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琴月と冷光の時代

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大正7年、童謡運動の先駆けとなる「少女」音楽会を帝劇で開いた児童雑誌編集者と音楽家。同郷の2人は新しい子供の歌で意気投合し、時代の先端を切り開きます。忘れ去られた2人の足跡を追い…
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琴月と冷光の時代 目次

第1章 帝劇『少女』音楽大会 [1918年]1 「赤い鳥」前の音楽ブーム 2_大衆児童雑誌が先導 第2…

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10か月前
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第8章第5節 時事新報の『少年』

人生の苦しい時期を抜け出す道は人それぞれである。トンネルの先に一筋の光が見えて次第に明る…

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7か月前
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第5章第9節 月明かりを頼りに下山強行

大井冷光・吉田博・佐伯和三五郎・佐伯春吉の4人は、後大日岳(奥大日岳)の斜面に取り付いた…

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第8章第4節 少年文学研究会

大正元年8月に結成された「少年文学研究会」は、日本最初の児童文学研究の会である。10数年後…

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第8章第3節 日本アルプス探検隊(後編)

明治45年7月27日午前9時すぎ、大井冷光が指揮する日本アルプス探検隊は大町を出発した。博文…

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11か月前

第8章第2節 日本アルプス探検隊(前編)

またもや壮大な提案雑誌『お伽倶楽部』の休刊で、大井冷光はどれだけ落胆したことだろう。意を…

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11か月前
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第8章第1節 雑誌『お伽倶楽部』の挫折

はじめに地下鉄の表参道駅を降りて地上に出た。ガラス張りのビルが聳えている。向かいには大手IT企業アップルの店。高級ブランド店の角を右に曲がって、ロハス通りという小路を歩く。渋谷区と港区のちょうど境界線だ。 坂を少し上った後、緩やかに下る。右側の一区画が神宮前5丁目1番地である。今から110年余り前の明治時代末、ここは東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町大字穏田村隠田4番地、久留島武彦が経営する早蕨幼稚園があった場所である。「地質ハ粘土質ニシテ飲料水ハ井水ニテ純良、附近は大山元帥邸東隣ニ

第7章第7節 富山お伽倶楽部発足

少年欄は4か月で消滅大井冷光が担当する『富山日報』少年欄は明治43年元旦にスタートした。こ…

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11か月前

第5章第8節 大日岳・称名滝の探検

奥山廻りの古道をたどって黒部谷まで下り、ザラ峠と立山温泉をめぐって室堂に戻る2泊3日の旅…

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第7章第6節 匹田主筆の辞職と猛獣狩中止

突拍子もない企画『富山日報』明治43年元日号の2面に「立山山中猛獣狩団員募集」という社告が…

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11か月前

第7章第5節 新年に飛躍を誓う

明治42年から43年にかけて、大井冷光は児童文化活動以外にさまざまな足跡を残している。新聞…

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11か月前

第7章第4節 児童談話会でお伽噺

五番町子供おはなし会『富山日報』のこども欄がスタートして4日目にあたる明治42年10月10日。…

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11か月前

第7章第3節 新聞こども欄スタート

児童雑誌を参考に構成か 『富山日報』は明治42年10月7日の1面に「こども欄」を新設する。紙面…

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11か月前

第7章第2節 記念お伽噺で面目躍如

行啓最終日に1面掲載皇太子が富山を離れた明治42年10月3日の『富山日報』1面に、冷光の署名記事が出ている。 お伽噺『お伽小説 小記念事業』(上)である。翌4日3面に(下)があり、末尾に「九月二十九日朝紀念の執筆」と括弧書きされている。 ある農家の話。春のある日、父親が三人の息子たちに向かって、秋に皇太子行啓があるから何か記念事業をはじめなさい、面白い案には10銭の元手をやるから、と持ち掛ける。長男は、家の裏に小さな農園をつくり、野菜や草花の種を買って育てるという。工学博