、ジャケットを羽織る。それがわたしの仕事スイッチだったのだろう。

スニーカーがデフォルトの今の仕事に転職してからは、ヒールを履くのは友人の結婚式か知人の葬式、子どもたちの卒業式くらいなものである。あれだけ短期間で履き潰して中の金属を剥き出しにしていた靴が、新品同様のまま丸4年経った。
代わりに、長く履いていたコンバースはゴムの部分がちぎれて先日お別れしたところだ。
ジーンズにスニーカー、ふくれたバックパックを背負って駅のホームを闊歩する。足は長く見えないけれど、サクサク歩ける。半年前に久しぶりにヒールを履いたときには軸がぶれて歩きにくくてしかたなかった。未だ自信のある女にはなれていない気がするが、地に足をつけて歩けているだろう。

ずっと好きなものを履いてきたと思っていた。
ヒールはかわいいし、美しい。間違いなく気分の上がるアイテムだった。でも無理をしていたのも事実なのだろう。学生時代には着なかったキレイめの服をジャケットに合わせて、階段を踏み外さないよう、穴にヒールをつっこまないよう気を配りながら街を歩いた。足は疲れるし、鏡に映るわたしの顔はひどくくすんで見えた。
それは今も変わらないのだろう。歩きやすい靴は楽だけれど、キラキラした足元を見かけるとつい目で追ってしまう。ないものねだりと言ってしまえばそれまでだが、わたしはわたしの履きたいものを選んでいるのではなくて、周囲に求められるものを良いと思って取り込んでいるだけなのかもしれない。好きだと錯覚して応えるけれど、どこか窮屈で苦しいのだ。
わたしの好きは、どこにあるんだろう?

量産品の靴を履く以上、多少の窮屈は致し方あるまい。いま一番のお気に入りの靴を見つけて、それで歩き続けるだけだ。靴の買い物ってどうしても億劫になってしまってついネットで済ませようとしてしまうのがわたしの悪い癖なのだが、緊急事態宣言も明けたことだし、そろそろ足を伸ばしてみようか。

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