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耳を澄ませて、待ちたいと願う


何に怯えてか、いつもかたく閉じたまま、鍵がかかっているようだった。

いつからだろう、ずっと前からそうだったかのように、自分では、開けられなかった。開けたいと思っているのに、うまくこちらからは開けられないまま、交わし交わされるだけの会話。自分の守り方だけが隙なく上手になっていく。

始まりはふとしたきっかけだったと思う。その人とは何をするでもなく隣に座ってただ、話をした。いくらでも話せた。沈黙も気にならなかった。どうしてこんなにも、話し続けてしまうんだろう、いつも不思議だった。話したいのかな、それとも聞きたいのかな、そのどちらもそうだと思えたし、ただ一緒にいることが楽しくて仕方なかった。

「波長が合う」と言われて嬉しかった。女友達だった、気が合う友達。ただ話す、ただ歩く、それだけのことがどうしてこんなに心地いいんだろう。いま、わたし、息をするように話せてる。これまで人にほとんど話したことのないようなコンプレックスや、自分の弱みも打ち明けた。聞いてほしかった、そしてたぶん、それでもそばにいてほしいと願っていた。

好きになるって、なんだろう。

思いを告げられたとき、本当はもう、きっと半分気付いていた。相手の気持ちに気付いていたというよりも、自分の気持ちを思い知らされた形だった。もう十分すぎるほどに大好きだった。こんなふうに、コントロールなんか到底できないスピードで、強さで、気付かされた気持ちについていくことに必死で、手が震えた。純粋な気持ちほど、本当にいつ生まれたのかわからないほどささやかに、でもたしかにそこにあって、私を強く揺さぶる。

どんなところが好きか尋ねられて、うまく答えられた試しがなかった。ただ、いつもいちばんに心に浮かんだのは、自然体のわたしでいられるということ。

さり気なく、けれどどこまでもまっすぐな歩み寄りかたをする人。好きになったその人は、かざらない人だった。

話しているとなぜかほっとする。それがどうしてなのか、かざらない人だからだと気づいてから、わたしもその人の前では、すきな自分でいられた。一緒にいるときの自分がすきだった。言葉に嘘がなくて、まっすぐで。この人から、自分を守ろうとしなくていい。

そうやってずっと、ただ、待っていてくれたんだと思う。そのことを思うたび、わたしはその暖かさを抱きしめる。そんな人に出会えたということの幸せが、いまもわたしを生かしてくれる。わたしを開けてくれた、君のようになりたいと、どれほど願いつづけてきただろう。おんなじようになんてできない。それでもわたしは、誰かのそばで、誰かの言葉に耳を傾けるとき、その人のそばでただ耳を澄ませていたいと思う。自分がかける言葉をさがしつづけるのはよそう、ただそばで言葉を待ちたいと思うのは、それもまた、君のくれた言葉だった。そう思い出すと、また、すこし深く呼吸ができる気がするよ。







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