A案初校

【短編】ハセガワマートの爆発

 ハセガワマートが爆発したのは、夏休み最後の日曜日でした。
 あたらしい小学校の新学期の準備を終え、お父さんとお母さんとテレビを観ながらはやめの晩ごはんを食べていました。番組と番組のあいだのみじかいニュースでしたが、「みやがわ町」とは、たしかに私たちがすこし前まで住んでいたところで、画面に映っていたのは、ハセガワマートの店長のおじさんとレジのおばさんとお兄さん、そして今川さんでした。お兄さんの顔写真は証明写真のようなのに、今川さんのだけプリクラで、なんだかおかしかったです。お母さんはぼんやり夕刊を読んでいたし、お父さんもフライをとりわけるのに忙しかったので、ほんの一瞬うつったニュースなどには、気にもとめていないようでした。
 現場はブルーシートでおおわれていましたが、ハセガワマートはずいぶん派手にふっとんだようです。舗道には焼けこげた金属の「マ」の字が落ちていて、そのすこし手前には、「ー」が落っこちていました。現場に張られたブルーシートのかげから、割れた鉢植えがのぞいています。お隣の酒屋さんのガラス扉も粉々に砕け、電線が焼き切れてぶら下がっていました。画面は、プロパンガスのボンベの写真に切り替わり、「爆発の原因は、漏れたガスへの引火」とテロップが入りました。
 「こらこら、お箸が止まってるぞ」 
 お父さんに言われて、私ははじめて、持っていたお箸を床に落っことしていたことに気がつきました。すると、お母さんが、あ、と短く声をあげ、持っていた新聞を振りかざして言いました。
 「みやがわ町で爆発事故ですって!」
 そら見たことか、といわんばかりの口ぶりでした。
 ニュースはすでに、天気予報へ変わっていました。
 私は、「火事」というものがとてもこわいのです。幼稚園の頃、近くのマンションで、火事がありました。家の人の留守中にガスストーブが絨毯に引火し、部屋が丸ごと焼けてしまったそうです。園庭をのぞむ窓から、黒焦げですすだらけのマンションが見えました。上にも下にも黒い染みのように広がったすすは、火が、上の階の床を焦がし、下の階の天井もいぶしたことを物語っていました。青い空にクリーム色の新しいマンションの、その一カ所だけ別の世界のようでした。見たくないのに、どうしても目をはなせず、ひとりでそうしていると、真っ黒な魔物に手まねきをされているような気分になり、以来私は、窓の外を見ることはありませんでした。
 爆発現場がブルーシートでおおわれていたのは、まだしもの救いでした。もし、黒焦げですすだらけのハセガワマートを見てしまったら、私は二度と、あの町の記憶へ目を向けることができなくなってしまったことでしょう。

 ハセガワマートといえば、まず思い出すのが、今川さんです。今川さんのほんとうの名前は知りません(もしかすると、新聞に名前が載っていたかもしれませんが)。ハセガワマートの舗道に面した露店のような一角で、たこ焼きやから揚げ、フライドポテト、今川焼を売っており、いつも「今川焼」と書かれたあずき色ののぼりに寄りかかるように立っていたので、私たちは彼女のことを「今川さん」と呼んでいたのです。近くの高校の制服の上からハセガワマートの深緑のエプロンをひっかけていたので、アルバイトだったのでしょう。頭のてっぺんが黒っぽくなった明るい髪をひとくくりに結び、「くそ面白くもない」といった顔で、売り場に出ていました。レジのお兄さんのようにから元気でなく、レジのおばさんのように子どもと話す時身をかがめたりしないところが、私はかえって好きでした。アヤは、今川さんは態度がでかい、と嫌っていましたし、より子は、こわがっていました。アヤもより子も私も、町ではめずらしく塾や水泳など習い事をしておらず、お互い団地も近かったので、放課後はよく一緒に過ごしていました。
 学校が終わると、いくつもある公園のうちひとつに、私たちは集まります。自転車をとばして遊水池のグラウンドへ遊びに行ったり、団地の広場で一輪車に乗る子もいましたが、アヤは自転車を持っていなかったし、より子は乗れませんでしたから。町には、あきれるほどたくさん公園がありました。アスレチック公園にクジラ公園、バナナ公園、桃太郎公園……。団地が次々とできたのと同じ頃に、あたらしく越してくる子どもたちのために作られたものです。遊具はどれもぴかぴかで、ローラーすべり台や二人乗りブランコなど、最新のものでした。ただひとつ、団地のできる前からある猫山公園だけは、痴漢だか不審者だかが出るという理由で、子どもだけで遊んではいけないことになっていました。
 だから私たちは、ハセガワマートで今川焼を買い、それを公園のすべり台やベンチや噴水のへりに腰掛けてほおばりながら、シール交換をしたり、におい消しゴムを見せっこしたり、アヤのゲーム機でかわりばんこに遊んだりして時間を過ごしたわけです。より子はシールも消しゴムもほとんど持っていなかったので、にこにことアヤと私の手元を見つめうなずいていました。ただおしゃべりをして、日が暮れるのを待つ日もありました。
 私たちはほとんど毎日のようにハセガワマートへ足を運んでいましたが、今川さんと言葉を交わしたことはありません。話すのをきいたこともありませんでした。いつもおなじようにぶすっと注文をきき、ぶすっと今川焼を紙で包み、ぶすっと渡してくれました。私は今川さんの長く伸びた爪やおさげの先っぽの金色の枝毛、鼻に光るつぶのような銀色のピアスを眺めていました。どことなく、授業参観の時に見かけたアヤのお母さんと似ていました。アヤのお母さんは、長く伸びた爪を、鮮やかな色に塗りあげていましたけれど。より子はたまに、子ども好きの店長のおじさんにつかまりました。気の弱いより子は、眉をさげて困ったようにほほえみ、店長に言われるまま、おもての鉢植えにじょうろで水をやりました。一度だけ、しゃがみ込んでより子のお尻を叩く店長のおじさんへ目をやり、今川さんがちっと舌打ちをするのをきいたことがありました。しかし、それだけでした。
 日が暮れると、私たちは、それぞれの家へと帰ります。
 私は四丁目の団地へ、アヤとより子は少し遠い、あかね橋を渡った先の三丁目の団地へ。お母さんは、なぜだか知りませんが、三丁目の人たちをあまり好きではなかったようです。アヤとより子のお母さんは、一緒にお出かけなんかするようでしたが、お母さんがそれに加わったことはありません。
 ある夜、トイレに起きた時のこと。お母さんの「いいかげんにして!」という高い声がリビングから響き、私は廊下でじっと耳をそばだてました。お母さんは、私を叱る時も、お父さんとけんかする時も、政治の話題などに意見する時も、この言葉を使います。「今後の教育」「悪影響」「中学が荒れている」「大学進学率」「受験」などの単語が途切れ途切れに聞こえてきたので、どうやら私のことのようです。私のことで言い争っているのに、その場に私がいないのは、なんだか不思議な気持ちでした。とにかくお母さんは、私のためを考えて、この町を出たがっているようでした。
 たしかに、四丁目の団地には、私立の学校へ通っている子もいます。私も私立の小学校へ通うはずだったのですが、すべて落っこちてしまいました。不合格の通知にしょんぼり肩を落とすお母さんに、なんと言葉をかけていいものか迷っているうちに、「あなたが悪いんじゃないのよ」とはげまされてしまいました。私はべつだん落ち込んでいたわけではないのに。なぜ私が、アヤやより子とおなじようではいけないのか、わかりません。しかし私は、うっすら感じていたのもたしかです。いまは仲良くしていても、きっと近い将来、お互いの人生が交わることはないだろう、と。

 今川焼を買うほかに、ハセガワマートへ足を踏みいれることは、めったにありませんでした。
 なぜならお母さんは、野菜やお肉などは普段から生協の宅配を頼んでいたし、特別な買い物がある時などは、バスでおおきい町まで出ることにしていたからです。ただ、今晩のシチューに使う牛乳が切れていた、明日の朝のパンがない、といった時は、やむなく私を連れてハセガワマートへ行きました。そんな時お母さんは、まるで敵陣へ乗りこむかのように、濃い色の口紅を塗り、間違ってもほかのお客さんのようにつっかけやTシャツといった格好をせず、きちんと身なりをととのえます。今日も、そうでした。お母さんは、まるで授業参観のような格好で、私の手を引きハセガワマートへ向かいました。
 この町の人のほとんどが、ハセガワマートで買い物をします。小学生の子が習い事の帰りに寄るのも、部活帰りの中高生が買い食いをするのも、仕事帰りのお父さんが発泡酒を買うのも、暇を持て余したおじいさんやおばあさんがぶらりと立ち寄るのも、ハセガワマートでした。生協のカタログにはのっていないおもちゃつきのお菓子があったり、アヤとばったり会えたりするのがうれしかったというのもありますが、なにより私は、ハセガワマートのざわめきを愛していました。つみあがった段ボール箱に並ぶりんごや大根、ガチャガチャとうるさい金属のカートに、割れたスピーカーから流れる特売のよび声。流れに逆らって泣きわめく小さい子に、叱りつける声、焼き肉の試食販売、ぼんやりと通路にたたずむおじいさん。ハセガワマートには、「生活」を現実のものとしてつきつける、圧倒的なパワーがありました。ハセガワマートにはすべてがそろっており、町の人々はほほえみ合い、店の中や外のあちらこちらでおばさんが輪になっておしゃべりに興じ、その子どもたちはそのへんを駆け回りました。お母さんは、その圧倒的なパワーにとりこまれてしまうのを、おそれていたのかもしれません。お母さんの実家は都会で、最寄りの駅には輸入品を扱うスーパーマーケットが何軒もあったそうです。お母さんが、「スーパーでケーキを買うなんて、信じられないわよね。あれ、二日目にはコンクリートみたいにかちこちなのよ」と言うのをきいたことがあります。いつかより子の家で、ハセガワマートで売られているケーキをごちそうになったことがありましたが、お母さんが買って来る長い名前のケーキと、たいしてかわらないように感じました——ちなみに、「インスタントコーヒー」というものをはじめて飲んだのも、その時です。
 ふたつあるレジのうちひとつはとてもゆっくりで、ひとつはスムーズに進みました。というのも、いっぽうのレジのおばさんはおしゃべり好き。きかれもしないのにご主人——ハセガワマートの店長のおじさんです——の悪口を冗談めかして言ってみせたり、小さい子に話しかけてはおまけをつけてあげたりするからで、もういっぽうは、今川さんよりすこし年上にみえる日にやけたお兄さんが、てきぱき手を動かすからでした。もちろんお母さんは、お兄さんのレジのほうへ並びました。お兄さんは気さくで、笑った顔が俳優の誰とかによく似ているだかで、おばさんたちに大人気でした。私はいつも、お兄さんの腕に浮き出た青い血管を眺めていました。お兄さんはレジのおばさんと店長のおじさん夫婦の実の息子で、ハセガワマートで働きはじめたのは、つい最近のことです。就職して町を出て、でも「だめになって」戻ってきたのだとききました。
 「まったく、一丁前に都会で働こうなんて考えるから」
 レジのおばさんがやけに明るくしゃべるのが、列の向こうからでもきこえました。お兄さんは、「まいったなぁ」と頭をかき、
 「慣れ親しんだこの町が一番ですよ」
 と、白い歯を見せ笑っていましたっけ。
 町の人はたいてい、高校を出るとこの町で仕事に就きます。ガソリンスタンドだとか、ファミリーレストランだとか、銀行の窓口だとか。アヤは将来、できたばかりのファストフード店で働きたいと話していました。大学へ進むため町を出た人がふたたび戻って来ることはめったにありませんでしたから、町の人たちは、お兄さんの帰還を、あたたかく、しかし同時に、それ見たことか、となかばさげすむように迎えたのです。ただ、屈託のないお兄さんの人柄もあったのか、悪く言う人はいませんでした。
 ヨーグルトと卵を買ってレジを抜けると、アヤのお母さんに声をかけられました。お母さんはひきつった笑顔で会釈し、私がアヤへ走りよる前に、私の手を引っぱりました。振り返ると、手を振るアヤのななめうしろで、だらりとのぼりにもたれている今川さんが見えました。姿だけでも、「くそ面白くもない」という雰囲気なのがわかります。
 エプロンをしていない今川さんのことを、一度だけ見たことがありました。
 お出かけ帰りのバスの中で、ぼんやりと窓の外を見ていたら、とつぜん現れたのです。道路は渋滞しており、歩道は下校中の高校生が幅一杯に広がっていました。そのなかを、髪をなびかせ、ひとり颯爽と歩いてきたのが、今川さんでした。金色の髪は西日に輝き、制服のりぼんが風にはためき胸元でおどっていました。まるでひとりだけ、身に合わない皮をかぶっているかのよう。どの生徒も、髪を染めたり、つんつるてんのスカートをはいたり、まつげをたっぷりと盛ったり、今川さんとよく似た格好をしていたにもかかわらず、どこかがまったくちがうのです。同じ方向へ歩いているのに、まるで流れに逆らうように、口を真一文字に引きむすび、今川さんは通り過ぎて行きました。

 「知ってる? 今川さん、人さらいにあったことがあるんだって」
 放課後、ハセガワマートへ向かう途中、アヤが、面白そうに声をひそめて言いました。より子が、えっ、人さらい! と大声をあげたので、しーっとひとさし指をたて、ふたたび声を落として話しはじめました。
 「ここらに団地ができるすこし前。誰かにさらわれて、猫山公園に閉じ込められてたの。ないしょだよ」
 アヤのお母さんは、毎晩仕事場から実にさまざまな情報を仕入れてくるそうで、だからアヤも、おどろくほどいろんなうわさを知っているのです。しかし、10のうち8つは根も葉もない作り話だったので、私はアヤの話などうわの空で、昨日お母さんからきかされた、引っ越しのことを考えていました。まだ建て売りの抽選に当たるかどうかわからないから、お友達にはないしょよ、と言われていましたが、いずれにせよ近々、私がこの町を去ることは明らかでした。私がいなくなったら、アヤとより子はどうするんだろう。かたわらでかさこそ揺れる、アヤの綺麗に編み込まれた茶色っぽいおさげを見つめ、私は思いました。きっと、アヤとより子は一緒に遊ぶことはなくなるでしょう。そうでなくても、きっと五年生にもなれば、アヤはチアリーディングなどの華やかなクラブに入って、団地が一緒のより子よりも、おなじように華やかな子といることを好むにちがいありません。高校へ行ったら、今川さんのように髪の毛を染めたりお化粧をして、のぞみ通り、ファストフード店で働けると思います。
 人さらいの話をきいたより子が一番こわがって耳をふさいでいたのに、今川焼をさし出す今川さんをもじもじと眺め、
 「さらわれているあいだ、何をしていたんですか?」
 などとたずねたものだから、アヤと私は、手にしたばかりの今川焼を、あやうく落っことすところでした。今川さんは、さし出しかけた包みをひっこめ、濃くふちどりされた瞳で、より子をじっと見つめました。より子はあとずさりし、蚊の鳴くような声で、ごめんなさい、と言いました。
 ところが今川さんは、笑ったのです。
 つやつやとした唇をにっとあげて。それにつれて鼻に光るピアスが光をはねかえしました。今川さんが笑うところを見たのは、はじめてです。
 「穴にいたんだ」
 つやつやの唇が動きました。アヤが隣で、ごくりと唾を飲み込んだのがわかりました。
 「穴の底で、一晩。空を見ていただけ。知ってる? 穴から見上げる空って、不思議といとおしいの。二度と地上から眺めることのできないかもしれない、たんなる、空」
 今川さんが空を見上げたので、私たちもつられて見あげました。電線に、からすがきちんとならんでいます。空は、鉄筋八階建ての団地群に切り取られ、算数で習った図形のようでした。
 「発見されて、あたしは『気の毒に』って言われた。お母さんは、世間のまなざしから全力で守ろうとした。お母さんだけじゃなかった。ちょうど、町が新興住宅地になろうかって頃だったから、町中の人が、守ろうとしたよ。あたしじゃなくて、この町をね」
 今川さんは、空から目をそらすと、こちらを見すえて言いました。
 「あたしはね、怒っているの」
 犯人にっていうのはもちろんなんだけど、とつけ足し、
 「あたしから目をそらして、何ごともなかったかのようにふるまうこの町の大人たちを、あたしは今でもゆるせない」
 今川さんはそう言うと、長い爪を噛み、宙をにらみました。うずうずしていたアヤが、たまらずたずねます。
 「犯人は?」
 今川さんは、もとのぶすっとした顔にもどり、
 「示談になって、町を出た。うちは片親だから、お金はありがたかったよ」
 と言うと、
 「で、あたしは今ここでこうして空を見てる」
 より子に今川焼の包みをつきつけ、もうこれ以上何もきくな、という雰囲気を全身からかもし出し、それきりだまってしまいました。
 翌日も、アヤとより子と一緒にハセガワマートへ寄りましたが、今川さんはあいかわらずだんまりと包みを渡してくれただけでした。店長のおじさんがやってきて、フルーツのど飴をくれました。

 猫山公園へ行ってみよう、と言い出したのは、アヤでした。
 梅雨の晴れ間の放課後、今川焼を食べ終え、シール交換もひととおり終わってしまい、私たちは暇を持て余していました。もちろん、より子はこわがりました。人さらい、と言いかけ、はっと両手で口元をおおいました。まるで口に出したら、人さらいがやってくるとでも言うように。猫山公園は、子供だけで遊んではいけないことになっているし、不審者もいるっていうし、昼間でもおばけがでるらしいし……つっかえつっかえならべ立てるより子の言葉はしかし、アヤをますますむきにさせただけでした。アヤはずんずん先頭を歩き、より子は私の背中に身をかくすように、おどおどついて来ました。
 猫山公園は、公園と呼んでよいものかもわからない、小高い山の上にありました。木々は高く、冬でも葉が落ちないので、うっそうと茂った林は暗く、山道に丸木を打ってできた階段をのぼって行くと、木で出来たベンチがふたつ、ぽっかりひらけた林の真ん中に置かれていました。昨日まで降り続いた雨のせいで地面はぬかるんでおり、木の杭につまづいたより子は、泥だらけの手でべそをかき、顔にも泥がつきました。
 さあ、もうすぐてっぺん、というところで、突然アヤが立ち止まりました。私も足を止めたので、より子が背中にぶつかり、ひん、と鼻水をすすりました。
 「誰かいる」
 より子をにらみつけ、アヤが小声でささやきました。林は、しんとしずか。時おり、木々を渡る風が葉をそよがせ、しめった幹や土のにおいを運んできます。鳩でもからすもない鳥が、なんどか低く鳴きました。斜面につき出た、錆びかけた看板が目に入りました。色あせたペンキで、『子供だけで入っちゃダメだよ』と書いてあります。固まってしまったアヤの肩ごしに、背のびしてベンチのほうを見ると、大人がひとり、こちらに背を向けて座っていました。今川さんの笑った顔が、ぎらりと冷たく光ったピアスが、頭をよぎります。私は息をとめたまま、しかしそのうしろ姿から目をはなすことが出来ませんでした。地面を見てじっとしているようですが、ときおり、肩が震えているのがわかります。泣いているというより、笑っているようなのです。暗さに目が慣れてくると、その人の姿がよりくっきりと見えるようになり、私はそれが誰だか気づきました。
 その時、こらえきれなくなったより子が、わぁっと大声をあげたので、私たちは転がるように階段を駆けおりました。それから、全速力で遊水池を突っ切り、歩道橋を駆け抜け、小学校まで走りに走りました。より子は、ずっと泣き通しでした。アヤは今川さんのようにぶすっとした顔になり、より子の肩を抱き、団地のほうへ歩きはじめました。あかね橋まで、誰も一言もしゃべりませんでした。
 だから、その時は思いもしなかったのです。より子が、ひとりで猫山公園へ行くなんて。

  夕方、お醤油が切れたから、ついて来てちょうだい、とお母さんに言われ、ハセガワマートへやってきた私は、そっとレジのお兄さんのほうをうかがいました。お兄さんは、いつもと変わらぬようすでおばさんたちに笑いかけながら、商品のバーコードを読み取っては、せっせとカゴへうつしています。いつものハセガワマートでした。私はほっとして、ハセガワマートにべったりとただよう「生活」の息吹に身をゆだねました。
 ところが、レジの順番が進むにつれ、うまく息をすることができなくなってきました。ひとりぼっちでベンチに腰かけ、声もなく笑っていたお兄さんのうしろ姿がまぶたに浮かんで消えないのです。ついにお母さんの番になって、私はたまらず、のりだしてお兄さんの足もとをのぞきこみました。スニーカーにはぬかるんだ泥がついており、靴ひもは黒ずんでいました。こういう時にかぎってレシートの紙が切れてしまい、お兄さんが取りかえているあいだじゅう、あの時こっそり見ていたことに気づかれやしないかと、私は靴の先っぽに目を落とし、息をころしていました。お兄さんはいつもとかわらず、どうした、元気ないぞ、と、うつむく私の頭を、血管の浮き出た手で、くしゃくしゃになでてくれたのでした。おおきな、男の人の手でした。
 お母さんに手を引かれハセガワマートの自動ドアを出ると、いつも空をにらんであずき色ののぼりにもたれている今川さんが、こちらをじっと見つめているのに気づきました。
 からだはがこの町にあっても、こころがどこか遠くへふわふわとただっている人を、私はさんにん、知っています。今川さん、レジのお兄さん、それからたぶん、私です。アヤやより子は、からだもこころもしっかりこの町に根づいていましたし、お母さんは、断固たる意思をもって、こころの距離を置いていましたから。私は、ハセガワマートも、今川さんも、店長のおじさんも、おばさんも、アヤ、より子、もちろんお母さんのことも好きでした。でも、いつの日か、ひとりまったくちがった道をゆくでしょう。私は、来月、10歳になる子どもです。住む町も、学校も、進路も、まだじぶんで選びとることはできません。ただ、あかね橋のたもとでアヤとより子と別れる時、玄関でチャイムを鳴らす時、ふと、どうにもならないさびしさを感じることがありました。

 より子が連絡もなく学校を休んだ日、はじめはみんな、のんびりやのより子のことだから、どこかで道草を食っているのだろうと思っていました。お昼を過ぎてもやって来ないので、先生が、アヤをはじめとする同じ団地の子たちにより子のことをたずねてまわりました。すると、より子のお隣に住んでいる男の子が、朝、ランドセルを背負って学校のほうへ歩いて行くのを見た、と言ったものだから、おおさわぎになりました。おつとめに出ていたより子のお母さんも飛んできて、町の大人たち総がかりで、より子のことを探しました。私たちははやめの集団下校となりました。より子のことは心配でしたが、なんだか妙にうわついた気持ちで、アヤなんか体操袋を振り回しながら、あかね橋を駆けていきました。人さらいの話は、どちらも口にしませんでした。
 より子がぶじ保護されたことは、夕方の連絡網で知りました。お母さんは受話器を置き、
 「より子ちゃん、見つかったそうよ。猫山公園で」
 と言い、私にあらためて、子どもだけで山の中へ入らないよう、釘を刺しました。三丁目は、治安が悪いんだから、とも。
 その夜は、穴の底から空を見あげ、むじゃきに笑っているより子の姿がまぶたに浮かんで眠ることができず、私はなんども寝返りをうちました。

 「どうして猫山公園へ行ったの」
 翌朝一番で、アヤが、教室へやって来たより子を問いつめました。より子は、もたもたとランドセルをおろしながら、にっこり答えました。
 「お兄さんと、カラスのお墓をつくってたんだよ」
 より子は、やさしい子でした。道でカマキリがつぶれていても、ふつうの女の子ならきゃあきゃあ悲鳴をあげるところを、にこにこと臆することなくカマキリをつまみあげ、土の地面に乗せて葉っぱをかぶせてやるような子なのです。夏の終わりなど、おおいそがしでした。なにせ、力つきて道に転がった蝉を、いちいちひろって歩かなくてはならないのですから。
 昨日も、学校へ向かう途中、道で死んだカラスを見つけたというのです。カマキリや蝉よりもだいぶおおきいので、どうしたものかと途方に暮れていると、
 「ハセガワマートのお兄さんがやってきて、猫山公園に埋めてあげよう、ついていってあげるよって声をかけてくれたの。それで、猫山公園へのぼって、ベンチですこしお話して、さあ穴を掘ろうかっていうところで、ハセガワマートのおばさんが飛んできた」
 より子は、いつものようにのったりと話しました。どうやって穴を掘るつもりだったのかたずねると、お兄さんが猫山公園の林のかげからスコップを引きずり出してきたそうです。
 「より子ちゃんを見つけたのは、ハセガワマートのお兄さんだそうよ。ほら、あの子って、ちょっと遅れてるじゃない? 猫山公園で迷子になったみたい。よかったわあ、誘拐なんかじゃなくて」
 お母さんがお父さんに話ずのを、私は夜の廊下でききました。
 「ハセガワのおばさんが間一髪、より子をお兄さんから引きはなして、『あんたを殺してあたしも死ぬ!』って、もうすごい剣幕だったって。ないしょだよ」
 アヤが、『ママからきいた話し』を、私にそっと耳打ちしました。私のほかにもさんざん耳打ちをしていたようですが、いつものアヤのうわさを信じる人はなく、アヤはえらく怒っていました。
 「お兄さんは、カラスにも、より子にも、やさしかったよ」
 より子は、ゆっくりと話しました。それから梅雨明けの空をあおぎ、
 「残念だったなあ。カラス、埋めてあげられなくて」
 と、ぽつりとこぼしました。
 この一件があってから、ハセガワマートのお兄さんは、迷子を助けた見あげた青年として話題になりましたが、お兄さんのかわりに、店長のおじさんがレジに立つようになりました。おばさんはいっそう明るく高らかに笑い、おじさんがより子に話しかけることは、もうありませんでした。今川さんは、これまでにも増して愛想がなくなり、空をにらんでいる時間が増えたような気がします。
 より子は今年も、地面にひっくり返った蝉を、ひとつずつひろいながら歩きます。私の引っ越しは、夏休みがはじまってすぐに決まりました。
 「夏の引越しはつらいぞう」
 お父さんがこぼし、お母さんはいそいそと、私の転校の手続きをすませ、あたらしい家のそばにある塾のパンフレットまでもらって来ました。私はきっと今度こそ、私立の中学校へ進みます。それから、附属の高校へ。今川さんのように髪を染めたり、ピアスを開けたりすることもなく、大学を出たら、都会で働くようになるでしょう。
 私は、考えました。もしも今川さんが穴から空を見上げることがなかったら、今どこで、どんなふうに生きていたんだろう。やっぱり、顔をしかめて、あずき色ののぼりにからだをあずけていたでしょうか。

 今年は、ちょうど終業式の日が夏祭りでした。毎年おこなわれる町ぐるみのお祭りは、遊水池のグラウンドにちょうちんがはられ、盆踊りのやぐらがたち、子どもみこしやら、金魚すくい、綿菓子の屋台やらで賑わいます。打ち上げ花火もあがるので、ちょっと遠くの町からも、ずいぶん人がやってきます。ハセガワマートも、かき入れ時でした。お店の前の露店を広げ、いつもの唐揚げやフライドポテト、たこ焼きや今川焼のほかに、氷水で冷やしたラムネやら、パックに入った枝豆や焼きそばなんかを売るのです。もちろん、売り子は今川さんでした。
 お母さんは、あんなことがあった後なのに、夜にしかも子どもだけで出歩くなんて、と夏祭りへ行くことには猛反対でしたが、私は、アヤやより子と会えるのは最後なんだからとさんざんごねて、やっとおゆるしをもらうことができました。ただし、買い食いはなし、花火が終わったらただちに帰ってくること、という条件つきで。より子がぞうりの鼻緒で靴ずれになってしまったので、花火の場所とりをまかせ、アヤが綿菓子を、私がフライドポテトを買いに行くことになりました。
 運よく、ハセガワマートの露店はぽっかりすいており、私は今川さんに、さんにん分のフライドポテトを頼みました。小銭をかぞえながら、
 「今日はひとり?」
 今川さんが言いました。話しかけられるなど予想もしていなかったので、答えられずにいると、今川さんはフライドポテトをパックに流し込む手をとめ、
 「あんた、町を出るべきだよ」
 と私の目を見て言いました。それから、私の言葉を待たずに続けました。
 「この町にいると、ここで起こることがすべてだってかんちがいしちゃいそう。しけた商店をまんなかに、団地のせまい世界に満ち足りて、なにも知ろうとしない。ここの居心地のよさにしがみついているためなら、汚いものには蓋をしてしらんぷり。ここにいたって、ちっとも自由になれない。母さんみたく、働いて働いて、老いぼれて。笑っちゃう」
 今川さんは一息に言って、鼻を鳴らしました。暗いなかでも、露店のライトに照らされて、銀色のピアスが輝いています。私は、今川さんの言っていることがよくわからず、叱られたような気持ちになって鼻緒に目を落としました。今川さんも今川さんで、思っていることをうまく言葉にできなかったようで、もどかしそうに長く伸びた爪を噛んでいました。もどかしそうに金髪をかき、一言、
 「町を出るんだ」
 と言いました。
 「夏の終わりに。その頃には、お金もたまるし」
 それから今川さんは、信じられないことを言ったのです。
 「いっしょに来る?」
 ばぁん、とおおきな音がして、私は跳ねあがりました。空に花火がかっと開き、今川さんの金髪を照らします。私が答える前に、
 「あんたいくつ?」
 今川さんがたずねます。私は胸がどきどきして声が出ず、かわりに両手の指をぜんぶ、立てました。ほんとうは、誕生日はあとすこし先でしたが。
 「そう。あたしは10歳で大人になった」
 今川さんが夜空を見あげました。花火が続けざまにあがり、歓声と拍手がこだまします。私は音がやむのを待って、じき引っ越すのだと告げました。今川さんは、あ、そ、と短く答え、
 「あんたんち、お母さん、そんな感じだったもんね」
 とつけ加えると、フライドポテトを差し出しました。
 「元気でね」
 今川さんも、と言いかけましたが、私は今川さんの本当の名前を知らないのでした。フライドポテトを受けとって頭を下げ、アヤとより子の待つ場所へと走って行きました。浴衣ごしに、今川さんの視線を感じました。どぉん、どぉん、と花火があがるたび、あたりが赤や緑、オレンジ色にうす明るくなり、ぱちぱちと火の粉がはじける音が追いかけてきました。
 その夜も、あかね橋のたもとで、私たちは手を振って別れました。アヤとより子の浴衣の帯が金魚のようにゆれながら、三丁目の暗闇のなかへ消えていくのを見送って、私は四丁目へと歩き出しました。
 あたらしい家は、一戸建てでした。こぢんまりとした芝生の庭があり、玄関を出ればハナミズキの並木道。輸入品を扱うスーパーマーケットも、車ですぐのところにありました。夏休みのあいだじゅう、私は塾の夏期講習へ通い、今日は朝はやくから夏の終わりの全国公開模試を受けていました。
 つまり、私が算数の文章題に頭を悩ませていた頃、ハセガワマートは爆発したのです。
 開店前でお客さんはいませんでしたが、「店長をはじめとする従業員三人が死亡、アルバイトの女性一人が行方不明」だそうです。
 まぶたの裏で、ハセガワマートに張られたブルーシートが、風にあおられ舞いあがります。幼稚園の窓からこわごわのぞいた火事のあったマンションのように、それはすすだらけで、黒焦げで、希望も将来もぷっつりと絶たれてしまったような、不穏な空気をはなっています。風をまとい、がれきを踏み越え颯爽と歩いて行くのは制服姿の今川さん。今川さんは、ちらりとこちらへ目をやると、銀色のピアスが光る鼻を鳴らしました。その手に握られているのはところどころ端子の突き出した起爆装置で、プリーツのスカートはもうもうと立ちのぼる黒煙をはらんでふくらみます。
 「あたしはね、怒っているの」
 それから、つやつやとした口元をゆがませ、今川さんはほほえむのでした。そばで穴を掘っているのは、より子です。もたもたとぎこちなくスコップを突き立て、焼け落ちた看板の「マ」それから「ー」を、土の地面に埋めてやろうとしているようです。丁寧に土をかぶせ、より子は今川さんを見あげ、泥だらけの手をはらいました。耳元でささやくのは、アヤでしょうか。
 「ガスボンベはね、今川さんの露店の裏にあったんだって。栓をゆるめるのなんて、簡単」
 私は頭をぶんぶんと振りました。
 だって、ハセガワマートの爆発は、正真正銘、事故なのです。新聞記事にも、「店長の不手際により、ガスに引火」とありましたもの。
 でも、と私は思うのです。
 でも、もしこれが「事故」でないとして、町の人たちはこれをつまびらかにするでしょうか? 今川さんがさらわれた後も、なにごともなかったかのようにふるまう、しかしごくふつうの、どこにでもある町なのです。今川さんのゆくえはいまだわからず、そのうち爆発事故は、芸能人のスキャンダルにかげをひそめ、うやむやのまま、幕をおろしたかのように思われました。
 ハセガワマートの跡地には、全国チェーンのコンビニエンスストアができたそうです。私は、全国公開模試で100番をとりました。
 ハナミズキの並木道を、サッカーボールを蹴りながら、男の子たちが駆けて行きました。のどかな、ごくごくふつうの町なのです。
 10歳の誕生日をむかえましたが、私はまだ、大人ではありません。
 真実から目をそらし、現実をうけいれながら毎日をやってゆけるほど、私は寛容でも、愚鈍でも、ないのですから。

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