ゲーム「サイバーパンク2077(2週目)」感想

 サイバーパンク2077、いっさいの情報を遮断してメインストーリーをクリアした後、そのまま新キャラ作って2週目をプレイしてる。ジャッキーと別れるのがイヤで、紺碧プラザへ行くのを先延ばしにしながら、ときどき犯罪行為に武力介入したりゴミを拾ったりする以外は、特に目的もなくウロウロしてる。真っ暗にした部屋で大画面のナイトシティをそぞろ歩いていると、年末に必ずやってくる「まだ何もしていない」という謎の焦燥感をいっときでも忘れることができ、たいへんに心安らぐ。この街の住人は一様にクズで向上心がなく、いつも他人を陥れることばかりを考え、口を開けば政治的に間違った言葉ばかりが飛び出す。だからこそ、私は心やすらぐ。社会的な正しさの擬態が必要なく、人生に目的があるといった欺瞞から離れて過ごすことができるからだろう。

 ナイトシティでのできごとって、ぜんぶ「夜の街関連」だよな……。

 サイバーパンク2077の2周目プレイ中。1周目をクリアした後だと、最初は気づかなかった様々なアラが見えてきた。メインストーリーと箱庭の作りこみとサブシナリオとゲームシステムを別々に作って、最後にガッチャンコ(関西弁で「ひとつにまとめる」くらいの意)しようとしたらうまくいかなくて、それぞれが収まるよう順に枝葉を切り落としていったら、ついには幹にチェーンソーを入れざるをえなくなった感じ。ジャッキーやTバグとの関係性を深めるストーリーが丸々カットーーTバグに至ってはおつかいのサブシナリオがひとつポツンとあるのみーーされてたり、大小様々な組織の利害が入り乱れる街で出自まで選べるのにコーポ中心のエンディングしか用意されていなかったり、街頭の作り込みはすさまじいのに中に入れる建物が極端に少なーーこれはたぶん、エリア構築とハッキングのシステムが一体化していることが原因、コピペのがらんどうでいいのにーーかったり、独自AIで自律的に動くはずの住人や警官(犯罪行為の瞬間に間近へスポーンするのは萎える)についてたぶん発売直前に白痴化が行われたり、ちんちんの長短やヴァギナの有無や声帯の男女入れ替えなどのトランスジェンダー的キャラクリにほぼゲーム的な意味が無かったり、とにかく「あるべき場所にあるべきものがないことで生じる空洞」が多すぎるのです。細かいけど、ゲーム内でキャラクリを自由にやり直しできないのって世界観を真ッ正面から否定してるよなー、性別や見かけではないところに真のアイデンティティがあるっていうさー。

 あと、ジョニーというキャラが好きになれるかどうかがゲームへの印象を大きく左右する作りになってて、クリア後もジョニーのrelicを外せないのって、結構マイナスポイントになる人いると思うなー。冷凍漬けにしてた、あるいはクローンの肉体にrelic内の魂を転写してジョニー復活、以後はバディとして同行可能、みたいな展開を予想してたんだけどなー。いま挙げた不満の中には有志のMODで解決できるものもあるけど、メインの部分ではCD Projektにがんばってほしいところです。みんなウィッチャー3一作でこの会社の実力を判断しちゃってたとこはあると思うんだけど、ほんと前作が奇跡のバランスだったんでしょうね。数年(8年!)に渡って、出入りのある数百人のクリエイターの成果物をすべてチェックして次の方向性を与えて、ゴールを明確に提示しながらそれらを矛盾なくずっと統御し続けるって、よく考えたら人智を超えたマネジメントですもん(世界1個を丸々創造するという意味で、ヤハウェと同等の管理能力が求められるはず)。

 同社のウィッチャー3の何がすごかったかと言うと、オープンワールドRPGなのにシナリオに整合性があって、ゲームバランスが破綻していないことだったと思うんです。オブリビオンにせよフォールアウト3にせよ、最初期のオープンワールドは箱庭に特化した、良くも悪くも雑な作りのゲームでした(逆に言えば、細部を雑にしておかないと立ち行かない)。そして後発のオープンワールドでストーリー重視のものは、箱庭要素を極限まで切り捨ててほぼ一本道にすることで、物語ることに特化していたわけです。ウィッチャー3は箱庭要素と物語要素が初めて矛盾なく高いレベルで成立したという点で、極めて画期的だったと思うのです。サイバーパンク2077にも同じレベルが内外から要求され、8年間の発酵期間を経て膨れに膨れた期待を結果として上回ることができなかったのが、発売後の騒動の原因ではないでしょうか。発売直前の絨毯爆撃的アドバタイズメントで初めて今作を知った私にとっては、自宅に押し込められた空虚な年の瀬へ、予想外に訪れた良質のエンターテイメント体験だったのですが、AAAタイトルはその宿命として空前を更新する大傑作であることを常に求められ、「良ゲー」ぐらいの評価では済まされないのでしょう。

 世界観とそこで提示しようとしている命題については今日的ですばらしいと思うんですよ。殺人犯(ヨハネよりルカが好き発言とか萌え)が殉教者として十字架の上での磔刑を選び、その様をブレインダンス(VRのすごいヤツ)で録画されることを希望するとか、アラサカ社のプレジデントが息子の肉体を魂の上書きで乗っ取り、恒久の企業的安定を手に入れる(それに関する法解釈と生命倫理の演説も好き)とか、そこここで考えさせられる、魅力的なモチーフにあふれているのです。特に後者は「最良の名君による王政問題」、それが大げさなら「中小企業の創業社長問題」を想起させ、人間社会における問題の多くは個の寿命に由来しているのだなあと改めて感じさせられました。アホが総体をダメにしないよう任期を決めて支配の実権をローテーションする仕組みは、天才をアホですげかえねばならない事態を同時に抱えてしまいます(たしか銀英伝でも同じ話してましたね)。養育者に生命の継続を依存しなければならない十数年の体験から、ヒトという生き物にはどうしても神様ーーそれの命令を聞けば、脅威は取り除かれ心の安寧が約束される存在ーーを求めてしまう性向が植え付けられています。バランス感覚のある清廉潔白な無私の天才が永久の生命を有するとしたら、彼/彼女に永世を支配してもらうことにいち大衆として何の不都合が想像できるでしょうか。この架空の、それでいて根源的な問いに対する答えは、しかしあらかじめ決まっています。「変化し続け、やがては死ぬこと」が人間の本質であると同時に尊厳の根幹を成しており、被支配を求める頑なな凡夫である私たちにその点をじっくりと諭してくれるのが、今年のFGOや鬼滅のような良質の物語なのです。虚構の持つ機能のひとつとは、日常生活では起こりえないイフを突き詰めることで、隠された真実の片鱗を明らかにすることだと言えましょう。それはときに数式が世界の真理を体現するのと同じ明晰さと強度で、我々の倫理に迫るのです。

 話がそれましたが、この命題に対する西洋の物語は英雄譚に寄りがち(マーベル!)なので、魂の不滅についてサイバーパンク2077の世界観の内側で弱い人間たちが出す結論を、今後のDLCで期待したいと思います。

 サイバーパンク2077、2周目はメインストーリーをガン無視して、サイドジョブばっかやってる。女性の声にしてるんだけど、同じやりとりなのにガラッと印象が変わるのが面白い。今度こそJUNKERプレイに徹しようとハンドガンのパークにポイントを入れるも、あまりに弾が当たらなくてイライラして、「ウワーッ!」と絶叫しながら突撃してはブレードをふりまわしていたが、オートエイムのスマート武器を手に入れてから、ようやくそれらしくなってきた。

 サイバーパンク2077、女性声のVだとジョニーとのやりとりがぜんぶ痴話喧嘩っぽくなるなー。ウザさがすごく増幅されて、「ぼくのかんがえたさいこうにカッコいいバディ」を制作者に強要される感じ、どっかで体験したことあるなー、どこだったかなー、と考えていたら、「俺の屍を越えてゆけ2」だった。

 サイバーパンク2077、1周目のキチガイに刃物プレイにくらべて、だいぶハンドガンVがサマになってきた。それもこれも、ガチのFPS者にとっては当たり前の話なのかもしれないけど、マウスでエイムするようになったから。スマートリンクの無い銃でもまともに戦えるようになると、なんだか銃撃戦が楽しくなってくる。街中で黄色い矢印のついたキャラを見かけると、いままではビクビク迂回してたのに、ガンガン喧嘩をしかけるようになった。いま、なんか腱鞘炎になりにくい縦につかむマウス使ってんだけど、コントローラーでの移動から黄色い矢印を視認して右手でマウスをつかむ一連の動作が、ちょうどホルスターに手を伸ばして拳銃のグリップをつかむみたいで、すごく没入感がある。結果、黄色い矢印をもとめて街中をうろついては、ほとんどスナック感覚で文字通りの快楽殺人を繰り返す、サイコキラー・プレイになってしまっております。ロード画面のフレイバーテキストに「この年、合衆国の人口が15%減った」みたいのがあるんだけど、たぶんうちの主人公のせい。

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