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3月19日
忘れようと思って忘れることができたら、どんなに馬鹿ばかしく、楽しく生きられるかな。
いや、実際忘れていくこともあるのだ。長い時が経てば、人の顔なんかはどんどん忘れていく。
ただ、顔と違って、他人に言われたことっていうのはどうしてこんなに、心に突き刺さったまま残るんだろうか。勇気づけられた素敵な言葉がいつまでも私を励ますのと同じように、何気なくかけられたのかもしれない辛辣な言葉がいつまでも私を呪う。
忘れよう。
どんなにそう繰り返しても、もしかしたらできないかもしれない。
そんなものから離れて自由でいたいとは思うけれど、ふとした時に蘇るその言葉。もしあなたの言葉の通りだったら、私はどう生きていけばいいの?と思うほどだ。
だけど、だけど、それでも足掻く。私はそこから自由になりたいから一生懸命に忘れようとする。新しい素敵なことをどんどん取り入れたりする。
つまり、それはこういうことだ。
私を貶めるその呪いをかけた人を、呪わないようにしなければ、と思う。
呪いを返しても何もいいことがない、相手の思うつぼなのだ。
私を呪ったその言葉を思い出す度に、それを放った人の幸せを心のどこかで、たまに、チラッとだけ、願うことで私は私を強くすることしかできない。
だから、〈誠実さ〉は本当は一番恐ろしい凶器にもなったりするってことだ。私はこれからも、この凶器で周りの人を傷つけながら生きていくのかと思うと、うんざりして、死にたくなる。私もまだまだ若いね。
そんな3月19日。
エチカ
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