アニメ「オッドタクシー」感想

 恩人が言及してたオッドタクシーをなにげなく見始めたら、脚本がとてもとてもすばらしい。「ミステリー仕立ての群像劇長編漫才」ってコンセプト、メチャクチャ新しいなーと感心してたら、第4話が心のいちばん深くてやわらかい部分へ、返しのついた針の如く斜めにブッ刺さって、抜けなくなった。待って待って、これドグラ・マグラの売り文句みたく、心の防壁(ATフィールド)を立てずに受け入れたら、気が狂うか人を殺すまで行くやつ。油断してたとはいえ、ちょっと尋常じゃない。

 オッドタクシー、最終話まで見終わった。シナリオの構成が海外ドラマのトップ層と同じレベル。早晩、ハリウッドで西洋文化に翻案したものが実写化されると思います。なんとなれば、近年はクソどうでもいい(私にとって)ヒーローもの映画が、マルチバースの名の下に連発されているように、現地では良質な原作が枯渇状態にあるからです。「ODD TAXI」が「OD TAXI」でもあった(私的解釈)というオチには感動しましたし、名作に対しては「まあ、とりあえず見てよ。損はさせないから」以外に費やす言葉は無いわけですが、気になった点を少し述べたいと思います。もちろん、これらの難クセが作品の価値を減じることは、いっさいありません。まず、大オチを隠すためだとは重々承知しながら、オド川がいない場面のカメラが彼の主観と同じものを映していたのは、ミステリーとしての説明が難しいところです。あと、タクシー運転手と精神科医とチンピラと大学生の動画配信者が同じ知能の同じ語彙で話をしているというのは、冷静に考えると不自然かもしれません。語彙つながりで言えば、「魂と肉体が『剥離(はくり)』してる」ってセリフがあって、明らかな誤用です。この場合は、「乖離(かいり)」が正しいでしょう。これだけの脚本を書く方が間違えるとも思えませんから、声優の誤読を音響監督がスルーした可能性があります。クレバーな雰囲気が一瞬シラけましたから、ぜひ再録で修正して下さい。それと、優しい読後感は嫌いじゃないし、個人的な好みの話になるけど、第4話の彼はジョーカーとしてキッチリ破滅させてほしかったです。

 いろいろ言ったけど、まあ、とりあえず見てよ。損はさせないから。

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