小説「虐殺器官』感想

 タイトルがすばらしいので、「読まなきゃな……」と思いながら十数年が経過した虐殺器官をようやく読む(青少年のみなさん、これが中年期以降の時間感覚です)。膨大な設定と蘊蓄の集積を、まるで日本人みたいな自意識のアメリカ人の語りで聞かされる、しかもぜんぜん話が進まない、ダメなときのメタルギアシリーズみたいな作品でした。「ストーリーを語るための設定」と「設定を語るためのストーリー」があるとすれば完全に後者へ寄ってて、全体の90%を過ぎてもまだ蘊蓄を語り始めるので、思わず「いい加減ストーリーに集中しろ!」と叫んでしまいました。もはや調べる気はありませんが、世界のコジマが激賞しそうな雰囲気だけはただよっています。なんと言いますか、現実における死の経験不可能性が結果として神秘のヴェールをまとわせたって感じがしますねー。

 あと、三体のときにも指摘しましたけれど、男性作家が作中でつい少女をリョナっちゃうのは、現実における少女との性交不可能性にイラだつあまり、架空の暴力へと欲望を転化しちゃうんでしょうか。作中で頻発する児童スナッフには、現実における本作の映像化不可能性を感じますが、もし「原作に極めて忠実な」実写が存在するのだとしたら、ぜったいに見ます!

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