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耳でも目でも伝えるってこと

仕事場では子どもと話をすることが仕事の中心だともいえる。
実際にやっていることだけで見れば、食事を作ったり、洗濯をしたり、片付けをしたり。あるいは献立を立てて買い物をしたり、掃除機をかけたり、幼稚園の送迎や通院の付き添いをしたり。そういう〈do〉がたくさんあるけれど、それらは全部手段であって、目的ではない。

もちろん、話をするということもまた、ひとつの〈do〉にすぎない。
大事なのはその中身であって、何をどのように伝え、伝わったかだ。

そう、伝えることと伝わることは全然ちがう。
10伝えても、10がそのまんま伝わることはない。10のうち1とか2しか伝わっていないことなんてザラで、代わりにテイストの違う2や3が乗っかって伝わっちゃったりする。
それが話をするということ。

わたしの10がそのまま伝わらないのと同じように、彼らの10もまた、わたしにはそのうちの1とか2とかしか届いていないかもしれない。全然ちがう3や4を勝手に受け取っちゃっているかもしれない。
それがコミュニケーションの難しいところ。

今日もたくさん話をして、その内容を終電ギリギリまで残業して日誌に残してきた。そこまでがわたしの仕事なもので。
今日の話は、間に紙を挟んだ。

子どもと進路の話をしながら。
あるいは家族の話をしながら。
間に紙を挟んで、わたしが書きながら、ときには子どももペンを取りながら、話した内容を一緒に整理しながら話した。

書き上がったものを見ながら日誌を書くと、記憶が蘇りやすくて大変便利である。日誌を書く時間の半分は思い出す作業に割かれているので、それが短縮されるのは革命的である。
だけど紙の効用はそれだけじゃない。本質はそこじゃない。

つまり、間に紙を挟んで、その上に書かれた「結論」だったり「要約」だったりを視覚的に共有するということだ。
それは話の到達点を分かち合うことであり、ズレを修正する作業でもある。
紙があると、話が進む。話が伝わる。

耳だけの情報だと、聞き漏らしや誤解が生じやすい。それをゼロにすることは無理だし、10を10のまま伝達することもできない。
だけど、目で同じ情報を共有することで、キャッチできる情報の質は上がる。それはまちがいない。

大事な話だからこそ、紙に書きながら。
この仕事をしていて学んだことの一つだ。

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