漫画「範馬刃牙37巻」感想(完全版)

 アタシがいま続きを楽しみにしてるフィクションは4つあって、エヴァとワシントンとハンターハンターと範馬刃牙なのね! この4つの完結を見届けたらペトロニウスと同じ方法でひとりごとをブツブツ言いながら死のうと思ってるんだけど、今日はとくべつに範馬刃牙について話すね!

 女の人に母親を描かせるとオニか友達になって、男の人に母親を描かせるとヘビか女神になるんだけど、範馬刃牙の作者のひとは母親を女神に描く作家の極北にいるのね!

 別作品での泣き虫サクラの回もそうだけど、母親を描くときの情動のテンションはあらゆる現役の表現者と比べても、ズバ抜けてナンバーワンだとアタシ思うの!

 でねでね、これすごい現代的な発見だと思うんだけど、女の人に父親を描かせるとセックスになって、男の人に父親を描かせると不在になっちゃうのよ! みんなの好きなうさぎナントカもそうみたいだし、エヴァなんか「ぼく、父親を描きます!」「すいません、描けませんでした!」ってお話じゃない?

 でね、範馬刃牙なんだけどね、母親を女神に描く極北のひとがね、いま父親との話を正面から描こうとしてるの! 本当は存在しない葛藤をなんとか描ききろうと着地点を求めて、すごい苦しんでるの!

 なんかもうアタシ、その挑戦の背景に泣けてきちゃって、毎週ドキドキしながら雑誌を開いて「がんばれ、がんばれ」って心の中で念じるんだけど、それは主人公に向けたものじゃないのね! 現代における父親という幻影を無理にも形にしようとする作者への応援なの!

 「やっぱりオヤジにはかなわねえや」とか「これからも父への挑戦は続く」とか、そういう終わり方にだけはさせてほしくない、ちゃんと母親を描ききったときのように描ききってほしいって、そう祈ってる!

 あと、さいしょ死ぬって言ったけど、富樫先生とラース監督のおかげで天寿をまっとうして畳の上で孫やひ孫に囲まれながら大往生できそう! アタシってばチョーラッキー!

 「愛した人は、遅筆でした。」って、このコピーすごいよくない? 「いえ、遅筆だから愛したわけではありません。愛した人が遅筆だっただけです」とかキャー、このセリフ、マジ萌えない?

 父性の本質は暴力だとどこかで書いたが、父親から行使される暴力の本質とは、無謬性ではないか。つまり、問答無用でぶん殴り、その正しさの証明が必要ないことだ。一方で、母親との関係はどこまでつきつめても、感情に落とし込まれる。父親がその父性を完遂するには、より強い暴力に負けないことが必要だ。

 多くの誤解を恐れずあえて言うと、昨今は父親が息子を問答無用にボコれば、即座に児童保護施設や警察がとんできかねない。家庭外の権力に屈した瞬間、あるいは長じた息子に殴り返された瞬間、父性は終わりを迎える。もしかすると人類史上、例えば狩猟を中心とした社会などでは、敗北しない父性が存在した可能性はあるだろう。しかしながら現代において父親とは、あらかじめその過ちを誰かに証明されるために存在する何かなのだ。

 ざっと最終回の感想を確認したところ、否定的なものがほとんどだった。わたしはこの結末を肯定する。あえて敗北を描かないことで、父性を描ききったからだ。

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