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忘れるな、忘れるな、忘れるな。考えろ、考えろ、考えろ。

記録が飛んだ。
眠い頭で捻り出して途中まで書いた文章だった。昨晩のやりとりを思い起こしながら、わたしなりの考察の糸口をやっと見つけたところだった。

なのに少しの間中断したら、10分間くらい時間が巻き戻ったままになっていた。10分の仕事が、どこかへ消えてしまった。

その場では「絶望してる」なんて冗談めかして笑ってみせたけれど、復旧(はおそらく不可能なので書き直し)は明日にしようと仕事場を後にした今、書きかけた内容をぼんやり思い返しながらじわじわと悲しみが押し寄せてきた。
また書けばいい。そう思うけれどやるせない。
ちゃんと保存ボタンを押さなかったのだろう。いつもはコピーを取っておくのに、慌ててPCを閉じたから。今朝の自分がうらめしい。

一度は掴みかけた何かを、手放してしまったような喪失感。ただ手間が増えたとかではなくて、頭はぼんやりして頼りにならなくても、指先で書き綴ったものはしっかりと根を下ろして確固たるものになってくれるだろう、そういう他力本願な自分の脳みそをガツンとやられたような衝撃だった。
たしかに考えたのは脳みそだ。でも書き出したそばから忘れ去って、空っぽになってしまう無責任さに腹が立つ。その瞬間が気持ちいいだけで、結局なんにも残らないんじゃないか。それで仕事をした気になっているのかと。

だから意地でも書き上げよう。書きかけだった今朝の内容よりも、もっといいものを。10分で掴んだと思った何かより、もっと大きくてたしかなものを。
そうして脳みそに刻み込むのだ。忘れるな、忘れるな、忘れるな。考えろ、考えろ、考えろ。

人間は忘却の生き物だとヘルマン・エビングハウスは言ったそうだが、パスカルは人間を考える葦と呼んだ。
忘れたり、ところどころ思い出したりしながら思考を深めていくのだろう。忘れて失ったものはそっくりそのまま手元に戻ってこないが、目を閉じて耳を澄ませると、引き出しの奥底から尻尾を出しているのに気づいたりする。その尻尾を掴もうと伸ばした手が、偶然に別の引き出しを開ける。

それはまるで夢を見ているようだ。
夢から覚めて、すうっと遠のいていく記憶を手繰りよせては逃げられる。もどかしくて、切なくて。
夢から夢へと移ろいながら、目覚めたわたしに残るのは感覚だけ。肩の強張り、手汗。あるいは温もり、多幸感。
引き出しの中身を取っかえ引っかえしていくうちに、わたしは昨日より一段深いところに沈んでいく。

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