2020年夏のこと


帰省中、母と近所のジェラート屋さんまで散歩に行った。

わたしの足で片道15分もかからないところを、ゆっくり40分以上かけて歩いた。私たちは無事その日の最初のお客さんになり、時間の読みが当たったね、と笑って、まっさらな美しい地平から掬われたジェラートを味わった。地元にしては珍しく晴れていて、午前のやさしい陽にゆっくりと溶けた。

帰り道、母の小さなポシェットはわたしが持った。自分のぶんと両方を左肩にかけて、右肩は母に貸した。行きと同じくらいの時間が経ったころ、私たちはまだ帰路の半分にも満たない地点にいた。ちょうど大きな公園があって、ベンチに座って休憩した。足を痛がりながらしきりにごめんねと謝る母に、日向ぼっこが気持ちいい日でよかったよね、と返した。結局、昼食をとりに仕事から上がってくる父に車で拾ってもらった。母は父に木いちご味がおいしかったことを報告していて、父は自分も食べたかったな〜と羨ましがった。わたしは乗り慣れた運転席の後ろで、窓に右のほっぺたをくっつけて高くなった陽射しを浴びながら、その会話をぼけっと聞いていた。


昨年、母が大きい病気をしたとき、わたしは東京で大学や就活やサークルに追われていた。父との電話で何度も病名を尋ねたけれど、頑なに「大したことないから大丈夫、来なくていいからそっちでがんばって!」としか言ってもらえず、なんかおかしいなあと思いながら、日々に忙殺されて終ぞ見舞いに帰省することはなかった。手術当日、わたしはオーケストラの本番でステージの上にいたけれど、寛解して退院してから知らされた母の病名はガンだった。就活やオケなんてどうでもよかったのに。

どの程度影響したのかはわからないけど、それから神経の持病がすこし悪くなった母は、長い距離を歩くことが難しくなっている。それでも、オーケストラの引退公演には父と一緒に行こうかなと言ってくれた。LINEで送った新潟駅からサントリーホールまでの道程は、アプリに表示される乗り換え時間の3倍で見積もった。

自分には苦手なことがたくさんあって、家族や友達にいっぱい助けてもらってなんとかやっているという自覚がある。夜寝て朝起きることも、計算することも、でかい声を出すことも聞くことも、どうしても、全然、できない。逆に自分にできることってなんなんだろうと考える。わかんないけど、少なくとも母と一緒にゆっくり歩くことはできた。それが少しでも母の助けになったならうれしいし、いつでもやるよと思う。

この日のことを、いつもそんなふうに思い出している。

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