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「やっぱり人間向いてないわ」どんな大人になりたかったか。

私はどんな大人になりたかったのだろうか。


元々、大人になるのが嫌だった。
嘘はつくし、偉そうだし、
なによりも楽しそうではない気がした。
私もそんな大人になってしまったのだろうか。


予定としてはこんなに性についてオープンに語ることは想定してなかった。けれど書きたいことを書いていたらこんなラインナップになってしまった。
どうか、私の知り合いは読まないでほしい。


私は大人になってよかったなと思う。
家族という輪からどんどん大きくなって、
いろんな人と関わって、その関わりは私の養分になったと思うし、私はしがらみから解放された気がした。
また働いてお金をもらって、私は満ちていると感じる。別に何か大きなことをしたわけでも、お金持ちでもないけれど、今の生活には満足している。こうやって書きたいことをnoteに書き留める。 なんてことない日常だけれど私は幸せである。


性のことはタブーで、けがらわしいものかと思っていたが、違う。それは『「やっぱり人間向いてないわ」セックスの話』でも書いたのだが、私は運良く、やっぱりけがらわしいんだ!とならずに済んだ。
運良くリカバリーできた件である。
これからも性のことはずっと考えていくんだと思う。


大人になってだいぶ経つが、楽しいと感じる。
大人になって何かが変わるのかと思っていたが、そういうこともなく、子どもの頃のままである。変わったのは、少し生きる術を身につけた程度で何かあればまた綻びが出てしまうのだった。
けれど、ちょっと前はその綻びが嫌だと感じていたが、最近は愛くるしいものであるように思う。

人間らしくていい

最近は、そう思うようにしている。
そう思うようにしているとは、まだ自然には思えないのだ。
私の身近な人が「そこが人間らしくていいね」と口癖のようにいうのだ。確かにそうだと思う。おでんの時につけるカラシのような、そんな感じだろうか。いっぱいありすぎたら困るのだが、それが個性にもありうる。そうやってただ拒否するのではなく、「人間らしくていいね」と受け止める姿勢は私はとても素敵だと思った。
ヒューマンエラーという言葉があるように、人はエラーをするのだ。するとわかっているものに腹を立てても仕方ない。リカバリーしているなと思う。
最近はこの人が、私のなりたい大人である。
こういう自分もなりたいなと思う大人に出会うと、私も頑張らねばと活力が湧く。
そういって今からすぐに頑張れないのも、人間らしい私なのかもしれない。
だから「やっぱり人間に向いてないな」と思っている時点で、まだ人間なのだ。

大人になった今、不完全な自分を受け入れつつある。「自分は不完全なんだな」と認める大人になった。

人間らしくていいね、そうやってうまくこれから困難を乗り越えていきたい。

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