ゲーム「十三機兵防衛圏」感想

 十三機兵防衛圏、プレイしてる。たぶんいま、半分くらい。あんまり似てないのに、なんか久遠の絆のことを思い出す。ここまでの印象としては、「キツネ狩りにバズーカを持ち出す英国女王」。

 PCエンジン版のイースⅠ・Ⅱが大好きで、WIN版のエターナルを買ってガックリしたことを思い出した。あんまりガックリしたので、エミュー(ヒクイドリ目ヒクイドリ科の鳥類で、完全に合法な存在)を使ってPCエンジン版を再プレイしたら、なんかフィールドの音楽に違和感がある。データ上での違いはないはずなのに、再生環境の問題かなと思っていたら、曲の終わりと始まりのループ部分でCDの読み込み音が聞こえないことが原因だとわかった。テキストサイト運営者の高度な文章技術で再現するとこんな感じだ。(突然立ち上がり、白痴の表情で)ちゃーちゃーちゃー、ちゃーちゃーちゃー、ちゃちゃちゃちゃっ(きゅるきゅる)ちゃー、ちゃらららー、らーららーらー。おわかりいただけただろうか。この「きゅるきゅる」が無いことが無意識のうちに気になっていたわけで、よほどプレイフィールそのものが身体感覚にまで染みこんでいたと言えるだろう。

 他の例で言えば、これまたPCエンジン版の天外魔境Ⅱでフィールド音楽はCDから読んでるのに、戦闘中は内臓音源で読み込みをゼロにしてたのも身体が覚えてて、より快適になったはずのリメイク版におけるプレイフィールにひどいニセモノ感(戦闘毎にフィールド曲が巻き戻ったり)を禁じえなかったりした。当時のCD媒体のゲームは、戦闘の前後で1分ぐらいCDを読みに行ってたーーいま思い出した、コズミックファンタジーとかひどかったーーから、天外魔境Ⅱのテンポ感は私にとって超絶的な革命であり、身体の芯にまでコンマ秒単位でタイミングが刷り込まれてしまっていたせいだと思う。そういえば、序盤にある祭りのムービーで暗黒ランが出現する直前にCD読み込みが入って、それが不気味な静寂を表現する演出上の「間」になってたりとか、すごい好きだったなー。

 共通するのは、どちらのゲームも制作者の意図が隅々にまで行きわたっており、ほんの小さなレスポンスに至るまで、作り手の統御下に無いものがないという安心感だった。エヴァQとかスターウォーズにする私の評を見てもらってもわかると思うけれど、制作サイドと周辺状況みたいなのが、まずもって気になる性質なのである。その神経症の客がする指摘に対して、「おいおい、なに言ってんだ、あんたはトーシローのお客さんだろ? 裏がどうなってるかなんて、余計なことは考えなくていいんだよ! さあ、細かい部分は俺たちプロにぜんぶまかせといて、大船に乗った気持ちで楽しむことだけに集中しなよ!」と豪放に笑いながら断言してくれる感じは、この上ない快感だった。懐古趣味と言われれば返す言葉もない。しかし当時のゲームには、腕自慢・材料自慢で客を委縮させたりしない暖かな空気のような、その場を離れた後にしみじみと喜びを反芻するような、高級な料理店で食事をするときに受けるサービスのような、そんなプロフェッショナルの仕事が確かに存在していたと思う。

 長々と書いたが、十三機兵防衛圏をプレイしていて、ひさしぶりに良質なプロのサービスを感じることができて嬉しかったという話です。プレイフィール以外でも、十三人の主人公がしっかりと別々の個人として書き分けられているのには感心しました。ひとつ例を挙げると、過去の国防少年が未来へ飛ばされたときの反応が、語彙レベルだけでなく意識レベルでも齟齬なく表現されていたり、書き手の真摯さと苦労の深さが端々に感じられます。ここまでの自分語りに共感を覚えた向きは、女房を質に入れてーー誤解がないように付け加えると「女性の配偶者を私有物品として担保に預けることで金銭の貸し付けを受ける」という意味で使っているーーマストバイでしょう!

 さて、以降は制作者の目に届かないことを祈りつつ、自分のために書き留める日記のような内容になります。

 たぶんシナリオを書いている人物は、同年代なのだろうと思います。「ピコピコ少年」のような少年時代を過ごし、映画・小説・マンガ・ゲームなど、私と同じフィクションを通過してきているのでしょう。本作はそういった過去の体験が複雑に織り込まれたガウディの建築物のようになっていて、すべての要素がどこに出典を持つかが同じ世代には手に取るようにわかります。昭和から平成にかけての虚構を、制作者のフィルタを通じて一個の集大成へとまとめあげていくさまに、私などは感動すら覚えるのですが、はたして若い世代が同じ感想に至ることができるのか、正直わかりません。本作は高校生を主人公に据えたジュブナイルの見かけなのに、三十代後半から四十代にもっとも強く訴求する内容になっている気がします。ジュブナイル物の本来のターゲット層である十代後半から二十代がこのシナリオを読んで何を感じるか、もしかすると意味不明と思われないか、とても気になりました。

 そして、システム面で言えば「追想編」「崩壊編」「究明編」はひとつながりのゲーム進行の中にまとめられればよかったのにと思います。「究明編」はメニュー画面の図鑑要素に過ぎないし、ADVパートの「追想編」とSLGパートの「崩壊編」がバラバラに提示されているのには、過去の同種のゲームと比して、違和感があります。こうなった理由の一部として、時間が足りなかったことはあると思いますが、御社の強みであるところの「ドット絵風2D横スクロール」が、本作では「必ず使わなければならないモノ」として、枷になってしまっているのではないでしょうか。このシナリオを表現するのには、ビジュアルノベル方式のほうが内容的にもコスト的にもベターな気がするのです。

 いや、結果として出力されている中身は素晴らしいの一語に尽きるのですが、「英国女王がバズーカでするキツネ狩り」と表現したように、目的に対する手段のアンバランス感が否めません。アストロ球団的試合運びとでも言いましょうか、「全力で180キロを投げた絶対エースは右腕を骨折、しかもその球が打たれる」ような状況をグラウンドに見せられれば、観客席の女子マネージャーはただ両手で口元をおおって、涙を流すしかありません。

 さて、まだクリアには少し残していますが、パッケージ売りの大作ゲームが持つ、他の創作ジャンルに比した大きな利点を噛みしめています。それはエンディングまでがすでに作られており、プレイヤーの反応を見てそれが改変されたりする心配のないことです。福音戦士の新3部作とか、銀河戦争の続3部作みたいに、登っている途中のハシゴ(イコール伏線)へ他ならぬ作り手から足払いをかけられて、大転倒の大怪我をするのではないかと恐れる必要がないのは、本当にストレスフリーですね。制作者の大きなフトコロに抱かれて、ああでもないこうでもないと今後の展開を自由に想像できることは、なんて素晴らしいのでしょう!

 え、某潜入ゲームの第2作みたいなこともありますよ、だって? (少女が涙目で)そ、そんな怖いこと言わないでよッ!

 なんかサーティーン機兵が一周年みたいなので、感想を再アップしてみた。え、クリアしての評価はどうでしたかって? ファミコン時代からのアドベンチャーゲーム好きにとって、読後感は「メタルスレイダーグローリー」というより「ジーザス恐怖のバイオ・モンスター」でした。

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