インカレロードの事故を見て・感じ・考えたこと

 去る2022年9月4日、インカレのロードレース競技中に発生した集団落車に巻き込まれ、1名の選手が死亡するという痛ましい事故が起こりました。亡くなられた選手のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 そのうえで本記事を執筆する理由を説明しますと、今回の事故は死亡事故であったこともあり自転車競技に関する話題では異例といえるほど拡散されています。しかし当レースのLIVE映像において事故の状況は確認できず、その他の情報も事故当時の状況を再現するほどの充実したものとは言えないことから「死亡事故」とのセンセーショナルな話題のみが先行して拡散され、対策を冷静に議論するために必要な情報が不足しているように感じられました。そこで当レースに選手として参加し、落車を目の前で目撃した私が記憶している限りの情報を発信することで今後の議論の一助となることを期待するとともに、今回の事故を受けて私が考えたことをまとめてみたいと思った次第です。

 本記事を読むうえでの注意点として、事故当時の状況等は私の記憶を頼りに記述することになるため誤りが含まれる可能性もあります。事故時のより正確・詳細な情報につきましては今後の学連や警察による発表をお待ちください。また極力そのようなことが無いように注意して執筆しておりますが、意図せず亡くなった選手の遺族・関係者の方にとって不快な表現を使用してしまう可能性もあります。万が一にも上記のようなことがありましたら謝罪のうえ訂正させて頂きたいので、私のTwitterのダイレクトメッセージ等に該当箇所の指摘を頂けると幸いです。

https://twitter.com/IshidaMahiro?t=9DGk8r8CKz1rnWfnJmG11g&s=09


また、特に考えたことについては主観的な意見が多分に含まれているということを了承のうえお読み頂けると幸いです。


今回のレースについての前提

 今回の件は普段自転車レースの話題にあまり触れない方にも拡散されていることを考慮し、まずは前提となる今回のレースについての基本情報や当日の状況を確認していきます。
 ここまで「インカレ」と表現しているのは正式名称を「文部科学大臣杯 第77回 全日本大学対抗選手権自転車競技大会」といい、全日本学生自転車競技連盟が開催している中で最大の大会です。大学の部活動として自転車競技に取り組む学生の多くがこの大会を1年間の中で最大の目標としています。今回話題になっている事故が発生したのはこのインカレの最終日となる4日目のロードレース中においてのことでした。ロードレースは鹿児島県肝属郡錦江町役場を起点とした24.2kmの特設コースを6周回、計145kmで競われました(当然コース内は交通規制が行われており、規制されていない公道上での自転車の話とは次元が違う話であることをご理解ください)。当日には155名の選手がスタートしていました。

事故は⑥からの下りで発生

 レース当日は台風の接近の影響もあり雨が降ったりやんだりの不安定な天候で、特にレース2周目の後半にかけては雨粒が痛く感じるほど激しく雨が降る時間帯もありました。

落車当時の状況

 大落車が発生したのは4周目、16km地点から始まる下り区間を1kmほど下った先にある左コーナーでした。この下りの最初の1kmは直線的で集団内での位置調整のため以外にブレーキを握る必要はなく、80~90km/h程と非常にスピードが出る地点でした。そのようなスピードで突入することになる、この下りで初めてブレーキをかけて曲がる必要がある地点が現場となった左コーナーだったのです。路面は少し前に激しく降った雨により完全にウェットでした。
 
 下りに突入した時点で集団はおおよそ70名程になっており、私は集団の中盤から後半のあたりを走っていました。視界自体は確保できる状況であったもののコーナーの先での出来事だったためどの選手がどのようにして最初に落車したのかは確認できませんでしたが、集団前方の右側から発生した落車によって主に集団の右側を走っていた選手達がなぎ倒され、前の選手を回避しようとしてコース外に突っ込み、あるいは急ブレーキをかけたためにタイヤをロックさせて転倒するなどしてコーナーのアウト側を塞ぐような形の大落車となりました。私自身落車しないように自転車を動かすのに精一杯だったため気付いていませんでしたが、巻き込まれた選手からの伝聞(私自身が確認したものではない)によるとこの時コーナーのイン側には雨水の流れによって川のようになっている箇所があり、これが落車の原因になったのかもしれないとのことでした。

レース前・レース中に感じ・考えていたこと

 私はレース前、今回のコースが発表された時から今回の下りに関しては危険なコース設定だなと感じていました。コースマップを見れば分かる通り2km強の距離で200mの高度を駆け下るというのは私がこれまで走ってきたロードレースにおいて体験したことの無いものであり、150名の集団がレースをしながら突入して6回も無事に下りきれるものなのかと不安に思っていました。
 
 試走の段階になってその不安はさらに大きいものになりました。私の想像以上に直線的でペダルを踏まずともスピードが出る下りであり、当時すでに確認できていたレース当日の雨予報と合わせて考えれば「できる限り安全第一で下らせてほしい」というのは出走する多くの選手達が願っていたことであったと思います。

 しかし今回のコース設定はレースとしての展開を考えた際にゆっくり下ることを許されないものでもありました。2km下った先には道幅が狭い直角コーナーが控えており、その先は強い風の吹く海岸線沿いの平坦路となっていました。このようなコースでは集団は長く伸びるため容易に分断が発生して復帰しようとする集団後方の選手の脚を削り、あるいは勝負から脱落させてしまいます。インカレという最大の目標のでより良い結果を出すためには下りで周囲の選手より速く走り、集団内での自らの位置を上げるような走り方をせざるを得ませんでした。

 レース中の私は下りで無理に位置を上げることは狙わず、位置を落とさない範囲で周囲の選手と車間を開けたり走行技術の面で信頼できる選手の後ろについて下ることを意識して走っていました。この意識は私の脚を多少削ったかもしれませんが、同時に落車の危機から救ってもくれました。ただ当然レースに参加している選手の中には結果を追い求めてなるべく速く下ろうとする選手もいるので、集団内では非常に速い速度で走りながらも濡れた路面に加えて周囲の選手との位置関係にも気を配る必要がありました。

 落車が発生した4周目に関しては私は下りの直前で集団内での位置を上げることも選択できる位置にいましたが、脚の消耗を嫌って集団中盤から後半にかけての位置を変えようとしませんでした。落車が発生した際には巻き込まれたチームメートのことが心配になると同時に「何かが違えば自分がまきこまれていたかもしれない」という恐怖感に襲われましたが、レース中であり前の集団に追いつかなければいけなかったためそれ以上に考え込むことはなく、この落車が選手の命に関わるようなものであるとまで考えが回りませんでした。

レース後に感じ・考えたこと

 結局この落車で一人の選手が意識不明・心停止に陥っているというのを聞いたのはレースが終わった後しばらくたってからであり、亡くなったというのを知ったのは翌日朝のことでした。もちろん彼とより深い関わりのあった方々の心境は私の想像を絶するものでしょうが、私自身言葉を交わしたことはないものの亡くなった選手と同じレースを数度にわたって走っており、強い選手の一人として記憶していただけに亡くなったというのは本当に残念としか言いようのない心境でした。また自分が走っていたレースで亡くなる方が出るというのも当然初めての経験であり、私の語彙力では言い表しようのない非常に複雑な感情を味わいました。

 そしてこのような心情の中で考えたことは、「どうしたらこんな事態を繰り返さないようにできるのだろうか」ということでした。私は決して発想力豊かなわけでもなく、また自転車レースにおける事故に起因する怪我についての専門家でもありません。ここで話すことはもしかしたら非常に見当違いなことかもしれませんし、予算面等の問題から机上の空論としか言えないものであるかもしれません。それでも一選手として悲劇を繰り返さないために、レースを終えてから今まで考えたことについて以下にまとめてみたいと思います。

 まず落車を発生しないようにするという対処法についてですが、これについてはここでは検討しないことにします。もちろん落車の発生をゼロに抑えることができるならこのような事態は繰り返されないでしょう。しかし自転車レースにおける落車というのは原因も、原因に繋がり得る要素もあまりに雑多で複雑です。そのうえ今回は落車の発生原因を明確には確認できていません。落車した選手たちが未熟であったというだけの話であればまだわかりやすいですが、今回落車した選手達の中には何名も日本の大学生レーサーのトップ層と言って差し支えない選手たちが含まれていました。彼らの様な技術的にも経験的にも熟達の域に近い選手たちですら捕えられてしまった落車という魔物をレースから追い出すという議論において私のような未熟な者では力不足です。よって私は落車が発生するのはある程度仕方のないこととしたうえで、落車してしまった選手の命をいかに守るかということについて考えたことをまとめていきたいと思います。

 ということで落車した選手の命の守り方を考えるうえで、今回私の中で特に基礎となった考え方について説明しておきます。上記の通りロードレースをはじめとする自転車競技において落車というのは往々にして起こり得るものです。そしてそのような落車事故において骨折などの重傷を負う選手が出るというのも特別珍しいというまでには至りません。しかし、落車が原因で死亡するという事例は重傷を負う場合と比べて極端に減るように感じられます。つまり、落車による負傷が重傷で収まるか死にまで至ってしまうかという二つの事象の間には高い壁があるのではないでしょうか。そして落車による負傷が原因で死亡してしまう事例というのはこの高い壁をかろうじて乗り越えられてしまった際の結果になるのではないかと考えました。つまり壁を少し高くしてやれば、これまでかろうじて乗り越えてきたものを跳ね返せるようになり死亡率は下がるのではないかと考えたのです。もちろん現実はそれほど単純化できるものでもないでしょうが、二つの事象の間の壁を少しでも高くしてやる工夫を施せば落車による死亡率は下がるというのは道理であり、自分自身の思考を整理するうえでも分かりやすい考え方であるためこれを基礎に置きました。

 まず第一に考えたのは、コース側の仕掛けについてです。今回亡くなった選手については、私自身が確認したのではなくスタッフや他の選手からの伝聞ではあるものの落車時に電柱に激突したとの話を聞きました。確実な情報であるかは分かりませんが真偽を置いておくとしても、例えば今後下り区間に存在する電柱やポール、ガードレール等に緩衝材を巻き付けていくという行為は上記の「少し壁を高くする」作業になり得るのではないでしょうか。少なくとも今回のインカレには見られなかった仕掛けとして検討する価値はあるように思えます。また今回の落車に直接の影響はなかったのかもしれませんが、落車が起こったのと同じ下り区間に二か所ほどアスファルトがへこんで大きめの段差となっている箇所がありました。多くの選手が試走の段階で気づいていたためにこの段差は大きな問題とならなかったのかもしれませんが、実際に高速で下っている最中に予期せず踏んでしまえば十分落車の原因となる箇所であったのにもかかわらず、レース中にこれらの段差を警告するような表示も見られませんでした。仮にこれらの段差を警告する表示をすることがあれば、それも「少し壁を高くする」作業になり得たかもしれません。
 もちろん今回のように24kmもの距離がある周回コースのすべての段差に警告表示をし、すべての電柱やポール、ガードレール等に緩衝材を巻き付けろというのは運営側に対してあまりに酷な要求であると思います。しかし、コース内でも明確に危険な箇所である下り区間にすら惜しむべき作業ではないように感じます。もちろん結果論的に責任を追及することには意味などないので、今回の事態を教訓に今後のレースにおいてコース側の仕掛けについても一歩進んだ備えが為されるようになるのであれば選手としても、また自転車ファンとしてもうれしい限りです。

 続いては選手側の装備についてです。現状ロードレースの選手たちが身に着けている装備の中で選手の身を守ることを第一としている物はヘルメットくらいのものです。次点でグローブが挙げられるかもしれませんが、生命維持に重要な箇所を守るものとは言えないでしょう。そこで私が検討してみていただきたいのが、プロテクターの着用です。
 今回の落車事故の後、チームメートに対して「ロードレースにおいてプロテクターの着用を導入するという考えについてどう思うか」ということを聞いてみました。それに対する答えは「暑さや体との擦れ、体が動かしにくくなる等のデメリットが大きくロードレースに適すとは思わない」とのことでした。この意見については聞いた当時の私も同感でした。外傷の怖さに隠れがちではありますが、熱中症もロードレース選手にとっては恐ろしい敵であり、レース中に熱中症で気を失って落車してしまったという事例も聞いたことがあります。また体との擦れや体が動かしにくくなる不快感というのも今のロードレースの動きやすさ、不快感の少なさを考えれば無理のない意見だと思います。
 ただ今回の事故について考えているうちに、ロードレースだからと思考停止的にプロテクターの導入を拒絶するのも違うのではないかとも思うようになりました。例えば上記の意見にあった「暑さや体との擦れ、体が動かしにくくなる等のデメリット」というのは誰がどの程度のデメリットとなるのかを検証したのでしょうか?私の「少し壁を高くする」考え方では重要臓器への衝撃を多少和らげられる程度の胸部プロテクターを装着するだけでも十分な効果を見込めるのではないかと思いますが、その状態でどの程度のデメリットを感じるかは実際に自ら検証してみないとわかりません。
 またそもそも、自転車ロードレース向けのプロテクターが開発されておらず、世に出回っていないというのも今の選手たちの意識に影響を与えているのかもしれません。プロテクターと言えばごつくて暑いうえに自転車上での動きが難しくなるとの認識が定着しているのであれば、それを払しょくするような通気性と伸縮性を備えた、ロードバイク向けのプロテクターのベンチマークとなるようなものが開発されれば風向きは大きく変わるのではないかとも思います。参考としてロード選手のプロテクターの着用について栗村修氏が意見を述べている動画を添付しておきますので、気になる方はこちらも確認してみていただけると幸いです。
 


終わりに

 今回のインカレロードで起こってしまった事故は非常に痛ましくショッキングなものでした。しかし私が真に恐れているのはこの痛ましくショッキングな事故が「自転車競技は危ない」というだけの文脈で語られ、消費され、いつの間にか忘れ去られてしまうことです。私は今回亡くなった選手を個人的に知るわけではありませんし、もちろん彼の代弁者たる資格もありませんが、彼が自らの青春を捧げるほど入れ込んでいた自転車競技をそのように扱われてしまうというのは悲しいことなのではないかと思います。私たちがすべき扱いはそのようなものではなく、むしろ今回の教訓を次に活かして自転車競技の安全性を高め、さらなる発展を目指すことではないでしょうか。私自身は自らがそのために何ができるかというのをはっきりわかっているわけではありません。しかしこの文章を執筆するという行為が何か次につながってくれるものであると信じています。最後に一人の選手、一人の自転車好きとして今後の自転車競技の発展を祈念し、この文章を締めようと思います。長々と駄文を連ねることになってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。



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