誰も否定しない
#母親アップデートコミュニティ に入り、早1ヶ月半。
入るまでと入ってからの大きな変化に気づいた
私は、コミュニティが作りたかったのに、
コミュニティ自体を避けていた、ということに気づいた。
その瞬間は、走馬灯のように14歳の私に戻った。
去年書いたこの記事
ここに書いたあの「いじめ」の記憶に遡った。
37年前のこと。
人生で多分、初めてで、そして多分、最後の「いじめ」を経験した。
陰湿ではなかったのかもしれない。
いじめた本人達とは、その後普通に会話を続けていたから。
でも、いつ、どうやって、そのいじめが終わったのか?
その記憶は一切無い。
強く覚えているのは、ある朝、学校に行くと女子がみんな私を避けて、無視をされた。
ただそれだけのことだった。
だから、当時部活に出たのか?出なかったのか?
もう、それさえも消え去ってしまっている。
記憶って本当に辛かったその瞬間しか記憶の引き出しが開かないものなんだな、と思っている。
そう、あの時のあの37年前の経験が、私のブレーキになっていたのだ!
と気づいたのは、母親アップデートコミュニティのランチ会での出来事だった。
#HUCメンバー は、その時の私の様子は、#HUC の FB #ランチ会スレッド に動画が上がっているから、興味がありましたら是非。
37年前に、部活という思春期に必ず誰もが経験するコミュニティ内で、「意見」を言っただけで、無視をされた。
意見を言ってはいけないのか?言ったら、人生終わるのか?
14歳の私はそう思っていた。
誰かに合わせないと、生きていけないのか?この世の中は、、と思っていた。
死んでしまいたい、と本気で思ったことも覚えている。
そんなその経験が、大人になってもコミュニティ嫌いを作っていたのか、と気づいた瞬間だったのです。
あのランチ会に、たまたま、リーダーのなつみっくすが居たのも関連するかもしれない。
HUCに入るまでに、ずっとなつみっくすのブログを読んでいた。
先月、私が入会した直後にアップされているこの記事、まさに私がずっと追い求めていたことだ!と思っていたのです。
入会の背中を押してくれた、もっちーことリエさん
との出会いも本当に大きい。コロナ禍に語り合ったあの時間で、少しずつコミュニティ、SNSの中でのやりとりのリハビリをしていたのだな、と今になって繋がってくる。
ママ友や本当に気が許せる仲間とであれば、、、、という「枠」が大きかった。
小さい人数で、話ができる相手
それならば、オンラインでも大丈夫、みたいな思い込みが会ったのは、結果的にいじめを経験した時の「ブレーキ」だったのか!と気づいたら、目の前でHUCのメンバーが泣いていたんです。
すごい、私の代わりに泣いてくれている!っていうか、これが伝わるの?
私の中で、このHUCの中で泳ぎながら、心理的安全性を確かめていたのでした。
「 #誰も否定しない 」
その神ルールのもと集まってきた母親たち。
その母親の中で、私は泳ぎ始めた。
私は、37年も言いたいことを言っていたと思い込んでいたのでした。
意見を言うたびに、常にブレーキをかけて言っていた。
だから、口調が強くなることもある。
それは、37年前に「言わない方が生きていける」と言う生命の危機管理からきた話だったのです。
今、私は自由にHUCの中を泳ぎながら、本当に作りたかった世界観に生きるために、リハビリをスタートしたんだ、と思った、この大きな #私のアップデート を記録に残しました。
からだから見る育児を世界中に広げたい。
その野望とともに、アップデートしながらリハビリしていきたいと思います。
追記
この一連の「気づき」を泣きながら夫にシェアしました。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいる「その理由」の根っこは、ここにあったかも、と。
長いこと、パンドラの箱に仕舞い込んでいたなぁ。。。と。
今はスッキリ。