『吉田博画文集』を評す
主に山岳関係の作品を分析しました。恐縮ですが、今後の資料収集の経費補填のため、後半以降を有料記事とさせてください。
(1)これなら復刻の方がよかった
2017年9月発行の『吉田博画文集』をようやく手にした。「われ山の美とともにあり」という副題と、吉田博研究の第一人者である安永幸一氏の監修という2点において、興味を惹かれていたのだが、実際に読んで少々がっかりした。
完成度がかなり低い。山と吉田博の関係に踏み込んでくれるのかと期待していたが、この程度では登山愛好家にはなかなか満足してもらえないだろう。
出版社は東京美術という1960年創業の会社だ。この『画文集』の前に、140年展に合わせて『吉田博作品集』を出版したが、その時は安永幸一監修ではなく、安永幸一著となっている。140年展がそれなりに賑ったのを見て、それならもう一冊吉田博本をつくろうか、と考えたのだろうか。それにしては、巡回展が終わった後の出版で、夏山シーズンも終わった後というのだから、タイミングを外してしまった感がある。
結論から言えば、こういう本を出すなら、いっそ吉田博著『高山の美を語る』を復刻すればよかった。ただし、現代仮名遣いで読みやすくして。初版が1931年だから、約85年ぶりの復刻で、カラー写真をふんだんに使う。それだけでも売れたのではないか。
今回の画文集は『高山の美を語る』のなかの一部分を寄せ集めたにすぎない。しかも、吉田博が書き残した面白い話を、けっこう落としてしまっている。文章に合わせようとして絵を集めてきたのだが、マッチしていないものが意外にある。写生場所の表示があいまいで間違いもあって、編集者が本当に山好きだったのかどうも怪しい。
あの世の吉田博は、こうした完成度の低い画文集を自分の名前を付して出したことに、決していい顔をしないだろう。(2017-10-27)
(2)どこまで監修? 募る不安
監修者の安永幸一氏は、『画文集』に前書きとコラム2本を寄稿している。全部で4700字ほどだが、内容はなかなか評しづらい。
前書きは1000字余り。吉田博の画業を簡略に書いてあり、山岳関係の記述は意外に少ない。「前人未到の深山幽谷への探検」とか「日本近代美術史上類を見ない優れた山岳風景画」とか、少々オーバーな表現もある。
吉田博の山書『高山の美を語る』(1931年実業之日本社)に言及して、「かの有名な深田久弥の『日本百名山』よりも三十年以上も前に出版された」と書いている。『日本百名山』と比べられるのかどうかは、もっと深読みが必要だろう。美術史研究者でなく、登山史研究者は『高山の美を語る』を山岳名著の一冊として評価しているのだろうか。それが知りたくなった。
安永氏は、前書きの最後の段落でこう書く。
必ずしも合っていない、とはどういうことか。合ってなければ画文集とは言わないほうがいいんじゃないか。安永氏の自信のなげな括弧書きを読んで、少々不安になった。実は編集はあくまでも編集者が行い、安永氏はただ追認しただけではないのか。監修が十分にできなかったのではないか。
前書きは、本文を下揃えにしてあってとても読みづらい。この『画文集』ははじめから前途多難だ。(2017-10-28)
(3)早描きが山岳画の魅力とは
吉田博研究の第一人者である安永幸一氏が監修した『吉田博画文集』。副題の「われ山の美とともにあり」は、吉田博が書いた文章にはない。現代の編集者が、山の絵画を集めた本という意味でネーミングしたようだ。
安永氏はコラム2本を寄稿していて、一つ目は「心を打つ吉田博の『山』の絵」という表題で約1800字。
2009年の『山と水の画家 吉田博』で、安永氏は山に関してはあまり深く書いていない。今回は、山と吉田博を掘り下げて書いてあるのかと期待していたが、期待通りではなかった。
安永氏は、吉田博の山の絵の魅力は次の4つだといい、それぞれ具体的な作品名を挙げている。
吉田博の山の絵 4つの魅力(安永幸一氏による)
(1)展望美
油彩《上高地の春》 木版《三保》 木版《鈴川》
(2)山巓美
木版《雲海 鳳凰山》 油彩《三千米》 油彩《雲海に入る夕日》
木版《烏帽子岳の旭》 木版《雨後の八ヶ岳》
木版《駒ヶ岳山頂より》 木版《御来光》
(3)渓流美
油彩《渓流》 木版《渓流》 木版画《沼崎牧場のひる》
(4)早描き
油彩《アルプスの山小屋》
油彩《マッターホルン、山の中腹のホテル》
油彩《奔流》 油彩《白馬鎗》
4つめの魅力が、早描きの素晴らしさだというのだが、前の3つの美と並列で論じるのはどうもしっくりこない。
そもそも、安永氏自身が「個人的な好みも含めて」と断り書きしているように、かなり主観的な感想を書いているコラムだ。安永氏の好みはよく分かった。それはそれでよいが、もっと客観的な史実を掘り起こして書いてほしかった。例えば、吉田博が山岳会の第2回大会に絵を18点も出品したのに、なぜか山岳会の会員にならなかった話だとか、『高山の美を語る』の出版経緯や挿絵図版の選び方だとか、山に関する史実でもっと踏み込んでいかなければならないところはいくらでもある。
吉田博の山岳画の魅力は、本人が『高山の美を語る』に自身の言葉で書いているのだから、それを読めばいい。吉田博の自薦作品は『高山の美を語る』のカラー口絵や本文挿絵や図版で示している。それを分析する方が意味ある作業ではないか。吉田博自身による作品解説なのだから、これ以上の解説はない。それにしても安永氏と編集者との二人三脚がうまくいったのかどうか。(2017-10-29)
(4)豪語のニュアンスはあるか
『吉田博画文集』にある安永幸一氏の2つめのコラムは「山の美を描くために」約1900字である。
吉田博の雑誌寄稿などをもとに3つの心得を紹介している。
(1)山で描く時には、その描くことに全精力を傾注できるようにせよ。
(2)一瞬の美を的確に描きとめるためには「早描き」の技術を身につけよ。
(3)スケッチは重要である。
吉田博の関係文献を読み尽くさないとこういう文章は書けないので、さすがに第1人者らしいコラムだ。ただこれらを「奥義」とまで言えるのだろうか、ちょっと大げさすぎないか。
気になったのは、次の記述だ。
吉田博の山旅は、手帳に詳しく記録されているのだろうか。もしそうだとしたら超一級の資料ではないか。分析はされていないのだろうか。
もう一つ気になるのは、「後に『日本アルプスは全部登った』と豪語するようになった」と書いていることだ。吉田博は本当に豪語していたのか。豪語という語には、ひけらかす、威張る、といったニュアンスがある。吉田博はそんな人間ではないのではないか。
『高山の美を語る』を読むと、p37-38、p67-68にそれらしい記述がある。たしかに「南北日本アルプスの全部」と書いている。しかし、ひけらかしている感じでなく、単に事実として登った山や縦走路を書いただけではないか。少なくともこの記述から豪語というニュアンスを読み取るのは難しい。(2017-10-31)
◇
【参考】吉田博氏が自ら記した山旅を以下に引用しておく。
(5)『写生旅行』からなぜ一文引用?
『吉田博画文集』の本文は約18950字、400字詰めで48枚である。このうち『高山の美を語る』からの抜粋は約18500字、97.5%になる。残りは雑誌『アトリエ』寄稿が約300字、『アメリカ アフリカ ヨーロッパ寫生旅行』(以下『写生旅行』と略)が約150字である。
『高山の美を語る』にほとんど依拠しながら、なぜ後者2つの短い文章をわざわざ引用して混ぜ合わせたのだろうか。編集者の意図がよく分からない。『高山の美を語る』は1931年発行。『アトリエ』寄稿は1928年なので、時代が近いからよいとしても、『写生旅行』の一文は1907年だから24年前の文章を引いてきたことになる。
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