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半径5mの外で

人間関係の距離を測るものさしがあるとしたら、わたしの半径5mの円の中にいるのはごく僅かな人たちだ。
家族と職場、以上。

もともと新しく人と繋がるのが億劫なタチで、知らない人ばかりの空間に足を踏み入れると黙り込んで周囲の様子を伺ってしまう。話しかけられるのを待ってしまう。そのまま誰とも話さずに立ち去ることもザラだった。
人と関係性を深めていくことにも不器用で、子どものころは親友という言葉が怖かった。相手が自分と同じ重さでわたしを思ってくれているのかわからないから不安だった。堂々と親友と呼び合える関係が羨ましかった。
人と会わないコロナ禍の新しい生活様式で、わたしはますます人々の輪から疎遠になった。今まではゆるやかにあった「久しぶりに会おうよ」のお誘いをお互いに自粛するようになって、オンラインのセッティングをしてまでやるほどじゃないなと面倒くさがって、あっというまに人と会う予定が皆無になった。きっとわたしより社交的な人たちは、コロナ禍なりのやり方を模索して人々と繋がり続けているだろう。だけどわたしはすっかり手を引いてしまった。人と繋がるハードルが一瞬でとんでもなく高くなってしまった。

今日、久々にオンラインイベントに参加した。古い友人やその仲間たちに囲まれて、わたしの大好物の「家族」や「パートナーシップ」の話を語り合う贅沢な会だった。それがとても居心地がよかった。
主催者やほかの参加者のコミュニケーションスキルの高さに大いに助けられながら、対話をすることの面白さを全身で感じた。それはわたしがすっかり忘れていた感覚だった。
普段の家と職場の往復の生活でも、たしかにたくさんの対話を経験している。それはそれでとても学びのある対話だし、そこに優劣があるわけではない。ただ、家とも仕事とも違うサードプレイス的な場で他者と価値観や経験をシェアすることを、わたしはきっとずっと求めていたんだろう。

わたしの半径5mの外にいる利害関係のない他者だからこそ。
わたしの生活や価値観そのものを相対化して語るには、そういう存在が必要なのだと思う。家族とだったら喧嘩になってしまうか、そうでなくても相手に多少の不快感を与えてしまいかねない。仕事中の同僚にディープなプライベートな話をするのもさすがに憚られる。
家でも職場でもないところに半径5m以内の友情を築けたらそれに越したことはないのだろうけれど、いかんせんそういうマメさを持ち合わせていないのである。

家族と職場、以上。
コロナを言い訳に当面は現状維持をしつつ、時々半径5mの外にも出歩いてみよう。

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