仙台の福祉から零れて

不登校だとか虐待だとか。
当時福祉施設に入ったら不登校は「許されなかった」し、「いじめ」は見過ごされた。

今も不登校許さない状態続いてるんだったら本当恐ろしいと思う。

当時いじめの問題は特に酷くていじめの加害者と被害者を部屋替えで同室にした。酷くなるのが目に見えていたからやめてくれ!あまりに酷すぎる!と米川文雄園長に部屋のみんなで抗議に行ったが、決まったことだからと取り合ってくれなかった。
いじめ被害者の男の子の声が毎日毎日やめて!助けて!と叫び声がコンクリートの建屋内に反響して辛くて仕方なかった。

干しているパンツやブラジャーを男子が覗いても職員がしっかりと注意をするわけでもなく、うやむやにされる上、生理が来たら勝手に赤飯を炊かれる。私にとっては大いなるアウティングだったし、初潮きたら妊娠の可能性だってあるからレイプ被害に遭うことが恐怖で仕方なかった。女性として生きることはこんなにも屈辱的なものかと思いながら毎日を過ごしていた。

こういうことをやめて!先生、助けて!止めて!と仲裁を依頼しても「考えてる最中」とか「決まってる」と言って米川園長も寮母も職員も何もしてくれなかった。

小松島子どもの家は話し合いで解決する場所です

私は問いたい。その話し合いで解決するという福祉は誰のための福祉なのか。

子どもを守るため?大人の理想を実現するため?私は前者であって欲しい。

幼いながら、足りない頭ながら、あの頃の私は必死で闘った。

錦町の人権擁護センターまで脱走して施設の職員が何を言っても話を聞いてくれないと訴えたこともあったし、スクールカウンセラーに話したこともあったし、小学校の先生に話したこともあったし、中学校の先生に話したこともあったし、今誰かを傷つけたとか殺したとかそういう事件じゃないという理由で取り合ってもらえなかったけど交番にも行った。

いずれの場所でも施設が大変なことになってると訴えたけど、「施設だから先生に話せばわかる」「まず話してみて」「大人を信じて」と言われたけど全てから零れ落ちた。

もう誰も救ってくれないから、中学校あたりから心理書や精神読み物や綺麗な世界観の文学の世界に入り浸って、いつか私が私を代弁してやると意気込んだ。

自傷に関する書籍
精神疾患に関する読み物
児童虐待に関する書籍
自己啓発
現代小説


自傷行為の毎日だった。左手はだいたいズタズタだったし、机に頭叩きつけまくるからしょっちゅうたんこぶ作ってた。

人権擁護センターに逃げた時あたりがもう限界迎えていた。

人権擁護センターに逃げたときは台原中学校ていじめられていたし、子どもの家でもゴミとかクズ呼ばわりされていたし、その時はADHDなんて障害定義なんてなかったけど、生来の不注意がストレスの影響からか輪をかけてものすごい酷かった。
話し聞いてくれて助けてくれるかもって思って、職員が迎えにきて「学校の先生とも話しようね」とだけ言って大した話もしてくれなくて連れ戻されただけで、1人で学校に行けって言われて、狂って中華テーブルに目がチカチカするほど頭を叩きつけて「学校行きたくない」「誰も助けてくれない」と叫ぶ声とか今でもフラッシュバックする。

性的虐待カミングアウトしたら男職員と事実婚の父親しかいない部屋に放り込まれてみんな腕組みしている中で
「お前は家に帰りたいか」とか聞かれたり。

とにかくその部屋を立ち去りたくて
「帰らない」と私は言ってあと聞きたいことはと聞かれたからどうしてああいうことをしたのと聞いたら酒に酔っていたとしか答えなかったけど、買い物も子守も勝手にパパと呼ばせられた男と小学六年生以上になっても風呂に入らせられるのも家族団欒とか言ってだけど結局は母親の分身として扱われたのかと思うと激しい怒りがこみ上げてきてならない。

私は声を大にして言いたい。

闘って、抗って、足りないながらも学び、壊れて、叫び、狂って、訴えたとしても。

私は当時、仙台市の福祉から零れ落ちた。

詩や小説をはじめとする創作活動をしていますが家計は火の車です。少しでも興味持っていただけたらサポートなどしていただけると嬉しいです。これからも創作で走り続けるためにご支援よろしくお願いします。