映画「ザ・マペッツ」感想

 本邦の文化は長い歴史を持ちながら、本質的には古いものを嫌っているのではないかと感じることがある。すなわち、石と葡萄酒の文化を異質とした、存続と成熟を拒否する文化だ。古いものは冷えた尊重を与えられこそするが、熱狂的に迎えられるのはいつだって新しく登場した何かである。未だ死を未踏とする処女性と、あらかじめ失われることを内包しているという事実へ向けた先駆的な哀悼こそが、その理由だろうと思う。

 ひるがえって、古いものが持つ死の予期を裏切り続けたがゆえの存続を、おそらくある断絶を境として、醜く潔さに欠けるものとして捉えるようになったのではないか。我々の多くにとって、死と消滅こそが真であり善であり、そして美なのだ。この意識の根幹に、先の大戦を越えて“死ななかった”者たちの末裔である己の実存を深く恥じ、潜在する罪悪感から一刻も早い破滅を切に求め続ける、ほとんど民族レベルの集合無意識を見ずにはおられない。以前、「けいおん!」にからめて似た話をしたら、どぎついティータイマーを召喚してしまったことを思い出したので、このへんで閑話休題。

 この映画を見て考えるのは、ジム・ヘンソン亡き後も多くから愛され、幾度も忘却からよみがえるマペットたちと比べて、ただ新しいものへ更新することを目的とする文化の中に生まれた本邦の古いキャラクターたちは、いったい誰によって救済されるのだろうかということだ。ガチャピンは? ムックは? ゴン太くんは? ピッコロは? ポロリは? じゃじゃ丸は? きかんしゃやえもんは? マルチは?

 なに、マルチ商法はキャラクターじゃないですよ、だと? 黙れ、こわっぱが! 1クール三ヶ月で少女たちを記憶から埋葬する貴様らの欺瞞に満ちた倫理観と、二次元へ人生ごと捧げた俺様の鋼鉄の貞操とでは、比較にすらならんわ!

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