見出し画像

わたしはいつから大人になったんだろう?

はたちだったあの頃を思い返す。
大学2年生、秋。親元を離れた寮暮らしは、何かと不便も多いが気ままだった。朝起きられなくて午前の授業に出られなかったり、自炊を全然しなくて上達しなかったり、すぐ風邪を引いて熱を出したりした。それでも親から仕送りをもらって生きていた。洗濯物を溜め込みながら、コンビニに三食を頼りながら、やりたいことをやってわりと楽しく生きていた。

わたしはあの頃、大人だっただろうか?
あるいはいつから大人になったんだろう?

親からの自立には2段階あったと思う。
最初は大学に上がる前。実家から通えない大学を志望校にして「絶対一人暮らしをする」と決めた。このまま親と暮らしていたら、わたしはわたしを生きられない。大人になれない。そういう直感が強くあって、わたしは家を飛び出した。
とは言っても「東京の大学に進学するために親元を離れる」という地方生活者の大義名分があったので、親と一悶着あったわけではない。父も母もわたしも、誰一人疑問を抱かずごく自然ななりゆきでそうなった。それゆえ盆と正月には帰省をしたし学費も生活費もぜんぶ親に甘えていた。ザ・ゆとり大学生である。

次は、就職をするとき。大学院進学という選択肢がほんの僅かに頭を掠めたとき、それをはっきりと振り払ったのは「はやく経済的に自立したい」の思いだった。
東京に出てきて、誰もがあたりまえに親から仕送りをもらえるわけではないことを知った。一人暮らしで自由を謳歌している気になっていたけれど、なんだかんだ最終的な決裁者は親で、それはわたしが親のお金で生活をしているからだと理解した。わたしが本当に自由になるには、自分で自分を養えるようにならなくてはならないのだと。
だからモラトリアムを終了して就活をしよう、働きに出ようと決めた。

親のすねかじり真っ只中のはたちだったわたしは、間違いなく無邪気な子どもだった。親の庇護のもとで羽を広げて、一人で飛べている気でいたから。
就職をして自分で自分の食い扶持を稼ぐようになって、楽しいだけの生活ではなくなったし少なからず苦しさも経験した。就職とともに住み始めた神奈川のアパートを1年で引き払いシェアハウス生活を始めたとき、わたしは自分の足で立っている感じがした。自分に必要なことを自分で取捨選択して、それに伴う決済を自分でする。自由と責任を手にしたわたしは、やっと大人になれたんだろう。

はやく大人になりたかった。
でも大人になるってどういうことか、本当はよくわかっていなかった。もっと自由になりたい、自分で生きていきたいと、大人の負の面をしっかり見ずに無邪気に願っていた。
とはいえその無邪気さは、父と母からわたしへの最強のプレゼントだったのだと思う。だから躊躇なく大人の世界に飛びこんでくることができたし、自由なだけじゃない大人であることを受け入れられた。

大人が背負うものは大きい。でもわたしは大人であり続けよう。はやく大人になってみたいと、そう子どもたちが思えるような大人の姿を見せよう。
まだ準備のできていない子どもたちが一足飛びに大人にならなくていいように、安心して羽を広げられるような空間をつくれる大人になろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?