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わたしは思い出す 悩みのあとには楽しみが来ると(11月14日~11月20日)

11月14日(月)
・あまり眠れてないのに早くに目が覚めてしまった。ブログにもモカの内覧会&バザー情報をup。どれだけの人が来てくれるのか検討つかない。
・明日から九州で唯一足を踏みれたことのない県・佐賀に一人旅に出かける。九州は山之内遼さんが亡くなった場所。命日が近いので心がざわつく。旅行支援のために、はじめて抗原検査を受けた。些細なやり取りで絶望的になる。旅に出るより閉じこもっていたい気持ち。

11月15日(火)
のぞみ→みどりを乗り継いで、佐賀駅に降り立つ。東日本大震災直後の2011年3月末に大分と長崎を旅する機会があった。途中の佐賀には寄らず、またいつかと思ったまま11年が経った。失敗だったのは、何故か佐賀駅前の喫茶店は火曜定休の店が多かったこと。バスに乗り、小坂章子さんの「九州喫茶案内」に載っていた「はらどう」へ。店内を撮っていたら常連だというマダムに話掛けられ、話掛けられついでにマダムの写真も撮らせてもらう。一期一会。こんなことがよくあるから一人旅は楽しい。

覇薇可否道(はらコーヒーどう)で出会ったマダム
坂倉準三設計。市村記念体育館

・中心部の近代建築、佐賀県立博物館・市村記念体育館・佐賀県立図書館の外観を見学してから、ブラブラと街歩き。コンパクトに収まっていて歩きやすい。明日朝早いので、駅に隣接するカフェでお弁当をテイクアウトしてホテルで食べた。旅先でも夜中何度も目が覚める。

11月16日(水)
・佐賀県西部にある伊万里へ。目的は「47都道府県の純喫茶」に掲載されているロジエという喫茶店。伊万里に到着して開店まで時間を持て余す。伊万里もコンパクトで歩きやすい町ではあるんだけど、見どころが少ない。10時半の開店時間を過ぎても店の明かりが灯らない。不定休だと書いてあったけど、ひょっとして休み?諦めきれず階段を上ったら、ドアが開いている。「こんにちは」と声をかけても誰も出てこない。ピンクの公衆電話は鳴りっぱなし。途方にくれていたら、ようやくマスターが姿を現した。「ドアが開いてるから入っちゃったんですけど営業してますか」と訪ねたら「やってます」と返答。安堵。今の季節限定だというマロンパフェを味わいながらマスターと雑談。本棚に「47都道府県の純喫茶」が2冊もあったので山之内さんのことを訪ねたら、亡くなったことをご存知なかった……。
若々しいマスターは御年80歳。「子どもは跡をつぎたくないって言っているから、この店は私で最後だね」。独り言のようにつぶやいた言葉が染みた。

伊万里・ロジエ


マロンパフェ


・ロジエを出て佐世保の「珈琲専門店くにまつ」へ。アメリカンセーキという見慣れないメニューを頼んだらアイスがWで載っている飲み物が運ばれてきた。マスターが「お口に合いましたか?」と聞いてくれたおかげで、会話のきっかけがスムーズだった。「47都道府県の純喫茶」の取材はお母様が対応されたそう。

佐世保市・珈琲専門店くにまつ


アメリカンセーキ


・佐世保に来たのははじめて。伊万里から佐世保まで遠くなかったので、昨晩急に来ることを思い立った。本当は長崎市も行きたかったのだけど、そこまでの時間の猶予はない。長いアーケード商店街を冷やかして帰る。睡眠不足で頭が回らない。

11月17日(木)
・旅行3日目は佐賀駅周辺と佐賀中央の小城市を散策。「47都道府県の純喫茶」に掲載されている「コーヒーのお店モカ」へ。朝からとんでもなく分厚いフレンチトーストを食べる。取材を受けたのは先代ママの和子さんで、現在は娘さんが店に立っている。インスタのおかげで昭和レトロ好きの若い世代のお客さんが増えているらしい。「ブログに書かせてください」と名刺を渡して店を出る。

佐賀市・コーヒーのお店モカ

・羊羹の町、小城で寄りたかったのは羊羹資料館が併設されている「村岡総本舗」。佐賀駅周辺にも店舗があるのだけど、レトロな店舗の外観に惹かれて足を伸ばした。缶入りのシベリアをお土産に購入。地元スーパーでもお土産を物色。

佐賀土産
佐賀土産

・佐賀駅に戻り、帰阪前に「珈琲専門店 珈茗爾(かなじ)」へ。ここも小坂章子さんの「九州喫茶案内」で知った喫茶店。ミルクセーキを飲みながらカウンターでぼんやり過ごす。移動中も内省している。このまま消えてしまいたいと思う。

11月18日(金)
・何もしない一日。

11月19日(土)

モカのママさんと水鯨さんご夫妻


・コーヒーハウスモカの集大成「内覧会&バザー」の日。風呂敷に包んだマッチ箱を泥棒スタイルで背負ってモカに向かう。職務質問されなくて良かった。営業中の喫茶水鯨さんがバザーを案内してくれたおかげもあり、22名の来場者に恵まれた。今日を乗り越えたら晴れやかな気持ちになるかと思いきや、ある出来事以降ずっと気持ちが沈んでいた。
・バザーの途中、webメディアのライターさんがママさんと高地くんに取材をさせてもらえないかと訪ねてきた。宣伝になるから2人は喜んでいたけど、私は手塩にかけ育て食べるのを楽しみにしていた果物を横からかっさられた気持ちになり、顔が曇った。私は喫茶レトロ村の開店に関して(今までのように)関与しないと決めていたので、待ったをかけるのはおかしいと黙っていた。メディアに取り上げられるのは願ってもないことだけど、最初は私であってほしかった。

・私に接近してくるメディア関係の人から社交辞令として「ブログ読んでいます」「参考にさせてもらっています」と言われるのだけど、情報源として名前を出してくれるわけでも仕事を振ってくれるわけでもない。大事にしているものを奪われる感覚になる。それがとても悔しい。

11月20日(日)
一晩経っても釈然としない気持ちが続いている。継承に関わった2か月間、精神的にしんどい場面は多かったけど今回が一番厳しかった。風呂で涙をこぼす。離れることを決めておいてよかった。さすが私。危機管理能力に優れている。

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