ゲーム「ランス10」感想

 男の子ならだれでも、ドラクエやエフエフ(ファイファン派は死ね)やメガテンに影響を受けて、びっしりと俺設定の世界観を書きこんだ大学ノートを実家の押入れに眠らせているものだ。そして大人になってから読み返して悶絶し、セロテープの跡やらで全体的に黄色く汚れたそれを夜中にコンロで焼却するものなのだ。

 ちなみに、知り合いの場末の皇族がファミコン版キャプテン翼2に大ハマりし、びっしりとオリキャラとその必殺技を書き込んだノートを手元に用意している。表紙にはキャプつばのロゴを雑誌(ファミコン通信)から切り抜いたものがベタベタと貼り付けてあり、その下になぜか英語で「イントゥ・ザ・ワールド!」と書かれている。1ページ目を開けば狼に育てられたという設定の双子、アマラくんとカマラくんのステータスが鉛筆の汚い字で書かれており、必殺シュートの名前はウルフ……エンッ(鼻血を吹きながら後頭部方向に倒れる)!

 ことほど左様に、ピコピコa.k.a.ファミリーコンピュータは罪深い。ランスシリーズのはじまりは、ドラクエに影響を受けたそんな大学ノートの殴り書きと、自分のモテ体質に自覚的なアドル・クリスティンが悪意でヒロインをコマしまくったら面白かろうぐらいの、居酒屋のワイ談から始まったのに違いない。それがどうだ。30年近い時を経て、このシリーズ最新作は情動のタイムマシンとしてプレイ中ずっと、名成り功遂げた、普段はエロゲーの存在がこの世にあることを知らないようなツラで生きている、感情の磨耗したオッサンを感動の涙で泣かせ続けている。すべての社会性のヨロイを剥がれ、まるでピュアな中高生に戻ったかのように、翌日の仕事を斟酌しない徹夜でのプレイを文字通り泣きながら強いられ続けているのだ。

 ちなみに、泣きのツボを最も強く押されたのは、魔界と人間界の間にある砦の、副隊長の話である。諸君のうちにもいるだろう、先細りの業界の撤退戦で責任を預けられただれか。「貧乏くじだ」とボヤきながらも、責務を投げ出さない彼の姿に己を重ねた向きも多かろう。

 かくの如く、膨大なシナリオ群が走馬灯もかくやと、過去の情動の追体験を促し続ける。そして、ふと気づく。こんなも気高い感動を呼び起こしているのが、決して日の当たる場所へと出ることのないエロゲーなのだという、目眩のするような事実に。ファミコンへのアーリーアダプターたちの少なくない数が、その鋭敏な嗅覚と先見性から、いまや高い社会的地位を持ち、世に幾ばくかの影響力を有する人物になっているに違いない(そうでない者は犯罪者になってほんのいっとき耳目を集めたか、世間の無視の中で孤独に死んだ)。そしていま生き残った彼らは、私と同じようにランス10をプレイしながら、日常では周囲の誰ともこの叫び出したいような感動を共有できないことに、そして自分があまりに遠くに来てしまったことに、ほとんど絶望と近似値の深い感慨を得ているはずなのだ。

 ブスは足蹴にして唾を吐きかけ、美人はすぐさま押し倒してレイプ、そして彼は世界の王に選ばれて、ついには人類を救済する――こんな異常者の(そしてすべての男性が持つ)妄想を心の底から楽しんでいることを、妻が、娘が(息子はオーケ)、隣人が、同僚が、部下が知ったなら、どのような迫害の末の社会的抹殺が待ちかまえていることだろう!

 だが、それでも私は、どんな文学賞さえメじゃない、どんな権威ある承認をもらった作品よりも、この物語が大好きなのだと声を大にして言いたい! パラリンピアンがオリンピアンをガチの真っ向勝負で凌駕してしまった不認定の記録、非公式の歴史、それがランス10なのだ! 現在、スマホゲー業界を席巻しているエフジーオーも元はと言えばエロゲー出身で、更に言えばおそらく中高生の大学ノートから始まった何かである。しかしあちらは早々とエロを切り離し、切り離して本体に影響の無い、良性の腫瘍くらいのエロだったわけだが、より洗練された何かに形を変えてしまった。

 もしソシャゲ化されたら俺様がエフジーオー以上に課金するだろうランスシリーズは、本体と悪性腫瘍が完全に癒着してしまっており、切除は本体の死につながる。つまり、エロゲーというジャンルにおいてしか、成立し得ない物語なのである。エフジーオーを鞘に収まった刀剣と例えるならば、ランス10は破傷風必至の赤錆を浮かべた釘バットである。刀剣ならば美術品としての価値もあろう、剣術の流派もできよう、しかし、釘バットは怒れる若いヤンキーの手を離れてしまえば、どこにもたどりつかない。ただ対象となった一人を傷つけ、いつまでも消えない傷痕を残し、死ぬまでの時間を長く苦しませるだけである。私もたぶん、最初は釘バットでよかった。しかしnWoもその番外編であるMMGF!も、釘バットを完遂できず途上に中絶を遂げた。それはたぶん、いつか刀剣に憧れてしまったからだ。30年もの長い時間を経たにも関わらず、釘バットであることを完遂したランス最終作に、心からの拍手と敬礼を送りたい。

 ランスシリーズの制作者も人生の晩年に差しかかる頃なのだと思う。だから、誠実に続編への未練をすべて断ち切って、物語を終わらせた。某潜入ゲームのようにプロダクトとしての醜悪をさらすことを好まず、作者が死ねば続きもありえない、つまりアートとして作品を完結させたのだ。若い君にプレイしてくれ、とは言わない。ただ、ほんの半世紀ほどをしか生き延びなかった、その半世紀を共に生きなかった者には決してわからない感情が確かにあったのだという事実をただ、君に知っていて欲しい。

 スレイヤーズ!が世界の謎を解明しなかった恨みは以前にどこかで述べた気がするが、少なくとも完結はした。バスタード!とベルセルクとガラスの仮面と王家の紋章とグインサーガと日本ファルコムは、ランスシリーズの爪の垢でも煎じて飲めばいいと思った。おい! 特におまえ、グインサーガ! あとがきで主人公の子供たちによるグイン後伝とかぬかしてたくせに、本編も完成させずに死にやがって! ランス10の2部を見習えってんだ! おかげでカメロンはあっさり死ぬわ、アルド・ナリスは復活するわでたいへんなんだからな!

 あと盛大なネタバレだが、第二部において孫子の代のセックスを「描かない」と決めたことへある種の共感を覚えたのは、最後に伝えておきたい。倫理観と表現すると強すぎるこの上品な忌避感は、まっとうな大人のそれに違いなく、シリーズと共に年齢を重ねた制作側と遊び手側の成熟を称えている気がした。

 いつでも世界を破壊できる力を持ちながら、一人の女性に向けた恋慕だけが、その衝動を抑えるよすがとなる。彼の苦しみと葛藤はいかばかりだったろう。そして、15年越しに初めて伝えられた「好きだ」という想いを、私たちは30年越しで目にする。ここまでやらなければ、すれっからしのおたくどもは、愛を信じることができない。

「ああ、世界丸ごと好きになるといい」 「なんで?」 「良いことがあるから」

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