育休11週目の感想
パートナーと向き合い、自分と向き合い、今と向き合う。濃厚な一週間だった。
復職後の働き方の話し合い(夫婦編)
育休もあと一か月。復職が目前に迫って来ていて、具体的なわが家のやりくりを夫と調整すべく話し合いの場を持った。
持ったというか、隙を突いたという感じ。
365日忙殺されている夫とまともに話し合いをしようと思ったら、話せそうなタイミングをうかがっていてもいつまでも「その時」は来ないと学習した。なので、外出先で一緒に中華料理を食べている最中、スマホを見ていない瞬間を捕まえて切り出すことにした。
わたしは早く仕事に復帰したいから産後半年弱でベビーを保育園に預けるけれど、ベビーとの時間も大事にしたいから時短で働くことにする。
とはいえ平日の日中だけの勤務だとろくに仕事場の子どもたちと関わる機会を持てない(子どもたちは学校に行っていてほぼ不在の時間帯なので)。だから、週の半分は平日の夕方や週末の日中で働きたい。保育園のお迎えは夫と半々で担いたい。
わたしの希望を伝えた。
話をしてみての実感としては、「共働きの子育て」の現実の認識のズレがあったんだなということだった。夫はぜんぶわたし任せというつもりもないけれど、「なんとかなる」「頑張るぞ」という意気込みこそあれ、じゃあ実際どうやって回していくのかということはいまいち掴めていない。
だからわたしが「ああしたい、こうしたい、こうしてほしい」と具体的な希望を投げかけると、「えっ、それは困るなあ…」という反応になったのだと思う。
でもそんなことで引き下がるわたしではないので、「困るのはわたしも同じである」「これが現実である」と粘って、夫には「やれるかどうか」ではなくて「どうやれるか」を考えてもらった。
お会計を済ませて帰りの電車の中でも、話し合いは続いた。
一週間のスケジュールをこねくり回した後に、夫は「これならやれると思う」と明るく言った。わたし、心の中でガッツポーズ。
夫婦がともに働きながら、ともに子育てをすること。
いちばん大事なのは、同じ土俵に立つということなんじゃないだろうか。というのが今のところの結論である。
来週は「復職後の働き方の話し合い(職場編)」の予定。
母はちゃんとした大人だった
自分が母になってようやく気づく母のことってよくある話だと思うのだけど、わたしの最近の気づきはこれ。
リビングの床に置いたベビーベッド(ベッドインベッド)にベビーを寝かせ、ダイニングテーブルの上にごちゃごちゃと載っているものたちを一瞥しながら昼食を立ち食いしていたとき。さすがにお行儀が悪いなあと罪悪感が脳裏をよぎって、母のことを考えた。
わたしは確信をもって言える。母だったら、絶対こんなふうにはしない。
幼児期健忘といって人間は赤ちゃんの頃の記憶をもたないから、三十年前の母の言動をわたしは覚えてはいない。だけど確信がある。
わたしの母は立ったままものを食べないし(つまみ食いは除く)、テーブルの上を手のつけようがないほど散らかしておかない。母は徹底的に「ちゃんとした大人」だった。
もちろん人間くさいところもある。しかし、根本がとんでもなくちゃんとしている。それも、いい意味で。
その母に育てられたのに、わたしは立ち食いをしている。なぜだ。
支援物資梱包ボランティア
とあるNPOが能登半島地震の被災地に届ける支援物資の梱包作業要員を募集していると聞いて、参加した。
平日の朝10時から夕方までのフルタイム。夫が一日家にいる日だったので、思い切って終日ベビーを任せることにしたのだ。
広い広い倉庫の中に、各所から仕入れたたくさんの支援物資の入った箱たちがズラリ。これを被災地からのオーダーシートに照らして一人分ずつ梱包して発送する。ピッキング&ラッピングである。
両手でなんとか抱えられるぐらいの段ボール箱いっぱいに、服や靴や学用品を詰める。これを開けたとき、受け取ったその人はどんな気持ちだろうな。嬉しいなって思うだろうか。悔しいなって思うだろうか。
少しでも希望を感じられたらいいな。この場を実現させた多くの人たちの思いを、箱に詰め込む役割を担えることがありがたかった。ぽっと出の単発ボランティアなのに恐縮である。
フルタイム労働を終えた頃には空はすっかり暗く、母乳ははち切れていた。休憩時間に搾乳をするべきだった。職場復帰後も、時短とはいえ搾乳タイムがやはり必要そうだな。
おまけ:ボツになったネタをチラ見せ
・夜寝返りで起きる、起きて寝返りをする?
・やりたいこと消化不良で眠れない夜
・初ほくろ発見
・初旅行
・花粉到来(目薬で乗り切れるか?!)
・わけわからん泣きの後、コテンと寝る。眠かったんだなあ
・唸るベビー、再び
・スローモーションですべてを口に運ぶ
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