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写真を撮り続ける理由

今回はKen Tanahashiさんのnote企画に参加させていただきます。

むかーしむかしの話
飽き性の父が放り投げておいた重たいフィルムカメラで初めて写真を撮ったのが確か幼稚園生の時。
父より上手と褒められたのをよく覚えています。
これまた父が途中で飽きた盆栽とかも撮っていた記憶があります。今思うと、盆栽は動かないからピント合わせやすかったんでしょうね。

断捨離中に出てきた独身時代の父の写真
エモいってこういうことかも
こちらは母の独身時代の写真
小津安二郎の映画のような写り
モノクロは想像を掻き立てられるから好き

振り返ってみると、小さい頃からカメラで写真を撮るというのは当たり前の習慣で、修学旅行、友達との旅行、子供たちの日常…どんな時でもカメラ持参で撮っていました。

そして今は、スナップやたまにポートレート、そしてカラーコーンを好んで撮っていますが、特に好きなのは静かな写真。

また、それとは別に自分の死生観をテーマに写真を撮り続けています。

いつか自分の死生観を写真だけで本にまとめるのが夢?というか目標です。
自分の遺書として写真集を遺して、娘たちが「なにこれ?意味わからん!」て言ってるのを想像するだけでニヤニヤしちゃいます。
そんなわがままな写真集が作れたら本望です。
(なにかに理由をつけて実現することから逃げないようにここに記しますw)

ただ、それだけのために撮ってるわけでもないんですよね。
シンプルに写真が好き!ってだけなんです。
撮るだけはでなく、写真集や写真展を見るのも好きだけれど、やはり「写真が好き!」なだけなんだ思うんです。 

先日、大好きな写真家の熊谷誠司さんにお会いできる機会があり、その時に熊谷さんが、「みんなは写真が好き?写真集が好き?機材が好き?どれが一番好き?」て聞かれて、「写真ですっ!」と迷いなく即答していた自分がいました。
(熊谷さんはどれが一番でもいいんだよ!と仰っていました)

ヒカリのきれいなアトリエでした✨

なんで自分は写真を撮っているんだろう?と歩きながら考えている最中でもシャッターを切っていて、理由という理由が未だに見つからないけれど、写真が好き!とだけは言えるから、それでいいかなと。

楽しければそれだけでじゅうぶん!
かも知れない。
わたしはそれだけでいいし、それでいい。

写真はじめてみようかなって思っている人はぜひ試しに始めてみてほしい。
きっと今までと違った世界が見えてくるはず。

ではまた。

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