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彼女は思考する人

来月からリーダーやってねって言われて二つ返事で「ハイハイ、やりますよ」って言える自分になること。
すなわち、一緒に働く人たちの目から見てわたしがリーダーを任せられる存在であって、なおかつわたし自身もやれる自信を持てている状態。さらに言い換えるならば、それはわたしが現場レベルで一人前になるということ。

恥ずかしいから外ではあんまり言わないけれど、これがわたしの当面の目標だ。これは数年前からずっと自分のなかで掲げてきた目標でもあって、がむしゃらに頑張ってきたぶん、経験値とか考え方の幅はぐっと伸びたと思う。でも、ゴールには全然届いていない。むしろこの先が険しすぎて遠のいているようにすら感じてしまう。このまま突き進んでいっていつか到達しうるのだろうか。なんだか胸がざわざわするのを感じている。

そもそも、わたしのなりたいリーダー像ってどこにあるのだろう。わたしの周囲にいるリーダーたちは、圧倒的なキャリアの持ち主(燃え尽き症候群バーンアウトやライフイベントを機に辞めていく人が多いなか、強靭なメンタルで15年以上働き続けている人たち)か弁の立つカリスマ性の高い人たちばかり。前者を目指すにはあと10年必要だし、後者はあいにくと持ち合わせがない。逆立ちをしたって真似できない人たちをロールモデルにしてもしょうがないのだ。
じゃあ、わたしが目指すべき場所はどこ?

と思ったら、1年前にも似たようなことを書いていた。

この人になりたい、と思ってもなれない。でもこの人をこの人たらしめる構成要素を一つずつ吟味していけば、努力の道筋が見えてくるかもしれない。

たとえば。
わたしの直属の上司にあたる現リーダーは、体力オバケだ。コーヒーだのエナジードリンクだのでドーピングして、睡眠時間1時間の宿直明けという満身創痍のコンディションからエンジンをかけちゃうような底知れなさがある。わたしにはとても無理だし、真似したいとも思わない。
だけど彼女には知識と経験に裏打ちされた確固たる信念と、それをベースにした深い思考がある。わたしだったら寝てしまうような宿直明けの帰りの電車で、アドレナリンを大放出させて思考している。いつも休まず思考しているから、動きながら思考できる。一つひとつの行動に思考の根拠がある。彼女のそういうところにわたしは強く惹かれるし、自分の足りなさを痛感する。

そうか、わたしは思考できる人になりたいのだ。
いつもわたしが自信のないときは、決断を下すための思考が足りないときだ。あっちでもこっちでもいいと決めきれないとき、わたしは思考停止してしまっている。判断を人に委ねて、責任を放棄している。
だから投げ出さずに、思考しよう。自分の判断に繰り返し「なぜ?」を問い、説明することを自分に課そう。

なぜ?
だって、思考を可視化することでその脆さを自覚できるから。思考停止している自分に発破をかけられるから。

なぜ?
だって、AとBどちらも一理あるしリスクもあるから人気のある方にしちゃおう、は論理的な思考じゃない。逃げているだけでは、わたしはいつまでたっても決められない人のままだから。

知識と経験では彼女の足元にも及ばないけれど、わたしだって昨日の記憶のない生まれたての赤ちゃんじゃない。29年生きてきて、感じ取って紡いできた価値観がある。しなやかさを持ちながらも、わたしはわたしを信じてあげよう。

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