年越しへの準備はしてない
12月30日(水)
なんの夢をみていたか忘れたけど、なんか闘っていた。こぶしを握りしめて。故郷が嫌というより、心配事が多すぎる。いつものことだ。
ここは朝が眩しい。朝とお昼にエーデルワイスの音楽が地域に流れる。森が揺れる風の音。
外の空気は綺麗だが、鼻がアレルギーでむずむずしてつらい。WiFiも接続できずネット生活もしばしお休み。音楽などいろいろとダウンロードしておくべきだった。
「1900」の映画のサウンドトラックだけなぜかダウンロードしてあってそれを流して聴いたりする。
文句ばかり言っても仕方ないので、なるべく、リラックスできるように心がける。自分のためにも。
とはいえ迂闊に散歩はできない。家の中でヨガなど、筋力低下しないように運動をすることにする。
12月31日(木)
いよいよ今年最後の日!とテンションが上がるわけでもなく。それどころか、やることがないわけでもないのに、「ヒマ」などとTwitterに呟いてしまう。暇つぶしが下手になったか。電波もなくて、やることがないので、限られたギガ数のスマホでnoteを書く。
昨日ワークアウトした腹筋の筋肉痛が心地よい。来年こそは鍛えたい…と毎日思っている。
田舎には何もないが、家の中の食料だけは事欠かないので、無限に何かを口に放ることができる。いま、冷蔵庫にあったプリンをお箸で食べたところだ。
ここはやっぱり山が綺麗だ。葉っぱの1枚1枚があれだけの数重なりあって山になる。
神さまが宿るとしたら、そういうことかも。無数の祈りの先にだけ神さまが存在しうる。
無神論、有心論という次元で語る必要のないところ。そこに意味があるかと聞かれても、ないんだろうなぁ。なくても存在していいと許されている。
さて、これから炊飯器にお米を炊いてもらう準備をして、ギターの弦でも変えよう。
待てよ、今夜は年越し蕎麦だからお米炊かなくていいか。
エチカ
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