雑文「人気作品に学ぶ『ループ』と『転生』の正体について」

 FGOの新イベントをチマチマ進めてる。たまった無償石で回して出なかった新キャラが呼符1枚で引けたり、10キャラ以上の新衣装がドバッとタダで配られたり、やっぱりFGOは気前がいいなあ、と思った。これがウマ娘なら、新衣装は別キャラ扱いで6万円天井のガチャに入りますからね。ウマ娘、キャラやストーリーやゲーム性の良さは認めますけど、みんなもっと集金システムのエゲツなさを指摘するべきだと思いますよ。んで話をFGOに戻すけど、今回のシナリオはファンガスの筆ですね、間違いない。これだけの数のキャラを登場させながら、キッチリそれぞれの外してはいけない特徴を芯でとらえてミートして、打率10割ですべてクリーンヒットにしていく手腕はさすがだと思いました。他のライターの方々は、ファンガスの提示した各キャラの魅力をしっかり読み込んで、少しでもこの技術に追いつけるよう学んでほしいところです。個人的には、今回の題材であるアイドルについて、特にグロス販売ーー偏差値の落差を平均でならして、下限との差で上限を浮かび上がらせる手法ーーになってからのアイドル・グループをどう楽しむべきなのかよくわかりません。なぜ、こんなにも執着して応援したがる人々がいるのかを理解できていないので、だれか競馬に例えて教えてもらえないでしょうか。

 え、本末転倒なことをまたネタでわざと言ってるんでしょうって? いやいや、ある概念をだれかに理解させるのに、そのだれかにとって親しい別の概念へと置き換えて説明するのって、すごく大事ですよ。きのうの午後、FF11やりながら(ここに至る話はまた後日)タイムライン眺めてたら、競馬の話が延々と流れてくるわけ。んで、テレビつけたら競馬やってて、順ぐりに出走する馬の紹介してんの。そしたら、ポニーかラバかみたいな明らかに他より小さい個体がいるのよ。ウマ娘に黒づくめでチンチクリンのキャラがいてすごい人気なんだけど、その小さな馬を見た瞬間に理由が理解できたの。筋骨隆々の恵体を有するサラブレッドを、種族さえ違って見えるこんな小兵が押さえて勝利するなら、それは確かに痛快なドラマだろうなって思えたの。

 何の話だっけ。そうそう、FGOのイベントにからめたアイドルの話から脱線したんだった。今回のイベント、テキストのすばらしさは両手離しで褒めながら、終盤のストーリー展開には「またループかよ」と少し失笑が漏れてしまったのは確かです。失笑しながらもお話は面白くなっていくので、つくづくこの時間ループというのはズルいギミックだなと、改めて考えさせられました。最近ではどこを見回しても、「時間ループもの」か「異世界転生もの」ばかりですが、この2つは「人生のやり直し」を希求しているという点で、基本的に同じカテゴリでくくっていいと思います。そして、これが流行る理由はズバリ、オタクの高齢化でしょう。二十代前半くらいまでは単線の人生をわき目もふらず驀進(バク、シンッ!)するのみですが、それ以降は生業や棲み処や配偶者や扶養者の有無と種類が否応な選択(しないことも含め)として分岐を為していき、引き返せない失われた可能性としての過去を、我々の背後へ膨大に作り出していく。選ばなかった選択肢への未練とか、人生をやり直すことへの欲望というのは、基本的に初老ーーいやいや、40歳くらいを指すのよ?ーーを迎えてから老年へとめがけて最大化していくもので、青少年にとって本来は無縁のものに違いありません。しかしながら、オタクのマスが初老を越えて市場がそのニーズに応えた結果、ループものと転生ものがあふれかえり、本来的にはまだその欲望を持たないはずの青少年に、あえて言いますが、いまやジャンルとして悪影響を与えるような広がり方をしています。終わったあと、通り過ぎたあと、そこに分岐や選択肢があったのだと遅れて気づくからこそ、我々は人生を前に進めることができるのであって、最初から分岐や選択肢の前に立っていることを意識させられては、永久にそこで立ち往生するしかありません。

 ループものの源流としては、J.P.ホーガン御大が挙げられるのかもしれませんが、本邦においては何よりエロゲー業界がその発祥でしょう。「デザイア」で提示された革新的アイデアを「YU-NO」が洗練したシステムと融合して可視化させ、その肉厚の油揚げを「まどマギ」がかっさらって魔法少女と悪魔合体した結果、爆発的に人口へと膾炙したのです。ファンには申し訳ないですが、エヴァ原理主義者の私としては、「まどマギ」がここまで時間ループの概念を一般化させなければ、シンエヴァはもっと臆面もなくベッタベタのループものとして終われたんじゃないかと、少し恨みに思っております。いつまでシンエヴァについて愚痴ってるんだって感じですけど、「これは虚構だ」って開き直るぐらいなら、初代プレステみたいな汚いCGや撮影所を見せるんじゃなくて、「逆境ナイン」(やっぱり友人は大切)や「グレンラガン」のように、9回裏100点差から逆転勝利するみたいな、銀河をフリスビーとして武器に使うみたいな、突き抜けたウソによるフィクションを描くべきだったと思うんです。どちらも、「オイオイ、そんなのありえねーだろ!」と両手を打ち鳴らしての大爆笑から、最後は大号泣の大団円ですからね。過去作の自己模倣でいうなら、マクロスよろしくブンダーが船尾方向から直立してギガ・初号機へと変形、天の川銀河をフィールドに巨大アヤナミと恒星をサッカーボールにして蹴りあうみたいな突き抜け方をしていたら、監督の抱えるエヴァを作るしんどさを含めて、受け入れる気持ちになれたと思います。恥をかきたくない自分クンがカッコつけて、パンツを脱ぐどころか奥さんにつけられた貞操帯を見せびらかすみたいな、リスクをとって決勝点をねらうのではなくガチガチに守りを固めて、失点を回避しながらドローをねらうサッカーみたいなことをエヴァでするから、ここまで非難(君だけ)されるんですよ。

 ループものの話に戻ると、「まどマギ」の最初の劇場版を家人と見たんですけど、途中までは眠たそうに頬づえついてたのが、主人公を助けるために少女が同じ時間を繰り返しているとわかった瞬間、目を見開いて身を乗り出しましたからね。2012年当時、ループものが一般層にとっていかに新しかったかが、このエピソードから理解していただけると思います。もっとも、「叛逆」については半ばアニメ自慢のキャラ萌え作品と化していたので、家人は途中から舟をこぎだして、ついには寝てしまいました。以前、「叛逆」の後をまともに語ろうと思えば、エヴァ旧劇でも不可能だった、デビルマンで言うところの「善と悪のアルマゲドン」を、説得力のあるシナリオとビジュアルで提示しなければならないと指摘したことがありました。先日発表された「廻天」は、あのエヴァでも手を出すことのできなかったこの命題へと挑むつもりなのでしょうか。「物語を続ける」ため、小手先の作劇に逃げず、本邦では誰も成功していないこの命題へと、敗北を恐れないで真正面から堂々とぶつかっていくことを期待します。

 でも、わざわざそんなしんどいとこに行く理由も義理もないので、安易なキャラ萌え学園ものへと回帰しちゃう予感も、ちょっとあるなー。

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