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反芻思考

ぐるぐる。
ぐるぐると。
同じことを考えては落ち込む。

それが私。

最近までとても楽しい日々だった。
楽しすぎたくらい。

それがかえって毒になる。
私には楽しすぎる人生は身の丈に合っていない。

楽しい日々での悲しい出来事は少し、
いや、かなり反動がデカすぎる。

悲しい出来事があるとさ、
あなたに話したくなるんだよ。

今日はこんなことがあってねー…
それでとっても悲しくてさー…

それは反芻思考の果ての反復思考に感じる。

悲しいことや自分で抱えきれないものを
一緒に考えてくれていた。
だからあなたに助けを求めたくなるんだね。

でも私はもう、一人で立っているから。

反芻思考でどんなに苦しめられても
あなたに助けてもらうことはもうないよ。

大丈夫。
逃げ道はちゃんとあるの。

私のとっておき。
とっておいてる、とっておき。

でもね、逃げなくてもね
素敵な人たちに囲まれているから
なんやかんや今も幸せなんだ。

あなたは楽しく幸せにやっているのかな。
それだけを願っている。

きっともうこんな日記、
読んでないと思うんだけどね。
読んでないと思うからこそ書けるんだよ。


こちらの11月はまだ紅葉が綺麗。
昼と夜の寒暖差に苦しめられる。

今日寮に帰ってくると
「毛布を取りに事務所まで来てください。」
と、置き手紙がドアノブに貼ってあった。

きっと今年の冬は毛布なしで乗り越えられるなあ。
なんてことを考えながら靴を脱ぎ、置き手紙を捨てる。

もう11月か。
22歳ももうすぐ終わってしまう。

正月に函館八幡宮で引いたおみくじは大吉。
んー、、大吉な年ではなかったかな。
実は大凶を引いた方がいい年になる、
なんて迷信はあながち嘘じゃないかもなんて思ったり。

あー、でもまあ
いい年だったかな。

家族や友達が私の体調を思ってヒヤヒヤする中で
私自身、拗らせた鬱を抱えたまま愛知に来て
どうなることかと自他ともに感じていたな。

実を言えば、愛知に来て何も得られなければ
死に場所を探す予定だった。
それくらいには人生がまるで白黒で
なんの面白みもなかった。
生きる理由がなかった。
さっさと死にたかった。

でもそんな情緒の中、環境をガラッと変えたのは
大正解だったらしい。

ひとりのほうが楽だった。

やっぱり、地元でひとりぽっちを感じる方が
よっぽど悲しくて、行き場がなかった。

今は孤独を感じても
実家に帰れば家族も大好きな動物たちもいるって
逃げ場がある。

些細な幸せを感じられるようになった。

もともと私はひとりに慣れている。
だって一人っ子だし。

あとはコーヒーと紅茶を嗜めるようになったこと。
これは私の人生に奥行きを与えてくれた。

ざっとこれだけでも
死なない理由になる。
生きる理由になった。

あとはまあ
私が死ぬと彼に怒られちゃうしな。
私怒られんの苦手だから。

のらりくらりと、このまま生きていけたら
それだけでいいや。

正社員にはならないの?
定職は?

よく聞かれるけど
私そんなできた人間じゃないから、ごめんね
人と関わることが苦手なくせに
人と関わらないと生きていけない矛盾を抱えているの

別に稼げればいい。今は。

フリーターが将来なんのためになるの?って?

まあ職歴にするにはいまいちピンとこないし
響きも良くない。
そして賞与もないし。
資格が取れるわけでもない、場合によるけど。

でも全て経験だと思う。
無駄ではないでしょ。

若いうちの苦労は買ってでもしろ、だっけ。
そんな言葉があるくらいだし
結果出せばいいわけじゃない。

私の将来の夢、お嫁さんだし。
お母さんだし。

そりゃ夢に見たよ
バリバリ仕事をこなしている私の姿。
でも。向かない。
私には向かないんだ、そういうの。
知っちゃったからさ。

壊れやすい心を優先して生きる方が
穏やかに過ごせるって知った。

これは一種の諦めでもある。

諦めることで自分を大事にできる。
自己肯定感が低い私なりの足掻き。

仕事終わって、マック行ったりジョイフル行ったり
休みの日はカラオケ行ったり遠出したり
たまには仲のいい職場の人と遊んだり。

そんなのが今の私の幸せです。






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