映画「ファンタスティック・ミスター・フォックス」感想

 本邦のサブカルチャーが提供するフィクションは、母親から精神的な虐待を受けた美少女を主人公へ依存させるか、父親から性的な虐待を受けた美少年を主人公へ依存させるかの、いずれかへと大分される。必要なのは依存者の持つトラウマ描写のみで、主人公の成長に触れる必要は全くない。意識的にせよ無意識的にせよ、世俗の本流から外れることを選んだ誰かは、疑いなく生育の過程で負った精神的外傷にそれを強いられている。そして、自らの傷をセックスの対象へと投射し続ける作業に創作と名付けて金銭を得られるほどに、我が国のサブカルチャーの裾野は広い。

 ダージリン急行のときにも書いたが、ウェス・アンダーソンは宗教でも心理学でもないアプローチから救済の物語を紡ぎだす。己のトラウマから汲まないフィクションが持つ強靭さに、私はもう、ただただ恥じ入るばかりである。

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