パートナーの悪口を言わないと子どもは人を信用できる

映画「夢見る小学校」上映後の
クロストークにゲスト参加。

そこでご一緒した、
塾経営の方の言葉。

「子どもの前で
パパはママの
ママはパパの
悪口を言わないこと」

うんうん。
全く持ってその通り。

悪口を言わない価値観を知る

私が保育を学んだ
心理学の授業。
男性の先生の雑談混じりの話しは、
父親の悪口愚痴を散々聞かされて育った私には
とても印象的で、
親になったら
絶対に父親の悪口は言わないと
心に誓いました。

その話とは。
父親が生きていて、
母親が父親の文句や愚痴を言っている子どもは、
父親を嫌いになりやすい。
父親といい関係を築きにくい。
また、人を信用できなくなる。

こどもが小さいうちに父親が他界し、
母親が父親のいい思い出だけを
子どもに伝えていると、
子どもは父親を尊敬し、
父親を大切に思い続け、
父性が育つ。

正確な言葉ではないけれど、
確かそんな話でした。

中学の時、
父親を早くに無くした男子がいて、
その子は父親をとてもリスペクトし、
父親のような警察官になりたいと、
キラキラとした夢を語っていました。

もう一回書きますが、
父親の悪口、愚痴を聞かされ続けて
育った私は、
父親とどう関わったら良いか、
父親とどう話せば良いのか、
父親にどう心を向けたらよいのか、
さっぱりわからず、
社会に出るまで
ただただ、
母の言うことが正しいことだと
母の言葉を鵜呑みにして、
大きな勘違いをして育ちました。

父親のことを尊敬している
中学の同級生の姿と
私の育ちとの違いを、
心理学の先生の話が、
立証してくれたように感じました。

悪口を言わない理想実現と現実の苦難

さて、私が結婚して、
子どもを育てる立場になり、
その過去の経験と
固く誓った
「こどもの正しい育て方」を守って、
父親の悪口も愚痴も
子どもには一切言わずに育てました。

ある程度、
コミュニケーションとれる
夫婦関係なら
それでよかったと思います。

夫婦でお互いに
共通の価値観を持ち、
「夫婦お互いの悪口を子どもの前では言わない」とできていたら、
なんの問題もなかったと思います。

でも、私の現実は全く違いました。

どんなに理不尽なことでも、
父親のことを悪く言わず、
「きっと、わからなかったんだよ。
間違うことはみんなにあるしね」
「怒ってたけど、疲れてるのね。また今度にしようね」
なーんて、
後から振り返れば、
完全なるDVでモラハラで非社会的な
発言、行動、態度に対して、
私は堪えに堪え、
我慢に我慢をし、
自分の心をズタボロにしながらも、
子どもたちには、
そんな言葉で
フォローしていました。

一方、
父親はこどもがいるもいないも
おかまいなしに、
本当に、本当に、
些細なことで、

「早く死ね!」 
「おまえなんかいなくなれ!」
「あたまおかしいんじゃないか!」 

あっ、書いてて辛くなってくるから、
これ以上はやめておきますが。

そんな
暴言、無視、時に暴力あたりまえ。

私があたりまえの行動をしていても
父親は子どもたちに
「かあちゃんの言うことなんかきくな!」と、
冗談混じりのような
笑いをもって言うことも多々あり。

その言葉は
彼自身が育ちの中で、
父親に言われ続けた言葉。
また、その父親は戦後、家族を失い、
親戚の家で、
大切にされず、
蔑まされて育てられた人。

屈折し、曲がりに曲がったへその
世代連鎖が、
家族との関わり方、
大切なはずの人への言葉の向け方、
自分自身の心の扱い方、
色んなものを小さく、荒く、ドス黒いものにしてしまったんでしょう。

「かあちゃんの言うことなんかきくな!」

その言葉が
どれほど素直に私を大好きでいる
こどもたちの心を混乱させ、
曇らせているかなんて、
説明しても伝わらず。

子どもを大切に思って伝える
「そういうことは言わないで」の
私の言葉は
さらなる暴言で踏み潰されていました。

そんな父親に対して、
私は指南書を出せるんじゃないかと
自負できほど、
父親を悪く言わず、
褒めて認めて、
「父ちゃんとまた遊びたいって言ってたよ。
楽しかったんだよ。」
なーーーんて、
言ってもいない子どもたちの嘘の言葉を伝え、
子どもと父親との関係が
少しでも構築できるように
努力努力していました。

その何年にも及ぶ努力は
それなりに形になり、
隣で赤ちゃんの息子が号泣していても、
私が一人で全てできるわけなく、
「本当に助けて欲しい」と涙で伝えても、
なーーーーーーーーーーーーーーーーーんにも
せずに、
捨て台詞吐いて、
逃げていた姿から、
子どもと一緒にあそぶ時間が
少しづつ増えてきました。

そして、
この自分の痛すぎる努力は
離婚の時に、
なんて馬鹿なことをしてたんだろうと
心の奥底から悔やむことになりました。

スクールカウンセラーの言葉に救われる

離婚を決意して、
女性支援の相談やカウンセリングを受け、
「やっぱりDVだったんだ」と
認識を少しずつ積み重ねました。

次男が5年か6年の時。
ほぼ不登校。時々登校の学校の先生より
スクールカウンセラーの相談を勧められ、
「まぁ、受けてみるか」くらいの気持ちで、
承諾。

子どもが学校に行かないことに対しての
悩みはなく、
家での様子もその頃は落ち着いていたので、
これまでの経緯と今の様子をお伝え。

その時のスクールカウンセラーの方の反応が
とても良い印象だったことが、
私の心を開き、

「ひとつ、話を聞いて欲しいことがあります」

と、心の内を言葉にしました。

・・・・・・・・・・・・・・・

私は元夫の悪口、愚痴を
こどもたちに一切言わずにきましたが、
元夫は私のことを「悪いかあちゃんだ」
「言うこと聞くな!」と
繰り返し言われてきました。

今となってはそれがとても悔しいし、
子どもたちを苦しめているのではないか。

直接不登校の原因ではないと思うけど、
育ちの中で、
心の混乱は大きかったと思う。

特に次男は優しい子。
今でも父親と会うと、
言ってほしくない言葉を言われ続けている気がする。帰ってくると、様子が明らかに違うし、
緊張して、言葉も悪い言葉がでたり、
苦しい空気になっている。

本当の気持ちを我慢させていると思うと、
父親の悪口を言わないで育てたことは
違ってたのではと思えるんです。
・・・・・・・・・・・・・

そんな私の話を
聞いたカウンセラーの方は穏やかな口調で

「悪口をお母さんが言わなかったことは、
よかったんですよ。
お子さんと話をして、
人を信用していることがわかります。
お母さんが、そうして育てられたからですね。」

もう号泣。

そっか。
私が悪口を言わなかったから、
うちの子たちは、
本当に素直で人を信用できる子に
なっているんだ。

重たいものが外れて、
間違っていなかったと思える
自分への安心と共に、
あの時の自分を責めて、
結果的に子どもを苦しめているんじゃないかと、
さらに自分を責めていた私に気がつきました。

そして、
別居をしてから、
1回だけ。
父親のことを悪く言ったことも思い出しました。

その時の子どもたちの反応というか、
空気が変わったことが、
なんとなく引っかかっていました。

ごめんよこどもたち。

ということで、

子どもにパートナーの悪口を言わないで育てると、子どもは人を信用できるようになる。
人を信用できるということは、
自分のことも信用できること。

自分を信用できるから嘘をつけない。
嘘をつけないから、
ぼちぼち周りに合わせたりできず、
不登校を選んでいた。

そんな風につながるのかもしれません。









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