「でもやっぱり人間向いてないわ」役があって感情がある
自虐的だと言われて、
自分でもそうだなと思う。
素直になっていいよと言われて、
そんな自分どこにいるんだろうと思った。
辛いと感じた時ほど、笑う。
それが私がなりたい私だから、
感情があって笑うのではなく、
笑顔になって、その後感情をつける。
だから、それはいつだってチグハグだ。
辛い時、浮ついてしまいそうな時
私は役を考える。
まるでドラマの中に入り込んだかのように、
「今はこういう役だから、泣いてはいけない」
と心に言い聞かせる。
なんで、こんなふうに考えるようになったのかといえば、周りからのキャラクター付けを拒否しなかったからだと思う。
その役を演じ切ろうとどこかで思った。
真面目だと言われれば、真面目を演じ切りたかったし、
黒幕と言われれば、黒幕を演じ切りたいと思った。
役があって、私はその役に合わせて行動していた、感情は後回しにしてきた。
どうしてだろうか。
高校生の時に、自分ではどうしようもないくらい辛いことがあった、
今まで頑張ってきた全てを奪われて、
私はどうしたらいいのかわからないまま受験に突入した。受験があって良かったと思う、
何をやらなければならないか明確だったから、悩む暇がなかった。
この時も受験生という役が、私を辛い状況から救ってくれたわけだ。
また、その時の私は荒れに荒れて、
周りの大人を噛みまくっていたのだが、
周りもついていけなかったと思う。
こんな多感な時期に、私は親に助けを求めた。
死にたい
ただ一言だけ。そう伝えた。
本当に死にたかったけれども、
親からの返答は「死にたいなら死ねば」だった。
私が精一杯言った気持ちは、
私の意図しない形で受け入れられた。
あんなに感情が剥き出しになったのは、
後にも先にもなかったと思う。
親は親で大変であったと思うので、
それを「親ガチャ失敗した」とかそんな他責的にはしたくないのではあるが、
私は感情を剥き出しにすることの恐ろしさを知った。
それから、閾値が上がり、
ちょっとしたことは隠すようになった。
親に心配をかけたくなかったからと言えば聞こえはいいが、本当は違う、
受け止めてもらえないと思ったからだ。
それは正確には自分が思い描くようには受け止めてもらえないからだ。
だから、少しずつ隠すようになった気がする。
相手がどうやったら受け止めてもらえるかと考えた結果、私の感情が極端に後回しになってしまったのだと思う。
昔、会う度に毎回セックスをしていた彼氏がいたのだが、ふと、この人とセックスをしないで会うことはできるのだろうかと疑問に思った、
セックスなかったら、その人が離れてしまうような感覚があって、もしセックスがなくてもそばにいてくれれば、それはとても嬉しいことである気がした。
けれど、
この人は「セックスなしで会うなんてできないよ、性処理になるのはお互い様でしょ」と言った。そうか、私たちの関係はセックスなしでは成り立たないのだと痛感したが、
不思議と涙は流れてこなかった。
私もその人で性欲を処理していたわけだから、
大好きと性欲の狭間にいた気がする。
彼はそんなもんだよと笑っていた。
だから、私はこの役を演じ切ろうと思った。
多分、それは側から見れば、というか書いている私でさえもおかしいなと思うのだが、
その仮面が外れないのだ。
書いていて、
もっと生きやすい、エネルギーを温存して生きるやり方がありそうなものだが、
私はこの術を使って生きている。
術という色物でもないのだが。
けれど、時々それが外れる場面があって、
監督との電話と、人をご飯に誘う時。
監督の電話は何を言っても、受け止めてもらえるので、偽らないでいられる。
忖度なく悪いことは悪いというため、
ただ肯定されているわけでもないのに、居心地が良いのが不思議である。
もう一つは、人をご飯に誘う時で、
本当にその人を人として好きなので、この好きという気持ちに偽りはないなと思う。この2つは気持ちが先で、役は後からついてきている気がする。
基本的に感情と行動はチグハグなのだが、
多分上記に挙げた以外にも感情が先立つ時があって、そんな瞬間が私を支えてくれている気がする。
実現するかもわからない食事会が楽しみでなんとか息してる今日この頃。
別れは寂しく、人に傷つくことも多いが、
最後は人に救われるのだ。
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