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『月と六ペンス』感想

20世紀のイギリス文学の名作、サマセット・モームの『月と六ペンス』を読みました。積読の中に埋もれていた作品です。ようやく!

あらすじ

ある夕食会で出会った、冴えない男ストリックランド。ロンドンで、仕事、家庭と何不自由ない暮らしを送っていた彼がある日、忽然と行方をくらませたという。パリで再会した彼の口から真相を聞いたとき、私は耳を疑った。四十をすぎた男が、すべてを捨てて挑んだこととはー。

『月と六ペンス』新潮文庫 裏表紙あらすじ

物語の語り手は作家である「わたし」です。彼がこのストリックランドの生涯をまとめた内容がこの本に収められています。
ストリックランドはロンドンで株式仲買人をしていました。親しみやすく朗らかな奥さんと子供2人と暮らしていて、はたから見ると絵に描いたような家庭を持つごく普通の男でした。年は40ぐらいだったと思います。
しかし突然彼は家族を捨てて消えてしまいました。周囲からは他の女を作って駆け落ちしたという噂でしたが、この「わたし」がパリへ彼に会いに行くと、彼が家族を捨てパリへ移り住んだ理由は、女性関係ではなく画家を目指すためだったことが明らかになります。
思いやりのかけらもない無情なストリックランドを中心に、ここから物語が展開していくことになります。

ストリックランドという人

ストリックランドのあまりの無情さ、冷たさは読みながら苛立ってしまいます。全く共感できません…。同時に、彼に冷たくあしらわれても世話をするストルーヴェや、ストルーヴェの妻でやがてストリックランドと駆け落ちしてしまうブランチ、タヒチで彼と結婚し、献身的に彼と生涯を共にするアタの気持ちも理解できません…。でも彼の持つ危なっかしさみたいなところに惹かれる人って少なからずいるんだろうなと思います。冷たくてもどこか惹かれてしまう人って現代にもいますよね…。掴めない存在だからこそその深みにはまってしまうみたいな。

ロンドン、パリ、タヒチ

この作品は当時のロンドンやパリといった都市の暮らし、世俗から離れた楽園のような描かれ方をされているタヒチでの生活を垣間見ることができるというのもポイントです。この都市の暮らしとタヒチの暮らしの対比も、ストリックランドを少しでも理解するのに役立つと私は解釈しています。
彼はロンドンでの「ブルジョワ階級の平均的な家庭」を捨て、パリで芸術活動に勤しむもパリでの生活にも馴染めず困窮した暮らしを送っていました。
彼の存在は、型にはまった、秩序立った都市では異質であり、溶け込むことができないのです。それに対して余生を過ごしたタヒチは世俗から離れており、自由であり、変わらず奔放に過ごしながらも周囲から一目置かれ、現地の女性アタとの家庭も手にします。晩年はハンセン病に苦しめられ盲目になりますが、それでもなお芸術に執着し絵を描き続けたストリックランドにとって、都市の秩序や息苦しさから解き放たれたタヒチは理想郷だったのだと思います。

タイトルの「月」と「六ペンス」

金原瑞人さんのあとがきで、「月」は狂気や美、「六ペンス」は日常や世俗の安っぽさを象徴しているのではないかという記述がありました。
「月」はストリックランドがすべてを投げ打って追い求めた理想や芸術を、「六ペンス」はロンドンでの凡庸な暮らしや、都市での刺激のない日常や現実を意味しているのではないかとわたしも考えています。

ストリックランドとゴーギャン

ストリックランドのモデルはゴーギャンという話があります。
ゴーギャンはフランス人ですが、彼もまたタヒチに思いを馳せ幾度か訪れていました。

Tahitian pastorale, 1898 - Paul Gauguin

ストリックランドの作品は彼の死後に大いに評価されたということですが、この本を読むと彼の作品は一体どんな絵画だったのだろうと興味が湧きます。タヒチを描いたゴーギャンの作品から、ストリックランドの作品のイメージが心に描けそうな気がします。

終わりに

ひとりの芸術家の生き様をうかがい知ることのできる作品です。わたしがもしストリックランドだったら絶対にロンドンでの生活を捨てることはしません、周囲の人の支えや自身の健康に目もくれないストリックランドには共感できませんが、それでも理想を追い求めるストリックランドの姿は目が離せなくなる悪魔的な魅力があるんだと思います。

「ストリックランドを捕らえているのは、美を生み出そうとする情熱です。情熱が彼の心をかき乱し、彼をさまよわせる。あの男は永遠の巡礼者です。信仰と郷愁に絶えず悩まされている。そして、彼の内に棲みついた悪魔は残酷だった。たとえば真実を求める気持ちが異様に強い人間がいます。真理を希求するうちに、自分の世界を土台から粉々に破壊してしまう。ストリックランドはその類の人間でした。彼の場合、求めたものは真実ではなく美でした。わたしは、彼に深い同情しか感じません」

『月と六ペンス』新潮文庫 p.332


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