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お子さまの癇癪にお悩みのみなさまに共有

久々に、わがバイブル『生活の中の治療』を手に取った。今日は「かんしゃく」の章。
この本は少し前にAmazonで中古で購入したのだけど、この章だけやたらと書き込みがある。
大事なところに鉛筆で傍線が引いてあって、前の持ち主が力を入れて読み込んでいたのがよくわかる。ご苦労されたのでしょうね……。

さて、子どものかんしゃく。
残念ながら、子どもの生活の場で働いていると避けては通れない問題である。
わたしも数年前に小学1年生のかんしゃくに悩まされたことがある。めちゃくちゃ大きな声を出して不服を訴えるので、それに応じるわたしの声も自然とデカくなって、ちょっとした騒ぎになったりもした。苦い思い出。
今はそれはもうないけれど、別の子が最近頻繁に調子を崩してかんしゃくを起こすようになっていて、ちょっともやっとしたものを抱えている。
だから、再読にはちょうどいいタイミングだった。

『生活の中の治療』では、かんしゃくを6つの段階に分けて説明している。ここでおさらいをしておこう(同じように悪戦苦闘している遠くの同志たちのお役に立てたら幸いです)。

1st phase: 不平とぐずり

はじまりは、漠然とした感情。なんとなく不快、なんだか嫌だ。そんな負の感情をすっかり持て余して、なにかにぶつけずにはいられない。それが子どもの理不尽な不平とか、ぐずぐずを誘発するのだ。

そんなとき、わたしたちは子どもを注意深く観察しよう。どんなふうに手を差し伸べれば気持ちを立て直すことができるのか。
子どもが自分で対処できる大きさへと、問題を「包み直させる」のだという。抱えている漠然とした不安を言語化するということがそれにあたる。

2nd phase: 助けて、助けて!

抱えきれなくなった問題を、ついに手放してしまったとき(自我の葛藤を外化する)、子どもは大暴れをしたり大声を出したり物を投げたり暴力に訴えたりする。それは、子どもの「助けて」の声なんだ。
決して自分ではそうと言わないけれど、自分ではもはやコントロールができなくなってしまった以上、わたしたちがそれを抱えてあげて、収めてあげないといけない。

子どもの代わりに「コントロールと安全性を確保する」のがこのフェーズでの対応の基本である。その上で、子どもが抱えているであろう感情のついて、こちらからざっくりとしたメッセージを送る。
このとき、必要があれば物理的に子どもを抱え込む。そうしなくてすむならばなるべくしないで様子を見る。行動制限自体が子どもを刺激するし、かえって安全性が損なわれてしまうことがあるから。また、ここでは「ルールに関する議論」はしない。やっちゃダメってことは子どもはわかってやっているのだから。

3rd phase: 〜して、でないと〜

ここで、子どもは脅しの言葉を口にする。何か(大人が応えられないようなこと)を要求して、それがダメならこうしてやる!っていうやつだ。これは、幼児的な万能感を示している。

そんなことはできません、って切るのは簡単だけど埒があかない。そういう場面。
ここでは、YESでもNOでもない第三の選択肢を提示する(子どもの挑発に乗らない)ことがポイント。
すなわち、あなたの要求しているおよそ不可能な選択肢や脅かし、侮辱だけがこの状況を打開する方法ではないのだということを、子どもに言い続けるということだ。

4th phase: いや、いや!

何を言ってもヤダと言う。こっちへ行こうと言えばあっちがいいと言い、じゃああっちに行こうとすると行かないと言う。天邪鬼で面倒臭いアレ。
これは、自我が原始的な水準まで退行している状態といえる。3rd phaseですでにかなり退行している感はあったけれど、これはその究極である。さて、どうするか。

ヤダと言い続けることで、なんとかわたしとは異なる存在としての自分を区別しようとしている状態だそうだ。言い換えれば、ヤダと言うことでしか、自分という存在を守ることができていない。
あなたはイヤなんだね、そう感じるんだね。でも、あなたはちゃんとこの状況を終わりにできると思うよ。戻っておいで。そんなメッセージを伝え続けるしかない。

5th phase: 放っておいて!

ピークを過ぎて、全般的に落ち着いてきた状態がここ。お茶を飲もうかと声をかけると応じたり、布団に潜り込んで目を合わせないようにしたりする。散々大騒ぎをして、自己同一性を維持したり自己有能感を保とうとしたのに失敗してしまった、そんな強烈な敗北体験を経て落ち込んでいる状態なのだ。

この引きこもりを尊重することが重要だ。
ここで無理矢理話をしようとしてはダメで、早急に日常生活に戻そうとしてもダメ。あなたを気にかけているよのメッセージを伝えて、そっとしておいてあげよう。

6th phase: 後遺症

かんしゃくが終わったら。
何事もなかったかのように振る舞う「すっかり醒めた酔っぱらい」タイプの子どももいる一方で、「二日酔い」状態の子どももいる。

前者の場合は、かんしゃくのときの記憶の回復を促進するような働きかけが有効だ。あなたはあのときこんなふうだったよ、と伝えて自分に起こったことを考えようとする動機づけを与えることができたならば、「二日酔い」を起こすことができるかもしれない。
「二日酔い」は「自己イメージについて話し合える土壌」となる。簡単なことではないけれど、その積み重ねがそもそものかんしゃくの原因たる自己の発達の課題を扱っていくことになるわけだ。


こうしてかんしゃくの理解を深めていくと、なんだか年明けの初かんしゃくがちょっと楽しみになってくる。
待ってろよ、一緒に乗り越えて行こうね。

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