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ハミングバード②【2015~2018】

それは中学一年生の夏休み、部員で行ったカラオケがきっかけだった。


文化祭のメインステージ企画に部活対抗カラオケ大会があり、誰がステージに立つかを点数の高い順に決める、というもの。


私は3年振りのカラオケにウッキウキだったものの、ステージには絶対に出たくなかった。ぜったいに。ぜっっったいにっっっ。


必殺奥義“ロングトーンでビブラート禁止!!”を自分に言い聞かせながら80点をギリギリ切る程度の技量で歌った。先輩から「まぁ下手では無い方だね」と言われたのを今でも覚えている。



全員が歌い終わりステージ出場回避も決まったところでまだ時間は余っていた。自由なカラオケが始まり私もビブラートを解禁していたのだが、隣に座る同期の部員がチャレンジングにこんな曲を入れていた。



他と異質を放つ曲に「最近はこんなのが流行ってるのかー」とは思っていたものの、感想としてはそれ以上でもそれ以下でも無く、特に感情を揺らされることは無かった。


はず、だった。



後日スマホを与えられた私はスマホとイヤホンを繋げてなにか聴くという行為に多少なりとも憧れを持っていた。とはいえ特別聴くものも無くどうしようかと思っていた時、不意に夏休みの記憶がフツフツ蘇ってきた。



本家ってどんな感じなんだろう?



軽い気持ちで聴き始めた音楽。他に聴くものも無いし、と何日かロマンスをありあまらせているうちに、気づいたらハマり始めている自分がいた。


初めて能動的に触れた音楽は、聴けば聴くほど自分でも驚く程に輝いて見えた。このフレーズが良い、とか、このドラムパターンが好き、みたいなのはあまり無く、ただただ彼らの音楽は私にとって魅力が凄かった。



勢いで初めてアルバムも買った。『両成敗』だ。


この日の為だけにCDプレーヤーを買い、フラゲの概念を知らなかった私は発売日の前日にAmazonの梱包を発見、サプライズに興奮しながらカセットにディスクをイン、丁寧にアルバムをひとまわし。


全17曲の大ボリュームさを感じさせない程時間はあっという間に流れていき、“煙る”を聴き終わった後、このバンドを好きになって本当に良かったと心の底から思った。



ゲス極の音楽は特殊性が強い。ボーカルの歌声は特徴的であり、他のJ-popとは一線を画す彼らの音楽性に対し、避けるように動こうとする空気を放つ人がいたのは少し感じていた。


が、声変わりによってカラオケでそれまで歌えていた女性ボーカルの曲が歌えなくなった私は、曲のレパートリーを求めてゲス極の曲をよく歌っていた。周りが知らないであろうアルバム曲も布教するかのように入れていた。


正直、音楽好きと言うよりはゲス極オタク。他のアーティストは全く目に無く、毎日毎日ゲス極をリピートしていた。友達にもゲス極が好きなことはよく言っていた。



しかし好きを表側に出していた日々に、嫌な雲が立ち込めた。


この暗雲は止む気配を知らないゲリラ豪雨だった。ゲスの極み乙女に対する世間の評価が一気に悪くなってしまい、彼らを避ける流れが時の流れに比例するかのように一段と強くなっていった。


雨に飲まれた私はゲス極が好きだと周りに言えなくなってしまった。カラオケでも歌わなくなった。表側に出すことが、出来なくなった。



が、決して、けっっっして彼らの音楽を嫌いになることは無かった。むしろ新曲が聴けない悲しみは昔の曲を漁れるきっかけに変換していった。


度重なる愚行によりスマホを没収された私は、代わりのものとしてウォークマンを買い与えられた。CDを買っては取り込んでを繰り返した結果、箱の中にはゲス極の昔の曲から最新の曲までびっしり詰まっていた。


テスト勉強中も、最寄り駅から家までの通学中も、とりあえずウォークマンを取り出しイヤホンを指してゲス極の全曲ランダム再生をしていた。全部の曲で3桁再生していたであろう、歌えない曲は無かった。



自粛が明け、初めてライブにも足を運んだ。同じく会場に向かっているであろう人は全員が全身黒い服装をしていた。ちょっと怖い。


ライブハウスには満員電車を凌ぐ人の大群。人間ドミノが度々始まるような状況の中、始まりを告げるかのように会場に響いた舞台袖にいるマイク越しのメンバーの声。


暗転が明けステージにメンバーが現れるやいなや会場はとんでもない熱狂ぶりとなった。私はといえば、画面でしか見た事がなかった人間が間近にいるという状況に頭が暫く追いついていなかった。彼らから放たれていたオーラは、今となっては感じられない、言葉通り“一生に一度”な体験だった。

↑少しセピア調なこの色味、好き。



ゲスの極み乙女は私にとって音楽の全ての土台となった。このまま死ぬまで彼らの音楽を追っていくのだろう、そんなことを違和感無く思うほど、頭からつま先までこのバンドを愛していた。


中学生時代の青春は、彼らと言っていい。彼らが居たから、私が居た。




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