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「でもやっぱり人間向いてないわ」沼られる感覚と殺される恐怖

親しい人によく沼られる。
私が沼らせているのだと思う。

その感覚はあるのだ。

今回は私の人間性を疑うことを書くかもしれない。


人にすごく尽くすのを一瞬だけやってしまう。それは多分その人に今までにない感覚を持ち、快感をもたらしている。

こんなにやってくれているということは自分が好かれているのだという自信に変わっているのだが、私の行動と好意がまるで合っていない。
ちなみに、自分勝手であるが、
ガッとこられるとめちゃくちゃ引く。
そのため、少し冷たいくらいが大変ちょうどいいのである。私は追いかけたのだ。

しかしながら、わたしの対応がこんなものなので、とにかく沼られるという感覚がある。
表に立つお仕事の人はこのような感覚なのかなと、自分がアイドルや女優になった気分になる。
私の気持ちと好意を寄せている相手の感覚にはかなりの相違があって、
私のイメージばかりが見えない世間に浸透して、
葛藤している。
今期のドラマの反響があり、好感度が爆上がりであるが、本来の自分はあんな役のような素敵な生活も前向きな姉御肌の性格も持ち合わせていないんだよなぁと思う。
メイクさんやスタイリストさん、監督、
もう数え切れないくらいの人に私は見た目も中身も支えてもらって、あの役ができている。
でもそれは画面の中では、支えられている人が見えないように演じなければならない。
だから、世間のイメージと乖離するのは自然なことだし、体のいいランキングで上位なのはごく自然ではあるが、そこに私はいない感覚がある。

と、少し女優の程で文を書いてみたら、
なんだかしっくりきてスラスラ書けてしまった。
妄想というのは怖すぎるが、それが成立すれば、小説となると考えれば、怖いという感情はどこかに消える。

話を戻すと、
一瞬だけしてしまうその瞬間は、
この瞬間が永遠にできる気がしてしまっている。
こうやって文章に起こすと、自分勝手と思う。
私の自己コントロールができていないばかりに、相手を振り回している。
反省した。

反省ついでに、
沼られるというと、若干被害者ぶれ、
こうして文章に起こしやすいのだが、
被害者はどちらなのかという話である。
明記しないでおきたいと思う。

見た目としても、
推すには申し分ないはずだ。
私は自分という存在が、
人の隣にいる際に飾りの役割も担っていると思って、隣にいる。
誰か、この文を書いた自分の目を覚させてほしい。私の見た目に賛否あろうとも、気持ちはそんな気持ちでいる。


沼らせておいて、出ていってほしいのである。
私は沼りたい、相手を追いかけたいのだ。
だから、私の性には合わない。
三角関係である。

三角関係にはならないのだが、
私がそっぽ向いていることについて、
相手がどうしてこちらを見てくれないのか怒るなど、なんらかの感情が揺さぶられるわけである。悪循環である。

しばしば、何人かと別れてきたのだが、
その度に「殺されるのではないか」と
少しヒヤヒヤした。
手に入れるためには、脅すなり、
殺すなり、何かアクションを起こされる他ないように思う。幸いそんなことをされずに済んでいるのだが、度々私は命の危機に晒されている。
気持ち的に晒されているだけなので、
脅されてはいない。その上で、何か身の危険を感じている。感覚的なものなので、もちろん警察には言えないのだが、ぼんやりとそんなことを感じている。

この間は、元カレの親から復縁きてくれないかという連絡が半年以上ぶりに入った。
元カレとはもちろん連絡をとっていない。
この親はいつも私の想像の範疇を超えてくる。
毎回想像より上のものを提供してくる。

すごすぎる。私は恐怖のあまりに、
メールが来た瞬間に手が震えた。
信頼できる人に連絡を取ったが、皆一律に
「怖」と言った。「怖い」ではなかった。

彼氏というポジション以上に殺されるのではないかという感覚があった。

まだ、私は生きている。
愛が憎しみに変わる瞬間を見てきた。
それがいつか本物にならないことを祈りながら、
私はギネスに載るぐらいの長生きを望んでいる。

一度愛した人だ、
殺されるならそれを甘んじて受けよう。

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