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なぜナラティブメディスンは日本では浸透しないのか

私は過去にナラティブメディスンの勉強会に参加していたことがある。その当時も今も、このワードは医療現場でも一般的にもまだまだ認知されていない。
今回はその考察も踏まえ綴りたいと思う。

まず、ナラティブメディスンとはなんぞや、というところから。

ナラティブメディスンとは、医療のアプローチに物語(ナラティブ)を組み込むことを重視する医学の分野。患者の物語や経験を理解し、それを治療やケアの中心に据えることで、より包括的な医療を提供しようとするアプローチのことを指す。これにより、患者の個別の状況や背景を考慮し、より効果的な治療計画を立てることが可能になる。

私は当時勉強会において、ナラティブメディスンの世界観と現場の医療との温度差を何度も感じることがあった。知識をつけてもそれを実践できるには、周りの医療者の意識が変化しなければ難しいという壁に突き当たる感覚を覚えたものだ。

日本の医療現場はどちらかというと、患者の物語や経験にさほど焦点は当てない。対応の迅速、正確さを優先し、時間をかけて患者と対話をとるという医療者は少ないのが現状だ。その環境の中でナラティブメディスンが浸透していくのは難しいものがある。

ナラティブメディスンで必要とされるのは、医師や医療スタッフが患者の病歴を収集するだけでなく、彼らの生活、価値観、信念などを含む物語を理解するよう努めることである。これにより、患者の状況をより包括的に把握し、個別に適した治療計画を立てることができるのだ。確かにカルテにはそれらが記載されることはある。しかし、ここでの違いは、物語を理解するという点である。つまり、深くその患者の人生を掘り下げ、汲み取れるかどうか、ということなのである。少なくとも私が経験した病院時代に、そこを行ってきた医療者はいなかった。

そして、医師や医療スタッフが患者の物語に共感することも大切だとされている。患者は自身の物語を語ることで、自己の治療やケアに積極的に参加する意欲が高まるからである。

私は言語聴覚士として言語治療室で患者と一対一で向き合って話す機会が多かった為、他のどんな医療者よりもこの経験は多く持ったと思う。

日本の医療は、医師が治療計画を一方的に決め、インフォームドコンセント(患者への治療計画説明)を形式的に行う。一方的に説明された患者はそれに意見を言うことは少なく、多くは頷いて受け入れてしまう。ここも圧倒的にナラティブメディスンの考え方とはかけ離れている。ナラティブメディスンでは、患者の物語を考慮に入れながら、治療計画を調整する。例えば、患者のライフスタイルや社会的支援の有無、精神的なニーズなどに基づいて、治療やケアのアプローチを調整するのである。

また、日本の医療現場で、入院中の患者たちが自ら自分の病気について知る機会を得ることは難しい。
しかしナラティブメディスンでは、患者に医学的な情報を提供するだけでなく、その情報を彼らの物語や経験に関連付けて伝えることで、理解と協力を促進していくことを行う。その流れであれば、患者たちは自分たちの置かれた状況を把握して安心できるだろうし、医師たちとの連帯感さえ感じられるだろう。残念なことにこれもまだまだ日本では程遠い。

では、日本ではまだまだ遅れているナラティブメディスンであるが、ナラティブメディスンが進んでいる国とはどこだろうか?

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