選ぶって、わたしの顔をすること

お昼ごはんに、ローソンでおにぎりを買った。
ネギトロ巻きと海老マヨ巻き。三角のおにぎりより、巻いてあるやつのほうが食べやすくて好きだ。なかでも、ネギトロと海老マヨはとくに好きだ。

家に帰って、手を洗って、コップに水を注いで、手を合わせた。
さてどっちから食べようかな。
10秒ぐらい悩んで、ネギトロに決めた。決めた後、えも言われぬ充実感が胸のあたりにじんわりきた。ネギトロ&海老マヨおにぎりを食べられる楽しみもあっただろうけれど、それ以上に今自分が選択をしたことへの喜びなのだと直感した。

どっちを先に食べるかなんて、正直な話あまりにも些細な選択である。どちらを選んでも結局胃の中に収まって、腹を満たしてくれることには変わりない。だけどわたしはあえて選んだのだった。利き手に近い方から適当に取って食べるんじゃなくて、どういう順番だと味覚がどう満たされるかを頭の中でシミュレーションして、ものの10秒とはいえ考えたわけだ。そして、決断を下した。

自分に関わるほんの小さな要素にすぎない。実際、わたしは食にこだわりのないタイプの人間で、できることならば何の選択もせずに適当に腹を満たしていたい。それが楽だとずっと思ってきた。だから、驚いたのだ。「どっちから食べようかな」という問いが自分の中から湧き上がってきたことにも、それに真摯に向き合ったことにも。そしてなにより、選択をしたあとに喜びを感じた事実に。

選ぶって、ほんとうは楽しいことだ。
同時に引き受けなくちゃいけない結果とか責任とかが面倒臭くて時々投げ出したくもなるけれど、決めるって自由だ。わたしを取り巻く不確定要素の海のなかに、わたしが選んだものが流れている。それはとても心強い。それはわたしをわたしたらしめる、拠り所のような存在なのだ。

YOU ARE WHAT YOU EAT.
なんて言うけれど、こだわりを持って選んだものは、わたしの顔をしている。面倒臭がって選ばなかったものは、よそよそしい顔をしている。それでいて、どちらもはたから見たらわたしなのだ。知らない顔のわたしに囲まれていては、どうにも心休まらない。

ネギトロが好き。海老マヨが好き。
好きなものがはっきりしていると、選択軸もブレにくくていい。
キライなものはすぐ言えても、好きなものは迷ってしまうのはなぜだろう。

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