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2月の2レースを振り返って

今シーズンが終了した。
よく、終わりよければ全て良し、と言われるが、そういう意味では、今シーズンは全てダメということになる。
それでは、2月の2レースを振り返りたい。


まず、この2つのレースを振り返る前に、石川県輪島市への災害派遣を書いておきたい。
1/23から2/1までの10日間、元旦の能登半島地震で大きな被害を受けた石川県輪島市に派遣された(被害家屋認定調査業務のため)。




NHKで放送された様子



現地の状況は大変厳しいものだった。
家屋は軒並み倒壊し、道路や河川堤防、漁港といったインフラ施設も大きく損壊しており、改めて自然の持つ力の恐ろしさを思い知らされた。

そして、私の出身地である高知県幡多郡も能登半島と同じように、三方を海に囲まれ、幹線道路は1本といった地理的特性を持つため、決して他人事ではないと肝に銘じた。

さて、私が石川県に派遣されている期間中は、今シーズン最強の寒波の到来と重なり、大雪が襲った。
南国育ちの私にとっては、この雪と寒さは本当に堪えた。

雪の金沢城跡

能登半島地震の支援業務を担った者として、被災地の一日も早い復旧、復興、被災者の皆様の早期の生活再建を願いたい。


話を2月のレースに戻そう。
私が出場したレースは以下の通りである。
・2/11 全日本実業団ハーフマラソン
→1時間6分27秒 PB
(15'46,15'35,15'41,15'55,3'30)
・2/18 高知龍馬マラソン
→3時間4分47秒 ワースト
(16'11,16'25,17'21,17'53,18'53,20'09,34'30,34'19,9'06)

石川への派遣が決まった直後、正直この2レースは諦めかけていた。
1番マラソン練習をしないといけない時期にできないというのは、即ちレースで走れないということだからだ。

それでも、せめてハーフマラソンだけでも自己ベストを出したい(それまでは1時間10分36秒)と思い、石川から高知に戻った2日後に5km×3を1人で行ったところ、思っていた100倍良い練習(16'03,15'49,15'20)ができた。

これはまだ可能性があるかもしれない。

そうして臨んだ山口県での実業団ハーフ。
スタート5分前までブレーカー着用が許されるとてもランナーファーストのハイレベルな大会だ。

維新みらいふスタジアム

コースは前半の5kmまででかなりきつい上り坂があるが、それを乗り越えると後半にかけて下り基調のコース。

思い描いたレースプランは、前半10kmを30分40秒前後で通過して後半も3分6〜8秒で粘り、65分台でゴールする、だった。

スタートして目標通りのペースを刻む集団を見つけ、着いて行ったが、警戒していた上りが予想以上にきつい、、、

結局ここで波に乗り切れず、その後の下りも上手く調子に乗れない。
後半も何とか粘ったが、20km過ぎで脚を攣ってしまい、万事休す。
目標タイムを大きく下回る66分27秒でのゴールとなった。

やはり前半で流れに乗り、後半もその流れを利用して粘るという走りが出来ず、後半ガタガタっときてしまった。

あまり納得のいく自己ベストではないが、災害派遣中にあまり走れなかった中では及第点か…


さて、その翌週の龍馬マラソンを迎える訳だが、前日までハーフマラソンの疲労が全く取れず、スタートラインに立てるかさえ不安な状況だった。

このような体の状態では満足に走れる訳がない。
結局、行けるところまで行って、後は盛大に垂れる作戦で行くことにした。

スタートは9時だが、テレビでの中継が10時から始まるので、最低でも1時間は先頭集団で粘りたい。
ダメならダメなりに爪痕を残したい、そう思ってスタートした。

しかし、昨年からレースに参加する青山学院大学の選手1人が3分10秒前後のハイペースで飛ばす予想外の展開に。
これじゃ1時間も粘れそうにないなと思いながら結局7kmで先頭から離れ、1人でペースを刻むことになった。

しかし、やはり体は正直だ。疲れは取れておらず、その後は3分30秒、40秒、50秒、4分とどんどんタイムを落としてしまう。

さらにコース最大の難所、20km地点の浦戸大橋を下ると脚を攣ってしまう。
ここで私の龍馬マラソンは終わってしまった。

31kmからは歩き出してしまい、その後はそれはそれは辛い10kmだった。
たくさんの人に抜かれ、すれ違うランナーからもたくさん心配され、何度も途中棄権を考えた。

歩いてゴールに向かいながら、たくさんのことを考えた。
これまでの自分がやってきた練習やレース、そしてこれからどんな選手になりたいか等々。

もっと強くなりたい。トラックからマラソンまで走れる選手になりたい。

少し走る事から離れて体を休めて、これからの事をゆっくり考えたいと思う。

まとまりのない文章になってしまったが、最後は悔いの残るレースとなってしまった。
今はもう一回龍馬マラソンをやり直したい気持ちが強いが、そんな事を言った所で何も起こらない。
結局自分が弱かった。ただそれだけだ。言い訳の仕様がない。
強くなるにはこれまで以上に考えて練習するしかない。

もっと強くなって来年リベンジしたい。





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