マウント、、

今日は2連休開けで憂鬱な気持ちで出勤。

たまにお手伝いに入る後輩の子と久しぶりに仕事をした。
私の職場は基本的に2人体制で暇だから仕事のうちではないが、お喋りは必須なのだ。

でもその子は私より後輩だけれどちょっと大人びたところって言うか背伸びしたいところがあってマウントを取る癖がある。

あの営業さんは使えないだとか、仕事ができないだとか、、、。

でも、価値観は人それぞれで私にとっては仕事ができるできないはどうでも良くて、自分に害があったらそれはもちろん嫌だけれど必要以上に人を貶すことは悪口になると思う。

そもそも、私は仕事ができるできないに重点を置いていないため彼女のマウントは無効なのだ。

私がすごいなあと思う人は、外見もあるかもしれないけれど見た目が良くても中身の性格が良くないと、なんか惜しいと思ってしまうから、人を見る上で重視することは人間性を一番に見る。

基本的に平和主義なのと性格を重視していることによって人の悪口を言って人を下げて自分がその人の上に立っているような気分になっている人を見ることが不快で仕方ない。

彼女とは何回か仕事をして、家族のことなどのお話しを聞いたことがあるからなぜ彼女がそのようにマウントを取るのか、その背景がなんとなく分かる。
様々な要因が重なり彼女は余裕を失ってしまった。
それにより心のバランスを取るためにマウントを取り保っているのだ。

仕事をする上で彼女が常識的で、私の感性が普通から外れているならば私はお勤めすることが向いてないと自分で思う。

でも職場ではこのようなタイプの人って結構いると思う。
偏見かもしれないけど、少し年配の女性が多い職場でよく見る光景である。

確かに、少し前の時代ってそのような人が多いイメージだけどなんとなく今の時代は少なくなってきているのではないかと体感している。

風の時代と呼ばれる時代になったばかりで、徐々に時代と共に価値観が変わりつつある。

もし私の感性が正しいのであれば今後、彼女は生きづらくなってしまうのではないかという心配はある。

ただ、私は私が今まで感じて生きてきたような生きづらさを全ての人に感じで欲しくはなくて、全ての人が生きやすい世の中になって欲しいと常々願っている。

私は直接的に、誰かが生きやすくなるように助けることはできないかも知れないけれど、まずは私は私としての価値観に自信を持つことにする。
生きたいように生かさせていただく。

今までの自己否定せざるを得ない時代は自分の中でもさっさとおしまいにして、新たに自分の創りたい時代を創り上げればいいのだ。

少数派であるが故に自信を失うことが多かったけれど、自分の心の中にある小さな光はずっと消えることはなくて、大人になった今その小さかった光を自分次第で大きく、ピカピカに輝かせることができるのではないかと思う。

人それぞれ、心の中に光がありそれを他人に潰されては絶対にいけないと思う。

全ての人の心の光が大きな光となって、幸せに輝かすことができるようになることを強く願う。


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