アニメ「水星の魔女」感想(24話まで)

プロローグ&1話

 キミらがあんまりウテナウテナ言うから、ガンダム下手のトーシロなのに水星の魔女を見る。確かに機動武闘で少女革命したい感じは伝わってきましたが、主人公がキョドりすぎドモりすぎなせいで尺が足りなくなったのか、後半の決闘シークエンスの流れがかなり唐突で不自然なのは、非常に気になりました。まず、決闘の日時を知らされているはずの主人公が学校のモニターでガンダムの盗難を知るのって、どうすればそんな状況になるんでしょうか。そこから級友にスクーターを借りて、立ち入り禁止のエリアに潜入(どうやって?)して、だだっ広い荒野を横断して、転倒したガンダムによじのぼってコクピットを開けて、どうでもいい痴話喧嘩をオッぱじめる。速い場面転換で瞬間移動みたいにしてごまかしてますけど、これだけの長い時間、桐生冬芽ポジションの敵キャラは何もせず、ボーッと突っ立ってそれを眺めていることになり、脚本のせいか演出のせいか定かではありませんが、ちょっとひどすぎるように思います(識別画像にスクーターを貸した女子の顔が出てくるくだりも、演出意図がわからない)。ヒロインに「守られるだけのお姫様ではない宣言」をさせるためとはいえ、もっと他に上手いやり方があったんじゃないでしょうか。入念に準備した暗殺計画を、息子が決闘に負けたから曖昧にとりやめるのも意味不明で、リアリティラインをどこに置いて視聴すればいいのか、第1話の段階ではサッパリつかめませんでした。

 ただその次に見た、先行して公開されたらしいプロローグはメチャクチャよかった! たぶん世代の近いクリエイターだと思うんですけど、エヴァ旧劇からの影響というかそこへ向けた目くばせを、強く感じました。「Air」の超絶エンタメに魂の深い部分を呪縛され、「まごころを、君に」における中年オヤジの泣き言にモヤモヤしながら、「正しいエヴァの完結とは?」についてずっと考え続けてきた人物なのかもしれません。シンエヴァという還暦オヤジの泣き言を経たいま、ハッキリと言語化できますが、それは「Air」の続きにおいて「第拾九話を超えるシンジと初号機の大立ち回り」と「人類補完計画へのスピリチュアルではない回答」を展開することより他にありません。水星の魔女プロローグには、確かにその萌芽ーーこれを我々の「Air」とし、本作ではその先を描くという意志ーーを感じました。にもかかわらず、第1話にしてすでに脚本と演出が空中分解しかかっているのは気になりますが、今後のストーリーには大いに期待しております。

 あと、エヴァの出撃シークエンスを意識したと思われる場面で、長方形の箱がキメキメのアングルでギュンギュン高速レール移動するのに思わず笑ってしまったんですけど、作画カロリーとかの関係でしょうがないんですかね、これ? エヴァと同じく直立のロボットを移動させるじゃダメだったんでしょうかねえ(リアリティライン?)。

第6話

 水星の魔女、第6話まで見る。いやー、いいですねえ! 人の魂が込められた機体からテレビ版第拾七話を彷彿とさせる終わり方まで、いよいよ予想通り「オレたちが作るポスト・エヴァンゲリオン」の様相を呈してきました。うっとおしいばかりに他者と関わろうする主人公も、「人たらしの碇シンジによる人類補完計画」というイフを思わせて楽しい。エヴァ旧劇の「地球と太陽なしには生きられない生命体から魂のみを抽出して、ロボット方舟に乗せて外宇宙へと送り出す」に対して、過酷な宇宙空間でも人が生きられるようにする義体のプロトタイプがエアリアルなんでしょうねー。そんで、主人公の妹の脳と脊髄がユニットの中枢におさめられてんの。でも、ウテナ感はもうどっかいっちゃったなー。

第12話

 水星の魔女、第12話を見る。タイムラインの沸騰ぶりを横目にしていたため期待値が高まりすぎたせいか、古参のガンダム下手としては、それほどの衝撃を受けることができませんでした。旧エヴァのフォロワーをにおわせつつも、ずっと作品のトーンが定まってこなかったのを百合展開で引き伸ばしていたのが、ようやくプロローグにおいて提示された世界観とチューニングが合ったなーという印象です。少年漫画やジュブナイル作品における御法度であるところの殺人行為へと主人公を踏み切らせた理由が、その場しのぎ的な二期へのクリフハンガーではなく、戦時下の現代社会における重要なテーマとして昇華されることを強く願っています。

 水星の魔女12話の顛末を、あれから脳内で反芻している。古くからの少年漫画読みーーあるいはネット抜きの平和教育に洗脳された一時期を持つ者ーーにとって、人を殺すという行為は「主人公の資格を不可逆に剥奪される刻印」に他なりません。最も人を殺してそうな少年漫画誌の主人公ナンバー1である範馬刃牙でさえ、30年を越える連載期間を経ていながら、いまだに殺人童貞なのですから! 「絶対悪である殺人と、その因果応報」を色濃くまとった作品にブレイキング・バッドベター・コール・ソウルがありますが、あちらの命を奪うことへ幾重にも積まれた葛藤と必罰の陰影レイヤーに比べると、こちらは母子の関係性へのみ因果が収束する非常に明るくあっけらかんとした描き方に見えます。さらに、殺される側を「フルヘルメットで顔を覆った、名前のないテロリスト」として描いているのも、彼の家族の方向へは物語を敷衍しないという宣言であり、今後は「恋人サイドの受容」と「母の呪縛からの脱却」にのみ焦点が当てられるのでしょう。

 ふと思い出しましたけど、ククルス・ドアンの島でもアムロが逃げまどう敵兵をガンダムで踏みつぶしていて、「生身の人間をロボットで殺害すること」が当シリーズに脈々と引き継がれる主人公の条件だとするなら、この件について私の言えることはもう何もありません。ツイッターで見かけた「作画が間に合っていないための総集編」や「最終話における有名アニメーター総力戦」などの様子からうかがえば、ストーリーの結末までをあらかじめ見通した作劇が行われているのか、少し懐疑的になっても仕方のないところでしょう。第1話の感想を読んでもらえばわかりますが、本編の演出とストーリー展開を他作品に比べてなみはずれて秀逸だと感じたことはなく、SNSの盛り上がりも「キャラを好きになった人たちが、作品をさらに称揚したいがための、実態を大きく越えた過剰な深読み」だと感じることがとても多かったです。物語の自走性よりも、この時代に特有の「2期まで視聴者を引っ張るため、ツイッターでバズらせておきたい」という制作側の意図が強く前面に出ている気がして、これまで愛してきたキャラと作品が壊されたように感じている方々の意見は、とてもよく理解できます。

 なんかSNSで作品の身の丈を越えた感想が飛び交う状況って経験したことあるなー、なんだったかなーと考えていたら、タコピーの原罪だった。

第13話

 水星の魔女13話を見る。うーん、この温度感で日常パートを再開するには、12話のラストをギンギンに冷やしすぎましたねー。「当初は2クールまとめて放送するはずだったのに、作画スケジュールが破綻して前後半へ分割となり、本来的に不必要な行き過ぎたクリフハンガーを用意するハメになってしまった」ことが、今回のストーリー展開で明らかとなりました。ジュブナイルにおける殺人の意味については以前にお話ししたとおりで、本作の主人公にその資格を失わないプロットが仮にあるとすれば、「彼女の正体は小型化に成功したガンダム義体で、たとえば脳髄などの魂を宿すと思われる部位が搭乗機体に収められていて、義体側の思考と人格はAIによるエミュレーション」みたいなエヴァ初号機の逆パターンだったら、かろうじてSF作品としての受容はできるかなと感じています。「別の方法があったのかな」ぐらいの反省や「言われなくても」の一言で「人殺し」を許容できるのは、もっと偶発的な事故によるマイルドな描き方だった場合だけでしょう。意図的な殺人に伴う執拗きわまるスプラッタ表現は、提示された新たなストーリーラインからかけ離れた演出になっており、現段階では本作にとって取り返しのつかない瑕疵に見えます。そして、この印象が今後くつがえる気はしません。

第24話

 水星の魔女、最終回を見る。結局、ウテナでもエヴァでもない場所で、「だれも死なないガンダム」として「大団円のための大団円」を駆け足でやったなという印象です。大ネタであるはずのデータストームの扱いも、「魂のデジタル化」の話をサイファイでやるのかと期待させておいて、「死者のよみがえり」を語る目的のオカルトなガジェットとして消化されてしまいました。全体を通してふり返れば、エピソード0の時点が最高潮であり、おそらくは脚本の遅延による分割2クールと作画の帳尻合わせに追われて、いずれの伏線にもテーマを焦点化できないまま、近年のフィクションに顕著な「キャラクターのための物語」として終わってしまった。大方のエンディング予想は、「2人が色違いのウェディングドレスで挙式し、ブーケトスに合わせて1期のオープニングが流れる」ぐらいだったと思いますが、ハウス名作劇場のそれを思わせる地味な終わり方だったのは意外でした。本作は1話からSNSで大バズりをして作品の身の丈を越えるヒットとなったのに、その最終回においてツイッターのブースト抜きで等身大の正味をさらすことになってしまったのは、じつに皮肉なことです。この特異な外的状況を込みで記憶されるべき作品となったことだけは、間違いありません。



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