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MMGF!~見て、みごとなガテン系のファックよ!~在庫駄駄余解消祈念C80漫遊記・中編(2011年8月)

前回までのあらすじ:亀頭と包皮を結ぶ紐状の生体組織で、別名を陰茎小帯と言う。ボブは敏感なその部分を嫌がるマギーの口元へあてがった。「ウッ、むグッ」、キッと一文字に結ばれたピンクの唇をボブのうらすじが強引に割って――


 ミーがアスホールのイグジット(ロトン・ガールズにとってはエントランスでショウカ?lol)を引き締めると同時に、テーブル越しに立つ土気色をしたリビングデッドが、「なかいいですか?」と発話したのデス! ミーは一瞬、ソー・コンフューズド、何を尋ねられているのかわからず、ひどく混乱してしまいマシタ! 言語には文化的なギャップによって、シンプルなワードがまったく別の意味を持ってしまうケースがありマス! フォー・イグザンポー、例えばエクストリーム一般的な「持つ」という他動詞さえ、ジャパニーズとイングリッシュの間には違いがあるのデス! オブジェクトをラック、目的語を欠落させて自動詞的に用いた場合がソレに当たりマス! ジャパニーズで「持ってる」と表現すれば、それは運か才能を持っていることを意味しマス! オン・ジ・アザー・ハンド、一方イングリッシュで「ドゥー・ユー・ハブ?」と表現すれば、それはレリジャス、信仰の有無を訊いているのデス! 異国の地の、さらにコミケトーという異境では「なかいいですか?」という単純な問いかけにイエスと答えることが、実は肛門性愛へのアグリーメント、合意を表してしまう場合さえテイク・イントゥ・コンシダレーション、考慮に入れなくてはなりマセン! ミーのチークに緊張のあまり一筋のスウェット、汗が伝い落ちマス! 小売業のセラーがバイヤーにここまで追い詰められるなんて、ステイツでは考えられない事態デス!
 「カスタマー・イズ・ゴッド」が持つ真の意味をミーがペインフルに体感していると、隣にスタンドしていたサメンが「ア、ドゾドゾー、遠慮ナク見テッテ下サーイ」と陽気に返答しマシタ! そのアブノーマルなまでのインギンさは先ほどまでミーにスクール・カーストの存在をリマインド・オブさせていたのと同一人物とは思われないほどデス! ギークス風にエクスプレスするなら、「コイツら、自在にインギン力を変化させやがる」デス!
 サメンの言葉に応じて、眼前の土気色リビングデッドはゾンビらしからぬクイックネスで土人誌のパイルから一冊を取り上げると、しばしパラパラとコンテンツを確認しマシタ! アンドゼン、「ありがとうございました」 の言葉とともに、元のパイル上へ無造作に土人誌をスロー・バック、投げ戻したのデス!
 エクストリームリー・ショックト、ミーはデルビッシュ有、この悪魔的な慣習にひどく衝撃を受けマシタ! ミーは土人誌のオーサー、作者がファンへダイレクトに販売を行うという手弁当感がコミケトーの魅力だと考えていたのデスガ、いまミーの眼前で生じたフェノメノン、現象にはミーが想像していたようなハートフルさは少しも含まれていませんデシタ! 作り手のすぐ目の前で作品を品定めした後、その購入を好きにリジェクトできるというシステムは、ミーが奈良のカントリー・サイドで日々エクスペリエンスしているジャパニーズのバーチュ、美徳とはほど遠いものデス! フォー・インスタンス、例えるならばストリートにスタンディングする売女に、「膣内(なか)いいですか?」とアスクした後、背後で休憩中のオットマンがコリアのセクスペリアへしきりとするフィンガー・ジェスチャーで公衆の面前にその膣口をクパチーノしてからやはり買春しないことを大声で宣言するような、人倫を外れた背徳の仕組みデス!
 「他人のために最も怒れ」――ミーのファーザーは家訓としてそう言い続けてきマシタ! このときミーは、土人作家に与えられる侮辱に対して行き場の無い怒りを感じていたのデス! ところが義憤にかられるミーの隣でサメンはヘラヘラと愛想をふりまいていマス! ミドル・イーストではこのくらいのことは屈辱でも何でもないのかもしれマセン! 絶え間なく噴出するオイルに比べれば、しぼり出す妄想の価値など何ほどでも無いと思っているのかもしれマセン! イフ・ユー・ゴー・イントゥ・ゴー・オベイ・ゴー、郷に入っては郷に従え、ミーはとっさにジャパニーズ特有のベイグネスに満ちたスマイルを浮かべマシタ! その瞬間、これまでの三十余年で見てきたジャパニーズの曖昧な微笑みの裏にはサポージング、もしかしすると活火山のような憤怒があったのではないかと思い至って戦慄を覚えたのデス!
 ミーのインサイドでうずまく葛藤をよそに、土人誌のパイルはその高さをデクリースさせてゆきマス! アット・ラスト、ついにリカの土人誌のラスト・イシュー、最後の一冊が売れマシタ! ワオーッ! ソールド・アウト、ソールド・アウトデース! ミーは病室で言を左右し続けたリカがファイナリー、「あの……わたしは10さつくらいって言ったんだけど……ダコバちゃんが……ぜったいだいじょうぶだからって……あの……500さつ……」と大粒の涙をポロポロと流して告白したのを思い出していマシタ!
 「リカ、ダイジョーブ! ぜんぶミーにまかせるネー! ガイシ(骸死)系の営業部長の肩書きはダテじゃないヨー!」
 ミーの空約束に泣き笑いでうなずいたリカの消え入りそうな表情! リカの墓前にようやくいい報告ができマース!
 「オイ、ボサット突立ッテネエデ、ホンヲ追加シネエカ! マダ何箱モアルンダ! 早ク積マネエト、客ガ逃ゲチマウゼ!」
 両手を突き上げてディライトネス、歓喜の中にいるミーの背中へ険しい声が飛びマシタ! サメンがカッターで切り裂いた大きな箱の中には、みっしりとリカの土人誌が詰め込まれていたのデス! ダヨネー! ミーの鼻段ボールが湿気を増し、一瞬のデプレッションがとばりのように心へ降りかけマシタガ、ミーは一流選手が強い自己暗示によって失敗をノーマルの状態としてとらえるメンタル・スイッチング技術を利用しマシタ! ダヨネー、ミーやリカみたいにネットでの声は大きいくせにリアルではチキンで何の知名度も無い連中の土人誌が、いきなり500冊も売れるワケないヨネー! 鼻段ボールは乾き、両のマナコは濡れ、ミーはたちまち平常心を取り戻していマシタ!
 ソウソウ! ミーのコミケトー来訪は、本社へのジャパニーズ・カルチャーに関するレポートを兼ねていたのデス! 土人誌の販売はゲストとしての片手間に過ぎないのデシタ! ケアフリー、注意深く観察を重ねると土人誌がうず高く積まれたテーブルには大きなビニル袋が貼りつけられていマス! リビングデッドが支払った紙幣はゴミクズをダストビンへするときと同じ所作で次々に放り込まれていきマス! ステイツにいた頃ならその様子を見ても何も感じなかったデショウ! それはジャパン在住歴三十余年でなければ感じなかったようなかすかな違和感デシタ! サドンリー、突然ミーのインサイド・ブレイン、脳内にいる栗色の髪をした新聞記者の女性が寿司屋のカウンターでいきおいよく立ち上がり、「お金なのにもらって捨てる動作が汚らしいのよ!」とシャウトし、ミーの違和感はアイスメルティング、氷解しマシタ! こんなふうにマネーが扱われるのを見たのは釜ヶ崎のチンチロ賭場でコンビニ袋へ紙くずのように丸められた札が詰め込まれるのを見たとき以来デス!
 「勝負が終わるまでァ、こんなナァ鼻ッ紙でもネェのサ」
 ミーは勝ち頭の労務者が酒焼けした鼻を手のひらですすりながらボヤく場面をまざまざと思いだしていマシタ! ジャパンではアニメはシーズン毎に大量生産されマス! それは本当にサプライジングなクアンティティで生産され、この国ではアニメは湯水以下の価値でマーケットに供給され続けるのデス! ジャパニーズのブルーワーカーにとってアニメは日常の退屈をまぎらわすための、ハシシより安価で手軽なドラッグの一種なのデス! ジャパンの土人誌オーサーたちは無数のアニメからそのシーズンのヘゲモニー・アニメ(訳者註:ヘゲモニーとは覇権の意味だが、アニメを修飾する語としては不適切。誤字か?)がどれになるかをチョイスしマス! そのチョイス次第で土人誌の売上は一桁ほど変わってくるのデス! 土人誌オーサーたちにとって土人誌メイクは、釜ヶ崎の労務者と同じギャンブルなのかもしれマセン! だとすれば、売上の確定するコミケ三日目の終了時まではマネーを紙クズのように扱うのは至極当然と言えマース!
 サドンリー、ミーは土人誌のプライス設定が五百円刻みであることをファインドしマシタ! ジャパンは生活必需品にまでタックスを課すことで有名なエコノミック・アニマル・ガバメントを有していマス! フォリナーにとっては、コンビニでスモール・チェンジを要求されるのは実にイリテイティング、イライラさせられる体験デス! 土人誌のコンサンプション・タックスはどこで課されるのデショウカ?
 「ヘイ、サメン! 土人誌のタックスの仕組みはどうなっていマスカ? それともコミケはエアポートのようにデューティ・フリーなのデスカ?」
 ミーが持ち前のボトムレス、底抜けな素朴さで尋ねると、とたんにサメンは満面の笑顔を浮かべマシタ! 次の瞬間、眉間で火花がスパークし、ミーの意識はダークネスへとフォールしていったのデス! 
 テン・ミニッツ・レイター、鼻に血のにじんだティッシュを挿し込み、すべての疑問をオブリビオン、忘却の彼方へと消し去ったミーの元気な青タン姿がそこにありマシタ!
 疑問を封じるというのはブレイン・ウォッシュのファースト・ステップ、第一歩デス! ミーはいまや1984年のようなマナコで売り子ワークへ従事していマシタ!
 「ヘイ、テメエニ客ガ来テルゼ」
 苦虫を噛み潰したようなフェイスでサメンがミーに言いマス! まるで日雇い労働者にトイレ休憩さえやりたくない現場監督みたいデス! ロトン・ガールズの間へ身をねじこんでブースの外へ出ると、そこにはニット帽を目深にウェアした青年が思いつめた表情でスタンディングしていマシタ!
 「小鳥猊下ですよね! ぼくです、ポロリです!」
 フー・アー・ユー? バット、ザ・モーメント・ヒー・セッド、言うや否や、青年は抱きつかんばかりのディスタンスにまで間合いを詰めてきマシタ! ステイツやヨーロッパに在住する狩猟ピープルは他人と世界に対して深い猜疑心を抱いていマス! 初対面での過剰になれなれしいビヘイビアーはジャパニーズ特有で、それは基本的に他人と世界が自分に危害を加えないことを信頼する農耕ピープルのものデス! ミーはたちまち警戒心をマキシマム・レベルにインクリースさせマス!
 エスペシャリー、特にミーの出身であるステイツでは、パブリック・プレイスでニット帽をかぶったりマスクをしたりするのは、心に後ろ暗い部分を持っていることの表明、変質者の証デス! 公然とニット帽をかぶりマスクをするのは、ステイツではマイケル・ジャクソンくらいしかいマセン!
 「本当に感激です、猊下とお会いできて」
 クネクネと両腕をもみしぼりながら熱狂に目を潤ませるポロリの様子は、インギンな語り口とあいまって、ノンケでも喰っちまう、決してヘテロではない感じを濃く醸しだしていマス! バット、セクシャルなテンデンシーだけではない、メンタルに潜むディズィーズを、ミーはこの青年のうちに見出していマシタ!
 「オーッ、イグザクトリー、その通りヨー! ミーが小鳥猊下ネー!」
 ミーは内面に生じたさざなみをハイドするスマイルを浮かべて大げさに青年の問いかけを肯定しマシタ! トゥ・テル・ザ・トゥルース、小鳥猊下はミーとリカとのユニット名なのでいささかアキュレイシー、正確さをラックした返答デシタガ、この種のメンタルヘルス青年はいったん思い込んだ情報を外部からコレクトされると途端にアプセット、逆上するという傾向がありマス! ミーは適当にあいづちをうつことで穏便にこの場を切り抜けることにしマシタ! バット、メンタルポロリはミーにアクセプトされたと思ったのか、とたんに饒舌に語り始めマシタ!
 「猊下の文章すごい好きなんですけど、今回のMMGF!ですか、あれはぜんぜん感心しなかったな。なんか説明がくどくて、八十年代のラノベみたいで。もっともっと説明を減らさなくちゃ。物語なんだから」
 同心円状のクレイジーを記号化した目で一方的にまくしたてながら、メンタルポロリはじりじりとミーとの間合いを詰めてきマシタ! それぞれの民族は、適正な文化的距離というものを持っていマス! どこまで接近されると不安感や不快感をいだくかというのは、イーチ・カルチャー、文化ごとに異なっているのデス! ジェネラリー・スピーキング、一般的に言って北米出身のミーは日本出身のメンタルポロリより近い位置までのアプローチをアラウ、許容できるはずデス! ハウエバー、メンタルポロリのアプローチはミーを不安にさせるほど近かったのデス!
 不安感に耐えかねてミーがわずかに下がると、メンタルポロリはミーが下がった分だけ間合いを詰めてきマス! ミーは長大なコリダー、廊下をラテン民族に握手を求められた北欧民族が延々とリトリート、後退していくというあのジョークを思い出していマシタ! ファイナリー、気がつけばミーは壁ぎわへと追いつめられていマシタ! メンタルポロリはスティル、まだじりじりと間合いを詰めることをやめマセン!
 「あ、でもこないだのオフレポはすごい面白かったです。ジュブナイルやるなら、あの文体で書けばいいのに。なんでああいうふうに書かないんですか」
 内容のルードさを除けば穏やかな語り口デスガ、狂気と正気の間にあるのはア・シート・オブ・ペイパーだと言いマス! ミーのアスホールが恐怖にきゅっとシュリンクしマシタ! 北米出身のビッグなミーが、日本出身のスモールゲイ(訳者註:ガイの誤字か?)に追いつめられ、いまや貞操の危機さえ感じているのデス!
 「あの、小鳥猊下でいらっしゃいますか?」
 ミーの危機をレスキューしたのは、やはりインギンな口調の声かけデシタ! 中肉中背でグラッスィーズをウェアしたその男は、ティピカルなジャパニーズビジネスマンといった様子デス! カンパニーにエンプロイされているという事実は一定のサニティを保証しマス! ミーは不自然にならないよう注意しながらメンタルポロリをかわして、ビジネスマンにシェイクハンドの右手を差し出しマシタ!
 「オー、イエス! アイアムゲイカコトリ、ネー! ウェルカム・トゥ・マイブース!」
 ジャパン在住暦三十余年のミーはフルーエントなイングリッシュでリプライしながらネームカードを取り出しマス!
 「わ、わたくし、キムラと申します。えっと、あの、そ、そうだったんですか」
 アルファベットの並んだネームカードとミーの鼻段ボールへ交互に視線をやりながら、キムラはあきらかな挙動不審のステイトに陥っていきマシタ! 知ってマス、これ知ってマース! ジャパニーズに特有のフォリナー、外人に対するこのレスポンスは実は珍しいことではありマセン! ワールド・ウォー・トゥーで連合軍へノー・パーフェクト・スキン、完膚なきまでにたたきのめされてからこちら、ジャパンは深刻なフォリナー・フォビア、ガイジン恐怖症に罹患しているのデス! エンド・オブ・ウォーからモアザン半世紀、ノウ、時間が経過すればするほどオールモスト遺伝的な情報としてジャパニーズのインサイドにフォリナー・フォビアは書き込まれていっているようデス! そのモスト典型的な症状が、いまのキムラが見せている状態デス! ゴールデン・ヘアー・グリーン・アイのイングリッシュ・ユーザーであるミーに、理由もなくあからさまな気後れを表していマス! もはやこれは高所やコックローチへの恐怖にも似て、本能のレベルにまで昇華されていると言っても過言ではないデショウ! アンド、ジャパニーズのこのフォビアはジャパンに学歴も能力も低いフォリナーがライク・モス、蛾のように集まってくる理由にもなっていマス! なぜって、マザー・タン、母国語の読み書きができるだけで現人神のように崇められ、本国で従事する単純労働よりはるかにましなペイメントが期待できるカラデス! ジャパンは実のところ、不良ガイジンの格好のプール、溜まり場になっていマス! ジャパニーズだけがそれに気づいていマセン! オフ・コース、ミーはエグゼクティブなので違いますヨー!
 「ヘーイ、キムラ! ウェイク・アップ! ソレはジョーク名刺ネー!」
 フォリナー・フォビアに思考を奪われた状態になっているキムラの目の前でミーは親指と人差し指を数回スナップさせマシタ! イン・ファクト、キムラに渡したネームカードはジャパンの商習慣にあわせたカムフラージュ、記載された情報はすべてデタラメなものデス! ステイツ生まれでパリ育ちのミーは、コミケトーのような反社会的プレイスでマイセルフのプライベート・インフォメーションを開示するほどピース・ボケしてはいないのデス! 路上でチュニジアンに話しかけられてもインギンな返答をしながらも決して足は止めないといったような生得の警戒心、ワールドへのディープな猜疑心を処世のネセシティ、必須として持ちあわせているのデス!
 ハウエバー、ミーのような毛唐ピープルに特有のディフェンシブなスマイルも、ベーシカリー異質の存在しないジャパニーズ・カルチャーで生育してきたキムラにとって、緊張をメルトさせるに充分なものだったようデス! キムラはオールレディ、すでにリカの土人誌を購入しており、ミーは会話の糸口として感想を尋ねることにしマシタ! ミーはそれをすぐに後悔することになりマス! なぜなら――
 木村裕之は私の問いかけに対して、購入したばかりなのでまだ読んでいないと答えたからだ。今回の同人誌はネットで大部分を先行して公開し、その完結編を収録するという手順を経ている。初めての同人誌販売であるから、少しでも売上を伸ばしたいという苦肉の策だ。その旨を伝え、さらに木村裕之に問い詰めると、わざとらしくページを繰りながら「え」とか「あ」とか母音を繰り返すだけの状態になった。夏のコミケを目指して一月から更新を行なっていたから、木村裕之は少なくとも半年は私のホームページを閲覧していない計算になる。十年来のファンと称し、わざわざコミケのブースに足を運ぼうと思う人間でさえ、こうなのだ。最も熱心なファン層でさえ、この程度の執着なのだ。段ボール製のつけ鼻を貼りつけるセロテープの下の皮膚にしりしりとしたかゆみが生じる。私は自分の気持ちが急速に冷えていくのを感じていた。いつまで経っても商業に回収されない最古参のテキストサイト運営者が、完全な持ち出しで苦手分野に媚びた同人誌を作成したところで、彼が望む深さの受け手は世界中のどこにもいないのだ――
 オオオオオップス! ワーニング、ワーニング! 我、まさにフォール・イントゥ・デプレッションせんとス! コミケトーはフル・オブ・トラップ、罠がいっぱいデス!
 「ヘーイ、ポロリー、キムラハヒドイヤツネー! ナントカ言ッテヤッテヨー!」
 深刻なアンガーをジョークにまぎらわせようとして話をふると、ミーとキムラのチアフル・トークの横でメンタルポロリはそわそわと、あからさまに挙動不審のステイトに陥っていマシタ!
 「ヘーイ、ポロリサーン、ドウシタノ? 顔色悪イヨ?」
 ミーのジェントルな声かけにメンタルポロリはビクリと肩を震わせると、深夜の空き地でのレイプ未遂を通行人にファインドされたような顔をしマシタ! 「じ、じゃあ、ボクはこのへんで」と小声の早口で言い、さっきまでの執拗なインファイトぶりはどこへやら、アウトボクサーのステップで会場の人ごみへまぎれ去っていこうとしマス!
 ホワット・ア・カワード! これはジャパニーズに特有の神経症、タイジン・キョウフショウ・シンプトムの表れデショウカ! ミーは持ち前のヒロイック、英雄的な気質を前面にプッシュして、メンタルポロリを引き止めると、ふたりにセルフ・イントロデュースをうながしマシタ!
 「ヘイ、ポロリ、キムラ! キムラ、ポロリ!」
 ミーのジェネラスなスマイルにうながされて、ふたりはようやく鏡あわせのように後頭部へ手をやりながら互いに会釈をしマシタ! 人間関係こそが仕事にとって最大のキャピタル、資本であることをモットーとするミーはその様子にグラティフィケーション、強い満足感を得ていマシタ! バット、このときのディシィジョン、決断をミーは後になって死ぬほどにレグレット、後悔することになるのデス! なぜなら――
 後日、仲介者である私を抜きにして、この二人が急速に親交を深める様をツイッター上で発見することになるからだ。二人で飲みに行き、すっかり意気投合したらしい。おまけに、互いのビジネスにとって互いが有益な関係であることを確認したようだ。もちろんコミケ後、この二人から私への音信は全く途絶えていた。私はそのやりとりを半ば呆然と眺めながら、分厚いガラス越しにヒロインが悪漢にレイプされるのを見せつけられている主人公のような気持ちになった。エッフェル塔を見ながらのファック・シルブプレにチュニジア人が乱入し、下半身を露出した私を差し置いてアルジェリア人とよろしく始めてしまったのを指をくわえて眺めるような感じ。正に、慟哭ゲーである。段ボール製のつけ鼻を貼りつけるセロテープの下の皮膚にしりしりとしたかゆみが――
 ウオァァァァァッ! レポートのくせにクロノロジカル・オーダー、時系列がめちゃくちゃデス! そんな未来のことを現在のミーが知る由もありマセン! イフ知っていたらいま気弱げに会釈を交わすふたりの後頭部をわしづかみにして二つの頭が一つになるほど打ちつけた後、持ち前の体格を利用した地獄レスリングで金輪際アリアケでコミケトーが開催できなくなるほどの陰惨な流血ショーを演じたに違いありマセンカラ!
 ふたりが作成したという土人ソフト(訳者註:softの表記。土人誌の一種か)をスーベニア、みやげに受け取りながら、このときのミーの胸中はブッディズムのハイプリーストほどかくやというほどに穏やかデシタ!
 グリーティングを済ませた後も二人はサプライジングリー寡弁で、ミーの提供するトピックが少しもデベロップしマセン! これはさらなるアイスブレイキングが必要デス! インファントとさえ小一時間はカンバセーションを継続できるコミュニケーション力を使って、ミーは場をウォームしていきマス! 人と人との間に通底するのは不信だと考えているミーのようなフォリナーが、人と人との間に通底するのは信頼だと考えているジャパニーズより、こういった際のスキルに長けているのは実に示唆的デスネ!
 グラデュアリー、次第に緊張がほどけると、二人ともミーのことを絶賛しはじめマシタ! アンド、どちらがより多く小鳥猊下を褒め称えることができるかのコンテストの如き様相を場は呈していきマス! 知らぬがブッダ、やがて訪れる未来を未だ知らない愚かなミーは、まんざらでもないとスモール・ノーズ、小鼻を膨らませて悦に入っていたのデス!
 二人に関する断片化したインフォメーションをミーの高機能ブレインでデフラグしたところ、ポロリは年齢制限の必要なダウンロード専売ゲームのシナリオを、キムラはソーシャル・ゲーム(奇妙なネーミングデス! ソーシャル・ウィンドウ?lol)の製作をプロフェッション、生業にしているとのことデス! オーッ、これはリカを売り込むチャンスデース! キムラサーン、ポロリサーン、ユーたちがスロートからハンドが出るほど欲しがっている人材をミーは知っているネー!
 「え、いや、それはちょっと」
 先ほどまでの調子のいいほめ殺しぶりはどこへやら、キムラはとたんに口ごもりマシタ! アンドゼン、メンタルポロリが目深にかぶったニット帽の下からジットリとミーを見上げながら、唇の端を歪めて言いマシタ!
 「いや、そこはほら、わかりましょうよ。キムラさん、困ってるじゃないですか。仕事なんだから、やっぱり実績が無い人にはお願いしにくいですよ」
 アウッ、ポロリのインギンな低姿勢はオール子羊のパフォーマンスだったのデス! その表情には、既得権を持つ者の優越が隠しようもなくにじんでいマシタ! 先ほどまでのぎくしゃくとした関係はどこへやら、キムラとポロリは互いに顔を見あわせてニヤリと、長年の共犯者のスマイルを笑ったのデス!
 オーッ、ジャパニーズ・コマーシャル・カスタム、日本の商習慣は文筆のようなエリアにまで及んでいたのデス! ミーはデザインのフィールドに関わるガイシ(骸死)系企業にいマスガ、過去の実績の有無がデザイナーの採用に最も大きく影響を与える日本の商習慣がリセッション、不況によりエンフォースされて新人の食いこむ隙間が無くなっているのデス! 実績によるリスクの回避というエントリー・バリアー、参入障壁がデザイナーの平均年齢を高齢化させた結果、既得権の維持がいまや業界そのもののシュリンクへとつながっていマス! シリアスな不況による相対的な発注量のリダクションが、最もクリエイティブの必要とされるはずのフィールドでカンパニーとそのデザイナーたちにビューロクラティック、官僚的なふるまいをさせている状況に、営業担当のミーはいささかの滑稽さを感じていたところデシタ!
 アンドゼン、高い識字率を誇るジャパンにおいては同じ理由がファー・レス・クリエイティブな文筆産業に従事する者たちにさえ、アンコンシャス、無意識のうちに官僚的なアグリー・スマイルを浮かべさせているのデス! 高度成長のみを前提にしてきた日本経済の歪みを目の当たりにし、そのダーク・アビス、薄暗い深淵にミーは心底からスケアード、ゾッとさせられたのデシタ!
 ミーはサドンリー、突然ふたりにフェアウェルを告げなければならない気分になりマシタ! オフ・コース、ブース越しにミーたちへ向けられるサメンの視線が中東でテラーのプランニングをしていたときのように険しくなり始めたこととは全く関係がありマセン! ミーに対する先ほどまでの陰湿な共謀ぶりはどこへやら、ミーとのカンバセーションが終わってしまうことを二人はひどく残念がりマシタ! ポロリが熱に浮かされたように言いマス!
 「ボク、実家が関西なんです。猊下も関西に住んでらっしゃるんですよね。年内は仕事で難しいですけど、年明けに帰省する予定なんで、そのときは必ず連絡します!」
 「オーッ、モチロンネー! マタ会エルノヲ楽シミニシテルヨー!」
 イメディエットリー、即座にミーはその申し出を快諾しマシタ! ネット上では気難しいキャラ作りデスガ、その様をフィクショナル・ダイアリー、虚構日記と称しているのだからリアルのミーが話し好きで気さくなパーソナリティであることは容易に推測できるデショウ! このとき、ミーは求められる快楽にすっかり上機嫌デシタ! ビコーズ、この段階では桜が散り始める時期になってもアポイントどころか連絡のひとつも無いなんて思いもよらなかったカラデス!
 ポロリに負けじと、リーマンヘアーのキムラが新人研修で秋葉原の通行人に自己紹介をしていたときのようなシャウトをしマス!
 「必ず感想書きますから! 必ず!」
 この男、失地を挽回しようと必死デース! コミケトー終了からワン・ウィーク・アフター、サラリーマンらしいデッドラインへの誠実さでキムラはリカの土人誌の感想を送ってきマシタ! この男のビジネスが成功することをミーは確信していマス! リーセントリー、ツイッターをななめ読みするに、最近のキムラはシェアハウスとやらにハマッているようデス! 独身のヤングマンが集まり、地縁的つながりのロストしたアーバンシティで新たなコミュニティをクリエイトする試みデス! ハウエバー、それを読んだとき、ミーのヘッドにはクエスチョンマークが乱舞しマシタ! 婚姻と育児を前提とせずにそれは持続的なコミュニティと呼べるのデショウカ? 宗教を前提としないコミュニティにはジャパン在住歴三十余年でようやく慣れたつもりデシタガ、あいかわらずジャパニーズ・カルチャーは世界の最先端を独走していマスネ!


 ブースに戻ったミーがシット暑いブースで土人誌をリビングデッドに手渡すライン工に再び従事していると「オイ、マタオマエニ客ダ」、サメンが実に苦々しげな表情を浮かべて、ブースの外へ出るようミーをアゴで促しマシタ! ゲストとして来場したはずなのにサメンはミーのことを時間給のレイバー、労働者としてとらえ始めているようデス! ミーをブースの外へやることで時間あたりの労働対価がインクリースすると本気で考えているキャピタリスト、資本家のように見えマシタ!
 ミーは生来のオプティミストなので先ほどの憂鬱な自称ファンどもとのやりとりはオールレディ意識のアウトサイドにあり、オールモストうきうきとした気持ちデシタ! ガイシ(骸死)系企業の営業部長であるミーは、人と会って話をすることがスリー・ミールズ・ア・デイ、三度の飯より大好きなのデス! イン・アディション、リカのファンには女性が多いと聞いていマシタ! 野郎が二回も続いたのデス! スタティスティクス、統計的に判断して、今度こそ女性に違いありマセン!
 シュア・イナフ、まるで白魚で作った魚肉ソーセージのような指にリカの土人誌を抱えて立っていたのは、はたしてジャパン・ギークスの完全なる中央値で形成されたティピカルなおたく野郎デシタ! シィット、アゲイン! ミーは心の底からのディスアポイントメントを完全にシール、秘し隠して「アー、ヨク来テクレマシタネー、アリガトー、スゴイウレシイナー、ヨロシクネー」と張りのあるバリトンボイスで歓待しマシタ!
 「いやー、これは思いつかなかったなー。すごいデブの中年おたくか、すごい引きこもりのウラナリか、すごい深窓の美少女かのどれかとは思ってたけど、こんな人を殴りそうなタイプだとは夢にも思わなかったなー」
 視聴中のアニメをタイムラインで実況するときのような、出すべきではない心の声をあらわにしてそのギークは自己完結的に発話しマシタ! エスペシャリー、美少女の下りでは言いながら自分の言葉に失笑しやがったのデス! ミーは表面上、あくまでポライトネスをキープしましたが、こめかみには血管のクロスが青く浮かんでいたはずデス!
 「あ、いや、わたしですか。ゴトウと申します。いやー、それにしてもほんと意外だったなー、これは」
 そう、このギークスのティピカル中央値こそあの、独身おたくの自虐ネタで一世を風靡し、いまや数千万のアクセス数を叩きだす有名人気ホームページの管理人なのデス! ミーはシェイクハンドのために右手を差し出しながら、「十年前、ホームページを開設したばかりのユーからリンクの依頼をされたことをリメンバーしてマス! あれをアクセプトしなかったのは、ミーのネット人生の中でも最大のリグレットのひとつネー!」 努めて陽気な社交辞令として発話したつもりデシタ! しかし――
 いったん口にすると改めて自分がそのことをひどく後悔している事実に気付かされてしまった。聞けば、ゴトウ氏はパソコン関連の商業誌に愉快なおたく4コマ漫画を連載しており、近々単行本化される見込みだと言う。それに引き換え、我が身がひねり出す文章は未だに一文にもならない、誰からも顧みられない、ネット上のアーカイブにのみしんしんと蓄積されていくクラップに過ぎないのだ。
 あのとき、この男と相互リンクの関係を築いておきさえすれば、こんな惨めな現在ではなかったかもしれないのに! 深刻な後悔が後から後からやってきて、私のひざがしらをふるわせた。
 「いやー、あの頃のテキストサイトの管理人たち、みんな有名になっちゃいましたからねー。☓☓☓さんとか、○○○さんとか……」
 そう、一見は平等な参加を約束しておきながら、本当に才覚のある者たちはネットの外から見出され、あるいは自分の力でテキストサイトという過渡期的なカテゴリを離れていった。
 この十年というもの、私は現実での立場を作るために時間を使いすぎた。小鳥猊下という名前のもう一人の私は、日々の生活の中でより重要ではない一隅へ追いやられ、その存在を希薄化していった。
 自分のことを「透明な存在」と評したのは、いったい誰だったろう。いま、小鳥猊下としてここに立っている私は、本当に何者でもない、透明な存在だった。
 「いやー、ぼくなんか全然っすよ。△△△さんとか覚えてます? あの人、もう成功しすぎちゃって……」
 どの業界でも、成功者ほど腰が低い。ゴトウ氏が低姿勢でへりくだればへりくだるほど、傲慢を売りにしてきた私は結局のところ、自分の非才を認められないがゆえにそうしてきたことへ気づかされる。私はネットに出自を持つ偉大な成功者の一人を前にして、恥ずかしさに耳朶が染まるのを感じた。
 「でも、本当に書いてないんですか? どこにも?」
 商業誌など、金銭の発生する場で文章を発表しているかどうかという意味の問いだろう。もちろん、書いていない。もし書いていれば、コミケで持ち出しの同人誌を販売などするはずがない。本当に他意なく、不思議そうに聞いてくるその様子がかえってグサリと胸に刺さった。私は視線をそらしながら、口元をひきつらせて「書いてません」とだけ答えた。声がかすれないようにするのに必死だった。耳に届いた自分の言葉が、自分の心を切り裂く音を確かに聞いた。
 「いやー、信じられないなー。本当かなー」
 腕組みをしながら、愛嬌のあるいたずらっぽい視線で見つめてくる。悪意はないのだろう。しかしいまや私は動揺を見透かされないよう、わずかに首を横へ振るのが精一杯だった。
 ゴトウ氏と私の間に横たわっている目に見えない何か。これが、これこそが、格なのだ。十年経っても数十万ヒットそこそこのサイトと、数千万ヒットを軽々と越えていくサイトの違いなのだ。一流ホームページと二流ホームページの違いなのだ。誰が見ても明らかな、圧倒的ヒエラルキーなのだ。
 ずたずたの自尊心は、私に思わぬ言葉を口走らせた。
 「あの、百万ヒットを達成したら、サイトを閉鎖しようと思ってます」
 この瞬間ゴトウ氏の顔に浮かんだ、困惑と嘲笑と憐憫が入り混じった表情を私は一生忘れないだろう。きちがいを見る視線と、あざけりに半笑いの口元を、とまどいが結びつけた表情だった。
 「はあ? いまは2011年ですよ? まだアクセス数とか言ってんですか?」
 それは童貞を捨てた者が、童貞にコンプレックスを抱く誰かにかける言葉と似た響きを持っていた。手に入れば、価値を無くしてしまう何か。そして、それを焦げるように求める誰かがいることへの想像力は永久に失われる。
 私はもう恥ずかしさに死にそうになって、ゴトウ氏から自分の同人誌を取り上げて、有明の海へ投げ捨ててしまいたいような気持ちに駆られた。ただ、表紙に描かれたイラストがそれを止めた。自分を貶めるのはいい。だが、このイラストを描いてくれた人を貶めてはいけない。
 それが、私にかろうじて矜持を保たせた。


 そこからどうやってブースに戻ったのかはよく覚えていない。
 何度も出入りしてんじゃねえよ。ブースに戻る際、フリルのついた服を着た三十がらみの女性たちが嫌悪に満ちた視線を私へ投げたのはわかった。
 「おう、遅かったじゃねえか」
 中東出身の――いや、この男は服装こそ少々奇抜だが、ただ彫りの深いだけで外人ではない。猫背の青年と眼鏡をかけた大学生がちらりとこちらを見る。特に何の感情も伴っていない視線だった。コミケが終わりさえすれば二度と会うこともない人物に、どんな気持ちも抱きようがない。たとえば、旅先の電車で隣に座った誰か。人の中にいるがゆえのあの孤独が、胸へ迫る。私は曖昧に微笑むと二人に、 「売り子、かわりますよ」と言ってテーブルの前に立った。
 「なかいいですか」「ええ、どうぞ」――それにしても暑い。
 単調なやりとりを繰り返すうち、昔なじんだあの感覚が身内に戻ってくるのがわかった。背後から、もうひとりの私が私を見下ろしている感じ。機械のように日常のルーチンを繰り返すうち、自分という主体が消えてなくなる、あの感じ。
 頭皮から伝い落ちた汗が、鼻に貼りつけた段ボールへ浸潤していく。頭の芯がぼうっとして、天と地の場所ももうわからないのに、釣り銭をわたす作業が少しも滞らないのを不思議な気持ちで眺めた。
 周囲で歓声が上がり、拍手の音が鳴り響く。その騒ぎで、私はようやく我に帰った。どうやら終了の時間が来たらしい。待ち構えていたかのように会場に小さなトラックが入って来、椅子と長机を積み込んでいく。
 はやくも祭りの後の寂しさが漂いはじめ、鼻の奥がつんとする。
 ああ、まただ。いまを楽しむということを拒否し続けてきた私は、終わりの瞬間にいつもそれを後悔する。楽しむことで、愛することでより大きくなる喪失が怖いのだ。
 こうして、私のコミケ初参加は幕を閉じた。


 鼻腔をくすぐる風に塩気を感じるのは、海が近いせいか。縁石に腰掛け、来場者たちが三々五々、帰路につく様子を眺める。同人誌のたくさん詰まった荷物を手に、彼らの表情からは幸福感と満足感が伝わってくる。
 結局のところ、私はあちら側の人間でもこちら側の人間でもないのだ。残ったのは疲労感と、在庫の山。私は両手に顔をうずめた。家人にどう借金の言い訳をしよう。私の心には、明日から再びはじまる終わりのない日常がすでに忍びよっていた。
 「ここにいたのかよ」
 彫りの深い男が座っている私に声をかけた。
 「知り合いの編集にもおまえのホン、何冊かさばいといたぜ。まあ、ヤツら、読みゃしねえんだがな」
 言いながら、豪放に笑う。やめてくれ。鼻に貼りつけた段ボールは汗と湿気を含んで変色し重くなり、セロテープは端から剥がれ始めている。
 返事もしないまま力なくうつむく私に、男はあきれたふうだ。
 「なんだ、在庫のこと気にしてんのかよ。ハハ、尻に敷かれてやがんな。俺も人のことは言えねえがよ」
 ペットボトルを傾けながらの優しい軽口。もう、やめてくれ。私にそんな価値は無いんだ。
 「心配すんな。俺たちのコミケはまだ終わっちゃいないぜ。あれを見ろよ」
 私はのろのろと顔を上げる。そのとき、一陣の海風が強く吹き、濡れた鼻段ボールを一瞬のうちに乾かした。そこには果たして――
 グルーサム、陰惨な風貌の男たちが五人、ロード・オブ・ザ・リングに登場するナズグルのようなたたずまいで路上にギャザリング、蝟集していマシタ!
 「オレノ知リ合イノエロ漫画家連中ダヨ。コノ後、コミケノ“打チ上ゲ”ニ“ヤカタブネ”デナイトクルージングッテ趣向ダ」
 打チ上ゲ? 割礼済みの下半身をエクスポーズしながらロケット状のサムシングに縛られたミーの周囲を、黒い肌をした土人がファイヤーダンスで取り巻くビジュアルが一瞬脳裏をよぎりマシタ! コミケトーの終了後に行われるセレモニーの一種らしいことは理解できマシタガ、それにしても、ヤカタブゥネとは何デショウカ? ジャパンにおいてヤカタとは血縁関係で結ばれた集団のリーダーを表していマス! そしてブゥネとはオフコース、あの大悪魔にして地獄の軍団を率いるデューク、ソロモンの魔神の一柱を示しているのに違いありマセン!
 「イッタン乗セチマエバ、二時間ハ逃ゲラレネエ。アトハオマエノウデ次第ジャネエカ。サバイチマエヨ……在庫ヲ……アイツラニナ……!!」
 中東出身のサメンの顔には、偃月刀を片手に洞窟で仲間とテラーの計画を練っていたときにそうだったろうと思わせる、歯を剥き出しにした凄絶な笑みが浮かんでいマシタ! ファウストを誘惑するメフィストフェレスが如く、ミーが破滅を宣言するのを待っているかのようデス! エターニティとイコールのサイレンスが流れ、ミーはスローリー、ゆっくりと、それがディステニーだったかのようにサメンへうなづき返しマシタ! 
 「ソウ来ルト思ッタゼ。売リ子ダケヤッテ、トットト帰ロウナンテタマジャネエッテナ! ココカラガ本当ノコミケッテワケダ!」
 夏の夕空に響き渡るサメンの哄笑を聞きながら、ミーは武者震いにマイセルフのアスホールがきゅっとシュリンクする音を確かに聞いたのデシタ……!!


To be continued...

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